第1章11話 侵蝕 1. 這寄る妖蟲

 『ゲーム』に参加してからの初めての週末は、結局ほとんどの時間を『ゲーム』に費やしてしまっていた。

 勿論、学校の宿題やらやるべきことはきちんとやった上でだが。なのであまり文句も言えない――いや、『ゲームばっかりしてるんじゃありません!』と怒るところなのだろうか、大人としては。

 ともかく、レッドドラゴンと最初に戦った後も、私たちは何度もモンスター討伐を繰り返していた。

 レッドドラゴンはあの後土日合わせて5匹ほど倒した。回数を重ねる毎に、より効率的に倒せるようになっていっている。他にも、今まで倒した小型~中型のモンスターが複数同時に現れたりする討伐任務を幾つもクリアしていった。

 おかげでジェムも大量に集まり、私の希望である『保険のために大量にジェムを持っておく』と、ありすの希望である『パラメータの強化』の両方を納得できるように割り振ることが出来た。


「ん、やっぱりわたしの言うことが正しかった……」

”はいはい、そーだねー”

「むー、ラビさん投げやり……」


 なんてやり取りがあったことはさておき。

 私の失敗ではあったが、やはりアリスのパラメータを伸ばさないことには、上位のモンスターには攻撃が通じなくなってしまうようだ。

 最初にレッドドラゴンと戦った時には《剣雨ソードレイン》は全く刃が立たなかったが、攻撃力のパラメータを上昇させたら少しは甲殻に食い込むことが出来るようになっていた。流石に一撃でレッドドラゴンを貫くほどの攻撃力にはならないようだったが。

 ……やはり、これはゲームなのだと実感する。段階を踏んで強くなる敵に合わせて、こちらもパラメータを上げていかないと追いつけなくなるようになっているのだろう。

 手に入るジェムの量と成長に使う量、そしてアイテム代とリスポーン……これからはより一層計画的にジェムの貯蓄と運用をしていかなければならない。


”さしあたっては……『家計簿』でもつけようかな……”


 今日は月曜日――ありすと出会ってから丁度一週間目だ。ありすは学校へと行っている。

 私は恋墨家でありすが帰ってくるまで適当に時間を潰している。

 勿論、本当に何もしないわけではない。体格が体格なので無理なことはあるが、簡単な掃除や片付け等は『耳』が器用に動かせるためできるので、美奈子さんのお手伝いをしたりしている。

 特に何もなければ、恋墨家の共有PC(ありすは自分のPCを持ってない)を使ってインターネットで情報収集をしたりしている。今日からはそれに加えて、ジェムの管理――『家計簿』をつけようかと思っている。

 まぁ、前世でも『家計簿』らしきものをつけようとしたことはあったのだが、全く上手くいかずに挫折した経験があるのだが。

 ともあれ、再び平日が始まった。昼間はありすは学校だし、調べ物をしたりする時間も取れるだろう。先週とは違って外でひたすら待つだけではないのだ。


 ――そう思っていたのは私だけではなくありすもだと思うが、そんな思いを私たちの想像を超える形で裏切られることとなるとは……。




◆  ◆  ◆  ◆  ◆




(んー、もっと強いモンスター出てこないかな……)


 ありすは既にレッドドラゴンの相手にすら『飽きて』いた。

 正確には、苦戦する要素がなくなったため、レッドドラゴンに対する認識がメガリス等と同程度まで下がった。

 当然、レッドドラゴンの攻撃を何の抵抗もなく受ければ致命傷は避けられないが、気絶していたりラビのレーダー範囲外からでも攻撃を受けない限りは、そうそう直撃を受けることはない。

 更にアリス自身のパラメータが強化されたため、魔力の消費量を最初の戦いの時よりも抑えつつ戦うことができるようになった。

 そのおかげで、自由に動き回ることの出来ない閉所でレッドドラゴン二匹同時――ともなると流石に話は違ってくるが、よほど特殊な状況にでもならないと負ける要素はないとありすは確信している。

 とはいっても、レッドドラゴン以上の相手が出てきた時にどうなるかはわからない。レッドドラゴンも、それまで戦っていたモンスターに比べれば別格の強さと言えるほどだったのだ。更なる強敵、と言っても数段階上の本当に歯が立たないレベルのモンスターがいきなり出てくるかもしれない。


(やっぱり……もっとパラメータ強化しないと)


