第1章10話 ラビ・イン・アナザーワールド(後編)

*  *  *  *  *




 学級会も終わり放課後、後は帰るだけである。

 桃園台南小学校には『部活動』なるものはない。私の頃も小学校には部活はなかったと記憶している……部活は中学からだったか。

 時計を見ると今は15時少し過ぎくらい。ここから真直ぐ家に帰っても16時前には余裕で着く。今までは大体その時間に帰ってきていた。

 ありすは帰る前に図書室へと寄り、本の返却と貸し出しを行ってから下校するようだ。

 ……図書委員の仕事はいつするのだろうか? 当番制になっているのであろうが。


”ま、頃合か”


 ありすが帰る前に戻るとしよう。

 視界共有を打ち切り、私は急ぎ恋墨の家へと戻る。

 人間と違って道路を通る必要もない、密集する家々の屋根や壁を使ってショートカットすれば、全力疾走しなくても2分もかからない。

 特に問題なく恋墨家へと辿り着き、ベランダで待機しておく。

 ありすが来るまで、後7~8分といったところだろうか。彼女が戻ってくるまで、私はありすのことを考える。


 ――先にも思ったとおり、彼女はどこかがおかしい。日常生活を見てる分には『ちょっと変わってるけど、大人しいいい子』という印象だ。それは今日一日、学校での様子を見て私も思う。

 しかし、『ゲーム』のことを考えると……もちろん、おかしいと言っても『異常者』という意味でのおかしさではない。年齢以上に落ち着いているだけなのかもしれない。

 

 、それが彼女に感じるおかしさの大部分を占めているのだろう、と私は自己の思いを分析する。

 最初の日の出来事以外に危うさを感じることは今のところはない。感じることがないままなのが一番ではあるが……。

 ただ、彼女の強さの一端にこの危うさがあることも間違いないのだ。10歳であるとはとても思えない落ち着き具合と冷静な判断力、そしてアリスの時により顕著に現れる獰猛な攻撃性――


”うーん、悪い子じゃないのは確かなんだけどなぁ……”


 どのようにして彼女はああして育ったのだろうか。何か原因――例えば家庭環境とか――があるのか、それとも、生まれついてのものナチュラルボーンなのか……。

 ……私はありすのことを少しずつ知ってきている。今度は、ありすに私のことを知ってもらう番であろう――こことよく似た日本での私の話をする必要がある。

 でも信じてもらえるかなぁ……『ゲーム』の存在をあっさりと受け入れたわけだけど、私自身は『ゲーム』とは無関係な異世界からやってきたなんて荒唐無稽な話……。

 そんなことを考えていると、ベランダが家の内側から開けられる。ありすが帰ってきたようだ。


”お帰り、あり――”

「あら? あらら?」


 そこにいたのは、ありすではなかった――ありすの母親であった。


”に……にゃーん……?”


 とりあえず猫の真似をしてみた――




◆  ◆  ◆  ◆  ◆




 恋墨ありすという少女について、ラビを含め周囲の人間は誤解しているところがある。


(んー、ちょっと寄り道しよう、かな)


 下校前に図書館に寄って新しい本――何となくで手にとってみた小学生向けの伝記本だ――を手にした後、一度は校門まで来たものの気が変わって再び図書室へと戻る。

 家に真直ぐ帰って宿題をしたり、数日前に知り合った相棒ラビと共に謎の『ゲーム』に興じるのがいつもの日常だが、何となく今日は違うことをしてみる気分になった。

 勿論、帰宅が遅くなれば親は当然としてラビにも心配をかけてしまうので、あまり遅くならないようにする。

 特に、ラビに関しては家の外で待ってもらっているのだ、帰宅が遅れるほど外に締め出される時間が長くなってしまう。

 ちらりと図書室内の時計を見る。現在時刻は15時30分。ありすは16時に下校することを決める。

 たった30分ではそんなにたくさんの文章を読むことは出来ない。借りた本は後日読むこととし、30分の読書タイムは本は借りずに棚から取って読み、終わったら棚に戻すこととする。


「……んっ、これ」


 2分で軽く書棚を見回し、『これだ』ときた本を一冊手に取る。

 手に取った本は、小学校の図書館にある本としては大分専門的な……子供向けではない本格的な動物図鑑である。やや重めの大きな本を机に座って読み始める。

 1ページずつしっかりと読み込むわけではなく、写真を見て、動物の名前を見て、肉食か草食かだけを見て、次々とページを捲っていく。

 ありすは記憶力は悪くないが、見たものを一瞬で全て記憶する能力を持っているわけではない。ぺらぺらと捲っていくだけで内容を完全に理解できるわけでもない。

 であれば、何をしているのかというと――


(こういうモンスターが出てきたら、どうなるかな……どうするかな……)


 彼女がしているのは、動物の絵を見てそれに近い姿のモンスターが現れたら――という想像をしているのだ。本当にそういうモンスターが現れるかどうかはわからないが、『メガリス』『ギガリス』からして実際にいる生物に近いモンスターがいるのは間違いない。精度自体はそれほど高くはないものの、イメージトレーニングをしているというわけだ。

