第1章16話 侵蝕 6. 侵蝕停止
念入りにとどめを刺すべきかと悩んだが、視界の端にクエストクリアを示すアイコンが表示された。どうやら、アラクニドは完全に息絶えたようだ。
とはいっても、まだまだたくさん周囲には敵反応がある。これらを突破してベースへと戻らないとならないのだが……。
「あ、使い魔殿。後、ホーリー・ベル。すまないが、もう少し付き合ってくれ。
小さい蜘蛛も出来る限り潰しておきたい」
”……なんで?”
「ああ、実は――」
そこでアリスは、授業中に『ゲーム』を開始したがったわけを話してくれた。
……にわかには信じられないが、アリスがウソをつくとは思えないし、事実、かなり厄介なモンスターが出現していたわけだし……。
「そう、わかったわ。手伝うわよ」
少しだけ考えたのち、ホーリー・ベルはあっさりと頷いた。
”いいのかい?”
私の問いかけにもあっさりと頷く。
「大ボスはもういないし、雑魚掃除でジェム稼げるしねー。それに、その人の話聞く限り、あまり放置していて良さそうな感じしないし」
クエストクリアしても、ベースへと戻らないと解放されない。いつもならさっさと戻るところだが、敵が延々と沸き続けるのであれば比較的安全にジェムを稼ぐことも可能だ。
現実世界にも影響を及ぼしているという話が本当なら、子蜘蛛も倒しておく必要があるだろう。大蜘蛛を倒したことで現実への影響がなくなった、というのであればよいが確認する術がない。
……結局のところ、現実での危機をより確実に排除するという点と、ジェム稼ぎという二つの理由により、ベースに戻らずにそのまま戦い続ける方がよいということだ。
”……アリス、時間は大丈夫?”
ホーリー・ベルに聞こえないようにこっそりと耳打ちする。
私が一番気になっている点は、アリス――ありすは今学校で授業中である、ということだ。
「うっ……?」
アリスが硬直する。
……ああ、授業中だってこと、すっかり忘れてたのか。
今回のクエストを開始してから結構な時間が経っている。ありすが何と言って授業を抜け出したのかはわからないが、不審に思われたり心配して探されたりするのはあまり良くない。家に連絡でもされたら、流石に美奈子さんでも怒るだろう。
「ん? もしかして、時間、ヤバイ?」
アリスの様子を見てホーリー・ベルも察したらしい。
「……ああ、いや、まぁ、あたしもあんまり人のことは言えないけど……」
ホーリー・ベルが何者なのかはわからない。道中に少しだけ話をしたが、『元の姿』についての話は一切聞いていない――何となくだが、触れない方がよい話題だと私は思ったのだ。
まぁ深刻な理由で聞かなかったわけではない。『ゲーム』の質は違えど、要するにネットゲームの相手のリアルを尋ねるような真似は無粋なのかな、と思っただけなのだけど。私自身はその手のゲームを前世でしなかったので、どういうものかはわからないが……。
「うーん、じゃあ、こういうのはどうかな?」
そう言ってホーリー・ベルが提案したのは――
* * * * *
「いやー……これ、大分稼げたんじゃない?」
ベースにて、ほくほくした笑顔でホーリー・ベルが言う。
アリスも満足そうに頷く。
「ああ、オレ一人ではここまで簡単にはいかなかっただろう。感謝するぞ、ホーリー・ベル」
ホーリー・ベルの提案からわずか5分後。私のレーダー上でおよそ7~8割程度の敵反応が消失していた。今もポツポツと減少中である。
彼女の提案は、まさに敵を『殲滅』するためのものだった。
やり方は至って簡単で、あの蜘蛛の巣――最初から中にいたアリスは気付かなかったようだが、巨大な『塔』のような巣の出入り口を魔法の石や氷で塞いで逃げ場をなくし、巣の内部に炎を放って丸ごと焼却するというものだ。
これが地面の下に巣を作っていたのであれば、大量の水を流し込むという方法を取る必要があった――そして、その大量の水は魔法で用意するのは結構難しい――が、炎で焼くのは簡単だ。アラクニドとの戦いの最中でもわかっていたことだが、あの巣のあちこちに張り巡らされている蜘蛛の糸はよく燃える。更に、アリスの魔法が作る炎はそう簡単には消せない……。
よって、私たちは、まずホーリー・ベルと一緒に乗り込んできた穴から外へと脱出。その後は外側から見える限りの出入り口をアリスの