 授業を聞きながらもありすの思考は『ゲーム』のことへと向けられている。

 ジェムの使い道について、ありすとラビの意見は微妙に食い違いがある。

 複数回のリスポーンを見越して、安全策――貯金に重きを置いているラビに対し、ありすはパラメータの強化を重視している。

 確かにモンスターと戦って破れる可能性はある。レッドドラゴン戦も、無傷で勝利できたとはいっても初戦はかなり危ういものであった。

 アリスのテンションが高いため一見そうは見えないとしても、一口でアリスを丸呑みに出来そうなほど巨大な口や、一撃で全身の骨が砕けそうな尻尾の振り回しなどに脅威を感じないわけではない。

 ラビもありすも『恐怖』は感じているのだが、それへの対応が異なっているのだ。

 ラビはリスポーンを見越した『保険』をかける安全策をとろうとし、ありすはとにかく相手に一度も負けることのないように戦闘力を上げることで対応しようとしている。

 そうしたありすの考えはラビも理解はしているが……。


 ――ここで一つ明言しておこう。恋墨ありすは間違いなく『脳筋』である。

 決して頭が悪いわけではない。むしろ、同年齢からすれば明らかに頭の良い方であり、学業も優秀である。

 全体的に『優秀』であるが故に、自らが強くなってモンスターに負けないことが『安全』であるという考えに至っているのだ。確かに間違ってはいないのだが、そこに『勝てない相手』の存在が欠落してしまっている。頭がいいとは言っても、その辺りの短絡さがまだ残るのは経験不足故だろう。

 そうした経験不足からくる視野の狭さと、実際の能力の高さから来る見積もりが合わさり、ありすは『ゲーム』に関しては『脳筋』となってしまっているのだ。

 これが今のところは吉……とも言い切れないが、ともあれ悪いことにはなっていない。が、今後もそうなるは限らない。


(ラビさんの言うこともわかるけど、やっぱり便利機能は後回しでいいと思うけどな……)


 ラビが欲しがる便利機能、例えば『遠隔通話』はあればいいとは思うが、ありすからしてみると『あまり使い道がない』機能だと思える。

 『ゲーム』に参加する時には、現実世界に残される『ありすの身体』は睡眠状態になる。なので、平日、特に学校にいる時間には迂闊に『ゲーム』に参加することは出来ない。

 必然的に『ゲーム』はありすとラビが同じところにいる時に参加することになる。となると『遠隔通話』は使いどころが余りない。精々、暇つぶしにちょっとお喋りする、というくらいしか使い道はないだろう、というのがありすの考えだ。

 戦闘能力に直結するような便利機能ならば欲しいところだ。『レーダー強化機能』や『所持アイテム数拡張』なんかは早めに欲しい機能だとありすは思う。それでも、攻撃力や装備のパラメータに必要なジェムが膨大になって早々簡単に上がらなくなってからでもいいと思っているのだが。


「あら? 美藤みどうさん、大丈夫ですの?」


 と、考え込んでいるうちに授業が終わり休憩時間になっていた。

 少し離れた席で『学級委員長』がそう言っているのが聞こえてきた。


(……今日、風邪気味の人、多いな……)


 まだ二学期が始まったばかりの時期、季節の変わり目と言える程、気候の差は激しくない。体調を崩し始めるのは来月以降が多いだろう。

 しかし、今日に限っては様子がおかしい。学校を休んでいる児童はいないものの、時間を追うごとに気分が悪くなったと訴え出る者が増えてきているのだ。

 保健室に行くものもいるし、ちょっと気分悪いけど休むほどではない、とそのまま授業に出るものもいる。これが給食後ならば、すわ集団食中毒か、ともなるのだが、まだ午前中である。

 何となく気にかかったありすは、委員長と美藤の方へと視線を向ける。


 ――そして、異変に気付いた。


「……んっ……!?」


 やや顔が青白くなってはいるものの、「ちょっと風邪っぽい?」と軽く笑う美藤――彼女の首筋に、巨大な『蜘蛛』が張り付いていた。


(な、何……あれ……?)


 人の掌ほどもある大きさの『蜘蛛』が美藤の首に噛み付いている。

 禍々しい髑髏のような模様のその蜘蛛はかなりの存在感を放っているというのに、噛み付かれている美藤もそばにいる委員長や他の子たちも全く気付いていない。


(……透けてる……?)