 ちなみについ先日、現実にはいないであろうドラゴンとも戦ったがそちらに関しては普段遊ぶRPGや狩りゲーの知識で十分だ、と思っている。




 ――周囲の人間は誤解しているところがある。

 ありすは余り表情を変えることがない。人によっては『無表情』とも言うし、『無愛想』とも言うし、『不機嫌そう』とも言う。ラビは『ぼんやりした』表情と思っている――おそらく、ラビの感想が一番ありす自身の感想に近い。

 そうしたありすの表情から、周囲の人間は概ね『クール』『感情表現が苦手』と言った印象を抱くだろう。

 そのイメージから敷衍して『大人びた』少女なのだろうと思うのだ。ありすに対していい印象を持っていない人間ならば、『何を考えているかわからない』と思うだろうか。

 ある意味では間違いではないのだが、その印象は『誤解』である。


「……んふっ……」


 幸いにして彼女の周辺に他の児童はいないため聞こえることはないが、時折声が漏れている。

 表情はあまり変わっていないが、微妙に口元が笑みの形に緩んでいる。

 ありすは特に動物が好きというわけではない。特別嫌いというわけでもない。

 それでも熱心に図鑑を読んでいるのは、モンスターの想像をすること、つまりは『ゲーム』のことを思い描いているのが楽しいからである。

 周囲の人間が思うほど、ありすは大人びた子供ではない。

 年齢相応かあるいはそれ以上に遊びやゲーム、娯楽に夢中なのだ。


(あぁ……次はどんなモンスターが出てくるんだろう!

 ドラゴンも出てきたし、もっと強いモンスターが出て来るんだろうなぁ……)


 そしてもう一つの誤解として『感情表現が苦手』というものがあり、引いては『感情に乏しい』と思われがちなところがあるが、これも完全に誤りだ。

 『表現が苦手』という点は当たってはいるが、『乏しい』わけではない。

 むしろ、表情にだしたり言葉にしないだけで、実際のところはかなり感情的な少女であると言える。表に出さないだけなのだ。

 視界を共有していただけのラビは気付けなかったが、授業中もほとんどは『ゲーム』のことを考えてすごしていた。

 想像の中で様々なモンスターを生み出し、それと戦う妄想を繰り返し、また魔法のアイデアを考えたりがほとんどだ。

 ――その上でそつなく授業をこなしていたのだから、やはり学力等は優れていると言える。


 今も表情にほとんど出ていないだけで、頭の中は『楽しい』という感情と見たこともない想像上のモンスターとの戦いに埋め尽くされている。

 『ゲーム』は普通のゲームとは違い、ダメージを受ければ痛みを感じるし、今のところは一度もないが『死亡』することだってある。

 初日にメガリスと戦った時の痛み、それにレッドドラゴンの吐き出した炎の熱は忘れてはいない。

 ……しかし、ありすは痛みを忘れてこそないが、恐怖についてはもはや感じてはいない。もはや感じていない、ではなく最初から感じていなかったのかもしれない。

 ラビの感じ取ったありすの『おかしさ』の一端はそこにあると言えるだろう。なぜ、ありすがそんな少女となったのかについては、不明ではあるが……。




 ――結局、ありすが図書室を出たのは16時20分になってからであった。

 細かく文章を読みはしなかったが、図鑑の全ページを捲ってしまったために、最初に決めた時間よりも遅くなってしまったのだ。意外とありすはルーズな面がある。


「ただい、ま……」


 学校と家の間は特に急ぎもせずにのんびりと歩いても10分程度だ。多少遅れたとしてもそこまで問題はない。

 ラビを待たせてしまったことを悪く思いながら、リビングかダイニングにいるであろう母親に声をかけ、それから二階の自室へ戻ってラビと共に『ゲーム』へと参加――そう思っていたありすであったが……。


「あらあら、そうなの~」

”ええ、全くあの時は大変でした”

「ん……んん?」


 リビングでにこやかに談笑する母親。それはいいのだが、相手がおかしい。


「あら、おかえり、ありす」

”おかえりなさい、ありす”

「え、と……?」


 感情を表に滅多に出さないありすであったが、母親とラビが仲良く談笑しているのには、流石に戸惑いを隠せなかった……。




*  *  *  *  *




「全く、驚いたぞ」


 いつものように討伐任務へと出かけ、アリスへと変身した後にそう言われた。

 何について驚いているかと言えば、当然――


「いつの間に母上と仲良くなったのだ?」


 私がありすの母親――恋墨美奈子さんと談笑していたことについてだ。

 ベランダで美奈子さんに見つかった後(割と自信があったのだが…直前にしゃべっちゃったから仕方ない、うん)誤魔化しきれずに連れて行かれたのだが、ありすを待っている間にいろいろと話し込んでいるうちに、いつの間にやら仲良くなってしまっていたのだ。

 ……いや、正直なところ、私もよくわかっていない。一見、普通の母親――驚くほど若く見えるとか、いわゆる『美魔女』とかではない、本当に『普通の女性』だ――なのだが……。