その上で今度はホーリー・ベルの魔法で横穴を開けて炎の魔法をブチ込み、また穴を塞ぐ。これを複数個所で行った。巣の内部は火炎地獄と化していることだろう。
私たちが見逃してしまった出入り口がないかは巣の周辺を見回ってチェック。敵の動きも監視して完全に逃げ場を潰す。子蜘蛛には巣穴を掘っていくほどの力は無いようで、巣の内部で焼き殺されていっている。
大分数が減ったのを見届けたところで、私たちもクエストクリアをするためベースへと戻ってきたところだ。
”さて、大分数も減ったし、一旦現実に戻って様子を見よう。まだ出てくるようなら、きっと新しいクエストが発生していると思う”
実際のところはわからないが、クエストが発生せずに一方的にモンスターの攻撃を受けるという状況はないはずだ――と言いたいところだが、クソゲーならそれがありうるのが怖いところだ。
まぁここで待っていても現実の方の状況がどうなっているのかはわからない。戻ってみるしかない、というのが結論である。時間もないことだし。
「……っと、そうだ。ねぇ、もし良かったら、あたしと『フレンド登録』しない?」
”……フレンド”
「登録?」
ホーリー・ベルの提案に、私とアリスは二人揃って首を傾げる。
その反応の意味がわからなかったのか、ホーリー・ベルも戸惑う。
「え、フレンドのページ開けない?」
”えーっと……?”
フレンドのページとはなんぞや……?
視界の端のアイコンを色々と探してみるが、いまいちよくわからない。
……というより、半分くらいは文字が読めない。
「ねぇ、ジュジュ、こっちからは申請できる?」
彼女が何者かに話しかける。彼女の言葉に応えて、胸元から小さな白いネズミ――のような生き物が現れる。
アレが、ホーリー・ベルの
”ジュ……”
ジュジュとやらが何か喋ったようだが、私には言葉は聞こえない。何かの鳴き声のようにしか聞こえないのだ。
しかしホーリー・ベルには言葉はわかるようで、うんうんと頷くと私に向かって言う。
「そういえば、アリスの使い魔さんの名前は何て言うんだっけ? 名前がわかれば、フレンド検索して申請するって」
”――ラビ、だよ”
ほんの少しだけ悩んだが、私は素直に名乗る。
色々と考えることは多いのだが……。
「す、すまん! 時間がないので先に戻る!」
アリスの方の時間が差し迫っている。アリスが戻るためには、私も戻らなければならない。
時間がなかったことを思い出し、ホーリー・ベルが言う。
「あ、ごめんね、そうだった。じゃあ、戻った後でジュジュから申請行くと思うから。もし嫌だったら、拒否っていいかんね!」
”わかった。それじゃあ、ホーリー・ベル、それに……ジュジュ、さん。今回はありがとう、助かったよ”
そう告げ、私たちはベースにあるゲートより現実世界へと帰還した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
現実へと戻ったありすは、すぐさま教室へと戻った。
時間は既に20分程経過……向こう側ではもっと長い時間戦っていたような気がするが、実際はそこまででもなかったようだ。
とはいえ、授業中に20分もいないとあれば問題になりかねない。トイレに行くと言って出てきたはいいが、ちょっと時間が長すぎたかもしれない。他にいい言い訳があるわけでもないのだが。
教師へは何とか誤魔化すしかない。気になる点は、アラクニドを倒し、更に殆どの子蜘蛛を殲滅したことで、現実世界にも現れていた蜘蛛たちをどこまで倒せたかだ。
(……良かった、もういないみたい)
教室へと戻りながら周囲を見回してみたが、もうどこにも蜘蛛の姿は見えない。
アラクニドを倒した時点で現実世界の方の蜘蛛もいなくなったのか、子蜘蛛まで念入りに殲滅したことが原因なのか、どちらなのかはわからないが、とりあえず最大の懸念はこれで払拭されたと言えるだろう。
……しかし、妙に学校全体がざわついている。
何か起こったのかと不安に思いつつ教室へと戻ると、
「あら、恋墨さん。大丈夫ですの?」
委員長が真っ先に声をかけてくる。
まだ授業中のはずだが、教室には教師はいなく、他にも数名の生徒が姿を消している。
「ん……わたしは大丈夫。
何が、あったの……?」
「それが、恋墨さんが教室を出て行った後、何人か具合が悪いと訴えられて……」