 よく見ると蜘蛛はうっすらと透けているように見えた。

 まさか、と思いながらも捨て置くことはできず、


「……ん……」

「あら、恋墨さん? どうかなさって?」


 意を決して席から立ち上がると美藤の元へと近寄る。

 訝る委員長――無理もない、ありすは別にクラスで孤立しているわけではないが、美藤とは特に親しい間柄ではない――だが、ありすは気にしている余裕はない。

 近づくと共に乱暴にならないように美藤の首元を手でそっと払うように動かし、『蜘蛛』を振り払おうとする。

 蜘蛛はありすの手が近づく前に危険と思ったか、美藤から離れてそのまま教室の隅にあるロッカーの裏へと逃げていく。


(ん……触れるかわからなかったけど、あの様子だと……見えていれば触れそう)


 蜘蛛が見えていない他の者はともかく、ありすならば『蜘蛛』を追い払うことは出来そうだ。


「なに、恋墨ちゃん?」

「あ。ん……。

 ちっちゃい……虫がいたから……」


 咄嗟に言い訳が思い浮かばず、そう言ってしまう。

 その言葉を聞いて美藤がうげぇ、と実際に声を出して顔をしかめる。


「マジで? いなくなった?」

「ん、もういない……多分」

「……美藤さん、なんだか急に元気になったような……」


 委員長の言葉に、言われた美藤も、


「……あれ? ほんとだ。何かさっきより調子いーかも?」


 と首を傾げる。顔色も先ほどよりよくなったように思える。

 一方でありすは、あの蜘蛛を追い払ったことで美藤が元気になったとしか思えず、嫌な想像が脳裏を過ぎる。


(まさか……モンスター……?)


 あの蜘蛛が幻覚ならばよいが――いや、それはそれでよくないのだが――もしありすの想像通り、モンスターの一種なのだとしたら……。


「さ、休憩時間は終わりですわ。皆様、席にお着きになって」


 そこで休憩時間終了のチャイムがなり、委員長がてきぱきと取り仕切る。

 逃げた『蜘蛛』は気になるが、自分にしか見えていないのだからどうしようもない。下手に訴えでても、ありすの頭がおかしくなったと思われるだけだ。


(……次の休み時間、ラビさんに連絡してみようかな……)


 携帯電話で家にかければ、出かけていないのであればラビと話せるはずだ。

 『ゲーム』の世界に入っていないのにモンスターが見えるとは考えにくいが、もしモンスターならばラビの方に討伐任務の通知が来ているはずだ。

 そう思いながら、ありすは次の授業を受ける。




 ――だが、この時点で既に事態はありすが思うのよりも速く、そして深刻になっていた。




(……いっぱい、出てきた……!?)


 授業中、窓の外や廊下側を見てみると、先ほどの小蜘蛛がわらわらと徘徊しているのが見える。

 窓やドア、壁をすり抜けることはできないのだろう、授業中は締め切られているため教室の中まで侵入してくることはないようだ。

 しかし、既に教室に入り込んでいた蜘蛛は別だ。美藤から追い払った蜘蛛もまた現れ、他にも物陰に潜んでいたのであろう蜘蛛が複数いる。

 それらが生徒の首筋に噛み付くと、まるで生気を吸い取られているかのように噛み付かれた子の具合が悪くなっている。


(もう、間違いない……これは、モンスターの仕業……)


 『ゲーム』の中にしかいないと思われたモンスターが現実に影響を与えている、というのはにわかには信じがたいが、ありすは今目にしているものが自分の勘違いだとは思えない。

 モンスターが生徒を襲っている、これはもう事実であるとして行動しなければ拙いことになる……ありすはそう判断した。


「せ、んせい……」


 思い立ったらすぐさま行動すべきだ。

 ありすは挙手し、教師にトイレに行きたいと訴え出る。

 下手に『具合が悪い』と言ってしまうと、保健委員に付き添われたりする可能性がある。こっそりと教室から抜け出して家に電話をかけようとするのだから、他の誰かについてこられては都合が悪い。

 幸い、ありすのクラスの担任は『トイレは我慢しなさい』だとか『給食は食べ終わるまで席から立つな』といったことは言わない人物であった。あっさりと認められ、ありすは教室の外へと抜け出す。


(まずは――)


 教室を抜け出したありすは、他に廊下に誰もいないこと――蜘蛛はいっぱいいたが――を確認すると、トイレに行くふりをしつつ図書室を目指す。

 目的は図書室の奥、普段は誰も入らない『図書準備室』だ。そこならば、『ゲーム』へと入り込んで無防備になった身体を安全に隠しておける。この学校のトイレは和式なので、トイレで『ゲーム』に入ると後が大変になってしまう。