 まぁ私にとっては悪い話ではない。今までありすがいない間は外で待っているしかなかったのだが、母親公認で恋墨家に世話になることになったのだ。


”ありすが学校に行っている間に、ちょっとね”


 適当に言葉を濁す。というか、そうとしか私にも言えない。


”でもこれで美奈子さん公認で家にいられるから、ずいぶん助かるよ”


 初日にお腹空かないなーとか、疲れないなーとかは気づいていた私だけど、実は今の私は食事どころか睡眠すら必要ない体だったりするのだ。

 睡眠も食事も必要としないので家が必要だったわけではない。

 ありすを待っている間は暇ではあるものの、考え事をしたりあちこちを調べて回ったりやることはまだまだ山ほどある。


「そうだな。ふふふっ、これで『ゲーム』もやりやすくなるってもんだ」

”え、あー……うん、まぁそうなるかな”


 私としては眠れないで暇すぎる夜を過ごしやすくなるってことが一番の利点なんだけど……。

 恋墨家で公認になることで一番ありがたいことは、テレビや新聞、それにもしこの世界に存在していればだが、インターネットを使って様々な情報を仕入れることができる、ということだ。

 自分の足で調べられる範囲はたかが知れている。『ゲーム』の関係もあってそれほど遠くまでありすから離れることは出来ない。

 夜、ありすの部屋にしかいられないのでは調べものも出来ない。

 でも親公認なら皆が寝ている間にリビングとかで調べものをしつつ過ごすことも出来るようになる。これが一番のメリットだろう。

 この世界についてももっと調べないとわからないことは多いしね。

 ――もしかしたら、色々と調べればこのクソゲーから脱出するヒントが得られるかもしれない。まぁこれについては期待薄だけど。


「まぁ良いか。

 今はとにかく、討伐だ!」


 細かいことはどうでもいいとばかりにさっさとアリスは話を打ち切り、討伐任務へと心を馳せている。

 何にしても、まずは討伐任務を終えてからだ。

 今回の討伐任務はというと……。




 討伐任務 渓流に現れた謎の魔物を討伐せよ!

  ・討伐対象:???? 1匹

  ・報酬  :900ジェム

  ・特記事項:なし




 討伐対象のモンスターの名前がわからない。つまりは初見のモンスターとの戦いになる。

 メガリスやギガリスのような雑魚ならばいいが、討伐対象が1匹だけにも関わらず報酬が900ジェム、メガリスの9倍ともなるとそれなりの強敵だろうとは予測できる。

 流石にレッドドラゴン程の強敵ではないだろうが。


”アリス、油断はしないように”

「ふふ、わかってるって」


 勝てない敵というほどの差はないであろうが、油断して大怪我を負うわけにはいかない。

 私たちはいつものように《天脚甲スカイウォーク》で空を飛び、モンスターを探す。

 今回のフィールドは、メガリスといつも戦っていた荒野とは異なり、緩やかな山道に隣接した渓流である。木々もあり、ところどころに隆起した岩があり、更に少し道を外れると大きな崖や岩壁、小規模だが滝や小川もある。

 ハイキングをするのであれば気分のいい山道であろうが……。


”……視界があまり良くないな……”


 レーダーで大体の位置はわかるとは言え、実際に視界に収めないと戦えない。

 荒野はほとんど何もない場所だったので視界が開けていたが、流石に山道ではそうもいかない。

 レッドドラゴンみたいな巨体なら流石にわかるあろうけど姿が見えないということはもうちょっと小型のモンスターなのかな。


”アリス、右斜め前――ああ、森の中で少し開けている場所があるね、あそこら辺みたいだ”

「うむ!」


 山道から少し離れた森の中――そこに広場のようになっている場所が見える。レーダーはそこに反応している。

 私たちは一度森の中に着陸し、木陰から広場の様子をうかがう。


”……あれ、か……”


 そこにいたモンスターの姿を見て私は思わず顔をしかめる。

 全く見たことのない新種のモンスターではあるが……『それ』が何なのかは容易にわかった。


”うへぁ……気持ち悪いなぁ”


 一言で表すならば、『人間大にまで巨大化した芋虫』である。

 上半身(?)を持ち上げ、木へと圧し掛かってがりがりと木の皮をかじっている。体長は2メートルか、もっとあるか……。

 頭部からは蛾の触角のようなものが生えており、芋虫によくあるように巨大な『目』を思わせる文様が描かれている。

 もう一つの特色は、見た目は芋虫のようではあるのだが、全身の質感は生き物らしくない、金属のような――そう、芋虫型の『鎧』を思わせる光沢である。そう思うと、触覚のようなパーツは兜の飾りのようにも思える。

 仮称『メタルキャタピラー』とでも呼ぼう、未知の敵である。


”……アリス?”


 アリスの反応がない。

 ふと不安に思ったが……もしかして、アリスありすは虫が苦手だったりしないだろうか。

 そう思ってアリスの表情をうかがうと、


「……そうかー……こっち系統もありうるのかー……」

”??”


 虫が完全にダメというわけではなさそうだが、何とも言えない表情でそう呟いていた。

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