おそらくは子蜘蛛の影響だろう。美藤が蜘蛛に取り付かれていた時と同じように、教室内に侵入していた蜘蛛によって、複数の生徒が具合を悪くしてしまったのだと推測する。
複数人が具合が悪くなったということで、教師が保健室に連れて行ったのだという。学校全体がざわついていたのも、学校中に散っていた子蜘蛛の影響に違いない。
ありすが長時間抜けていたことについてはこれで誤魔化せそうだが、思った以上に大事になっているのではと不安に思う。
もし、授業を抜けてクエストを受けに行かなかったとしたら、どれだけ被害が広まっていたことか……。
「ああ、でも先ほど、具合が悪いと言っていた方も、急に元気になられて――」
「ん、そっか……良かった」
委員長は続ける。美藤同様、取り付いていた蜘蛛がいなくなればすぐに調子は良くなるようだ。
彼女の言葉を聞きつつ、ありすは考えていた。
(『ゲーム』の中のモンスターが現実にも影響を与える……? 今まではこんなことなかったのに……)
この『ゲーム』が何なのかはわからない。今までは現実にまで影響を及ぼすモンスターなどいなかったが、実はもっと影響を及ぼすモンスターが多数いるのかもしれない。
そうしたモンスターを退治することが目的なのだろうか?
だが、それが目的だとして、何故目的を最初から明らかにしないのだろうか?
わからないことが多すぎる――
(でも今は、とにかくモンスターを倒すしか、ない)
『ゲーム』の存在や目的はどうあれ、ありすに出来ることは只管モンスターと戦うことだけだ。そして、モンスターには勝たなければならない。
結論は非常にシンプルな、あまりに脳筋なものでしかなかった。
* * * * *
学校が終わり、自宅に戻ってきたありすと、私は改めて話をした。
現実世界にも現れた子蜘蛛は人に取り付き具合を悪くさせる――よくわからないが、生気とか生命力とか、そういったものを奪っていたのだろう。クエストをクリアしたことでそれは解消されたようだ。
今後もこういうことが起こりかねない、ということで、私たちは相談の結果、今回の報酬のジェムを補助機能を充実させることに使うことにした。
使い魔とユニット間での遠隔通話――テレパシーのようなものと、離れた場所にいるユニットを使い魔の元へと瞬時に移動させる『
今回のように分断された状態でクエストが始まった場合、回復もままならないのではいくらアリスが強いとは言っても危ういだろう。
事実、今回のクエストはホーリー・ベルの助けがなければ私たちは合流できず、アリスはリスポーンする羽目になっていたはずだ。
”補助系スキル、大事でしょ?”
「んー……のーこめんと」
おのれ。
とは言いつつも、今回ばかりは流石にありすもわかっているのだろう。ステータス強化よりも便利機能の取得を優先することについて文句は言わなかった。
『ゲーム』に対しては、とりあえず二人で色々と考えてはみたものの、何もわからないのには変わりなかった。とにかく今はクエストを片付けていくことしか出来ないか。
また現実世界に影響を及ぼすモンスターが出てきた時は優先して倒す、という方針だけは決めておいた。
そいつらが複数現れた時は……順番に全てクリアしていくしかないだろう。
”……やっぱり、この『ゲーム』は参加すべきじゃなかったかなぁ……”
そう呟いてみるものの、前世からいきなりこちらの世界に転生してきた私には多分選択肢はなかったし、ありすもユニットにならなければメガリスに殺されていただろう――ああ、やっぱり私たちにはそもそも選択肢がなかったわけだ。
私たちに出来ることと言えば、今は只管クエストに挑み続けてジェムを稼ぎ、強くなって負けないようにすることしかないのだ。
「そういえば……ホーリー・ベルが、言ってた……」
”ああ、『フレンド申請』か……うん、来てたよ”
現実世界に戻った後、例によって視界の隅に点滅するアイコンがあった――『男性用トイレ』のマークにも似た棒人間のアイコンだ。今までは絶対になかったアイコンなのだが……。
アイコンをクリックすると、『ジュジュ からフレンド申請が届いています』とのメッセージと、その下に申請を受けるか否かの選択肢がある。
ありすと相談してから決めようと思っていたので、まだ保留中にしていたのだ。
”どうする? 受けるかい?”