 誰にも見られず、ありすは目的地へと着く。

 図書準備室の中にも誰もいないことを確認すると、部屋の中から鍵をかける。


「ん、と……」


 携帯電話は落さないようにストラップをつけて首からかけている。

 色々と制限の付いている子供向け携帯だが、それ自体に不満はない――わざわざ携帯でゲームをやるつもりもないし、電話で延々と長話をする趣味もない。

 かける先は自宅だ。ラビが個人携帯を持っていれば話は早いのだが、流石にもっていない。母親の携帯にかけるという手もあったが、もし買い物等で家を出ていた場合にラビに替わることが出来ない。


(お願い……早く……!)


 教室から図書準備室までの間に、無数の蜘蛛がいるのをありすは見ていた。虫が苦手だったら、悲鳴を上げて卒倒してしまうであろうおぞましい光景だった。

 廊下にも階段にも、そして学校の外にも蜘蛛がいる。窓からちらりと見ただけだが、小型の蜘蛛だけではなくもっと大きな――人間大の蜘蛛がいることも確認している。

 早く何とかしないと、とんでもないことになってしまう……確証はないがありすはそう直感していた。

 コール5回目でようやく電話が繋がる。


『ありす? どうしたの、まだ授業中じゃないの?』


 留守番電話にならなかったことに安堵しつつ、電話に出た母親に対してありすは、


「ん……ごめん、なさい。

 ちょっと、ラビさんに替わって欲しい、の……」


 下手に言い訳をせずに正直に目的を告げる。

 後で怒られる可能性はあるが、下手な言い訳をして突っ込まれると時間の浪費になってしまう。後のことはとりあえず今は考えないことにしたのだ。


『ラビちゃん? いいけど……』


 美奈子も、ありすが授業を理由もなくサボったり家に電話をかけたりするような子供ではないことを知っている。戸惑いつつも電話をラビへと繋いでくれる。


『”……ありす? どうかしたの?”』


 携帯から聞こえてくる、男とも女とも判断のつかない不思議な声色――まるで頭に直接響くかのような奇妙な声、間違いなくラビである。


「ラビさん……今、クエスト、来てる?」

『”え?”』


 これでもし討伐任務がきていない、となると一体どうすればいいのかわからなくなってしまう。

 そうならないように、とありすが祈りつつ尋ねると、


『”……ああ、一個来てるね。でも今は――”』

「どういうクエスト?」


 討伐任務があるということを聞くと、まだ授業中だから『ゲーム』はやらない、と言い掛けたラビの言葉を遮り内容の確認を求める。

 かつてないありすの勢いに、電話の向こうでラビが息を呑む気配がしたのがわかる。


『”……えっと……うわ、なんだこれ……”』


 任務内容を確認したラビが戸惑いの声を上げる。


『”「冥界の主を討伐せよ」――報酬30,000ジェム!? これは……”』


 ――間違いない、それだ。

 ありすは小さく頷くと、


「お願い、ラビさん……そのクエスト、今すぐ受けて」


 確固たる意思を込めてラビに懇願する。

 冥界の主――それが果たしてこの蜘蛛と関連しているのか、本当のところはわからない。

しかし、以前にありすが読んだ何かの本では、冥界や地獄と言った所謂『あの世』の支配者のアバターとして、『蜘蛛』のモチーフがあることが書かれていた。

 勿論、全ての神話や物語がそうなっているわけではない。が、今のこの状況を考えると、無関係であるとは到底思えない。


『”…………わかった。5分後でいい?”』

「ん……今すぐでも大丈夫」

『”そうか……じゃあ、すぐにでも始めるから、準備しておいて”』


 そういわれるや否や、ありすは図書準備室の隅っこに身体を横たえる。

 『ゲーム』中は完全に眠っているようなものだ。立ったまま『ゲーム』を開始すると、意識を失った身体が怪我をしてしまうかもしれない。

 授業中でも机の上なら居眠りしているように見えるが、いくら揺すられても目を覚まさないとなると大事になってしまうだろう。そう考えると、滅多に人の来ない図書準備室は学校で『ゲーム』を行うには最適の場所であると言える。


 すぐに二人はマイルームへと移動する。

 事情をのんびりと説明している余裕はない。


”それじゃあ、いくよ”

「ん!」


 ラビの宣言に頷くと共に、二人はマイルームの扉を潜り、『ゲーム』のフィールドへ移動する……。

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