「ん……んー」
ありすもどうするか決めかねているようだ。
何しろ、私たち以外のプレーヤーに出会うのが初めてである。それに、『フレンド』というシステム自体がよくわからない――まぁ、おそらくは連絡を取り合ったり、一緒にクエストに挑めたりする機能なのだろう。
そういえば以前『協力プレイ』が実装されたという通知があった。その時から他のプレーヤーがいるのであろうことは予測はしていたが……。
”私は”
ありすが学校に行っている間に、私自身が考えていたことを話す。
”ホーリー・ベルとフレンドになるのがいいと思う”
彼女自身が信用できるかどうかや、どういう人柄なのかは短い時間の付き合いなのでわからない。もしかしたらとんでもない悪人かもしれない――短い付き合いだが個人的には、ホーリー・ベルは悪い子ではないと感じられたが。
戦力的にも頼りになるというのはあるが、それよりも私が欲しいのは『情報』だ。
成り行きで使い魔となっている私には圧倒的に『情報』――この『ゲーム』全体に対する情報が不足している。『フレンド申請』自体、出来ることを知らなかったのだ。
けれどもホーリー・ベル、というよりも彼女の使い魔のジュジュはそれを知っている。私よりも『ゲーム』について知っているということなのだ。
『ゲーム』についての知識を彼女たちから得たい。それが最も大きな理由である。
「ん、わかった。いいよ」
理由を話そうとする前にありすはあっさりと私の言葉に頷く。
「ラビさんがそう思うなら、きっと間違いじゃない」
”……えぇ……?”
ちょっと信用されすぎじゃないか?
「……それに、ホーリー・ベル、強かったし」
確かに、実力の全てを見たわけではなかったが、ホーリー・ベルの戦闘力はかなり高いのはわかった。
アリスのようにマジック・マテリアルさえあれば同時に何でも出来るのとは異なり、一度に一つの属性しか使えないという制限はあるものの、装備品との組み合わせで様々な状況に対応できるようだ。
何より強力なのが、傷の回復が出来るという点だ。アイテムで体力ゲージは回復できるものの、傷そのものの修復は出来ないというのが今回わかった。ダメージそのものは回復できても、傷が治らないのでは今回のように動けなくなったまま、ということもありうる。
今後の戦いでアラクニドのように苦戦する相手が出てくる可能性は高いだろう。そんな時、一緒に戦ってくれる『フレンド』がいれば心強い。
”わかった。ありすもいいなら、フレンド申請を受けよう”
『ゲーム』について何もわからない私たち二人だが、ホーリー・ベルとその使い魔のジュジュがいれば何かわかるかもしれない――事態を一挙に解決できるとまでは期待しないけれど。
”……そういえば、一個だけ気になる点があったんだった”
フレンド申請に『OK』を返す前に、一点だけ気になったことがあったのを思い出す。
”あのクエストの報酬、想定よりもちょっとだけ低かったんだよね。多分、『協力プレイ』をすると、ジェムは山分けになるみたいだね”
子蜘蛛のジェムがスズメの涙ほどだというのなら話は別だが、獲得したジェムが27,000弱というのは想定よりも大分低い気がする。
等分、というわけではないとは思うが、おそらく何らかの計算式があって、協力プレイに参加した人数によってそれぞれの取り分が決まるのではないだろうか。
「――え」
一瞬、ありすの顔がこわばったのを見逃さない。
……報酬が減るのは、やっぱりひっかかるかー。
「……ん……ん、それでも、いい」
微妙な葛藤はあったらしいが、それでもありすはフレンド申請を受けることを肯定したのだった。
ともあれ、こうして私たちとホーリー・ベルはフレンドとなる。
……この出会いが、今後の私たちにとって非常に大きな意味を持つことになるとは、この時はまだ知る由もなかったのだ……。
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