別れ

そして今、俺たちはこうして出会えた。

花はあの出掛けた日と同じ格好をして、本当に、あの時のままずっと一緒に居たような感じだった。

でも、彼女はずっと、俺のことを心配していた。

だからこうして、今も俺に申し訳ないと思っていたようだ。

「謝るのは…俺の方だ。お前を一人にしないって、言ったのに、…一人にしてしまった。お前の気持ちに気付かないふりして、行ってしまった。…どれだけ後悔しても、し切れないくらい後悔したよ。お前に、ずっと謝りたかった。」

そうだ、ただ俺は、謝りたかったんだ。

でも、あの世界は、謝ることすらも許してくれはしなかった。

時間はどこまでも無情だった。

それを聞いた花は、ひとつ、静かに言う。

「謝らないで、お兄ちゃん。その約束を破ったのは、私なんだから。…約束、守れないこと、分かってるのに、黙ってたの。ごめんなさい」

そう、彼女は謝る。

「違う。俺が信じたかっただけなんだ、あんな約束したのは。この先もお前と一緒に生きていけるって、信じたかっただけだったんだよ…」

自分の淡い希望が、花も、俺自身もを苦しめた。

…でも。

「でも、今度こそ、約束が、果たせる」

そう、ここは永遠の楽園なんだ。

もう離れることなんてない。

「これからずっと、一緒にいられるだろ。…だから、もう謝るのは終わりにしよう。一緒に、いつもみたいに、笑い合っていよう」 

そう言って、彼女に手を伸ばす。

しかし、花は手を取らなかった。

「花…」

彼女は黙った。さっきまでずっと吹いていた風は、しんと鳴り止んだ。

そして、ゆっくりと口を開いた。

「…お兄ちゃん。お兄ちゃんに、言わなきゃいけない事があるの」

少し俯いて、そう言った。

「何…だよ」

彼女は少し間を空け、ぽつりと言った。

「お兄ちゃんは、まだ生きてる」

「…え」

俺と、"てんし"の声が重なる。

「ちょ、ちょっと…それって、どういうこと?聞いてないわよ」

彼女が、慌てて光の塊に説明を求める。

それに対して光の塊は冷静に答えた。

「最初、彼が人の姿になった時、思ったんです。何故記憶がなくて、姿形だけがあるのか。それは、きっと、まだ地上と繋がっているからじゃないかって。意識だけが、体から抜け出て、ここへやってきたんじゃないか、と」

「じゃあ、なんでそれを先に言ってくれないのよ」

"てんし"が少し不貞腐れたように言う。

「記憶が、必要だったんですよ。ここへ来たばかりの、地上での記憶のない彼は、地上との繋がりはあっても、戻るきっかけがなかった。

自分が何者か分からない状態じゃ、戻るに戻れないでしょう」

と彼は返した。

おいおい、じゃあ俺が消えるってのは何だったんだよ。

そう思うも、答えた彼はすましたままである。

「…まあただ、記憶を取り戻した今、地上に戻るかどうかは、彼の意思次第なのですがね」

そう言って、彼はこちらを見た。

「地上と繋がっている、とは言うものの、正直わずかにでしかない。このままここに居れば、いずれ地上との繋がりは途切れるでしょう。

まあ、つまるところ、あなたはこのままなら死ぬと言うことです。生きたいと望むなら、今戻るしかない」

さらっと、彼は究極の選択を迫ってきた。

でも、そんなのもう、決まっているだろう。

俺が口を開き掛けたその時、花が言った。

「お兄ちゃん。わたしは、お兄ちゃんに生きてほしい。わたしが生きれなかった分、生きて欲しいの」

悲痛な目で、こちらを見る。

「勝手なことだって、分かってる。でも、

お兄ちゃんは、まだ死んじゃだめだよ。

だって、まだ、お兄ちゃんは、お兄ちゃんの人生を歩けてないじゃない。ずっと、過去に囚われているだけじゃない…!

…そんなの、だめだよ。お兄ちゃんの人生はお兄ちゃんのものなのに、過去のせいで、足を止めてしまうなんて。…お兄ちゃんにはまだ、

わたしにはなかった、未来がある。

それを、自分から手放しちゃだめだよ…!」

彼女は、そう必死に俺に語りかけた。

「でも、俺は全部失った。大切なものを、全部失ったんだよ!…そんな俺に、生きる意味なんて、何もない」

ずっと俺は、失ってばかりだった。

あの世界は、俺から大切なものを全部奪っていく。

「あの世界では何をしたって、全部奪われる。結局、失ってしまうんだ!」

つい声を荒上げてそんな事を言ってしまった。

だが、そんな俺に、彼女は強くこう言う。

「奪われたなら、見つければ良いじゃない!

失ったなら、また作り出せば良い!

それができるの、未来があれば…!!

…今、お兄ちゃんが死んでしまえば、ずっとこのままだよ。失ったものは、帰ってこない。

当然、これから起こり得たことも全部、起こらない。これから出会えるかも知れない人とも、出会えないし、変えられるかも知れないことも、変えられない」

その言葉に、はっとさせられる。

花は、生きたかったのだ。誰よりも。

生きていれば出来たかもしれないことを、

彼女はもう今はどうやってもできない事を知っているのだ。

「捨てないで、今自分が持っている、未来を」

花は今にも泣きそうになりながら、強く、訴えた。 

俺は迷った。

このまま本当に死んでしまっていいのかと。

…でも、俺に、未来を変える力なんて、あるのだろうか。

「何もしなくても、世界は変わっていく。お兄ちゃんが居るだけで、世界はなんらかの影響を受ける。それが、生きてるってことなの…!

…あなたが生きているだけで、変わっていくんだよ、未来は」

そう、優しく諭すように花は言った。

その言葉に、俺は少しだけ希望を貰えた気がした。

ふと気づくと、心なしか、花の体が、薄れていくように感じた。

「花!」

名前を呼んでも、彼女はどんどん薄れていく。

「でもごめんね。失ったものは変えられない。前を向いて生きるしかないの。…わたしは、このことを言うために、ずっと待ってた」 

くぐもっていく声を、必死に聞き取る。

「花…!」

手を伸ばしたが、触れることはなかった。

「お兄ちゃん、わたしはもう大丈夫だよ。

わたしは消える訳じゃない。ちゃんと、この世界の記憶として、残るから。わたしが生きてたって事実は、消えないから。…ずっと、待ってるから安心して。お兄ちゃんが変えた未来の話、楽しみにしてるね───」


その言葉を最後に、彼女は光になった。

その光を、"てんし"は、愛おしそうに抱いた。

そして、初めに俺が聞いた、あの歌を歌った。

不思議と懐かしく、どこか…遠い故郷を思い出させるような、そんな調べを、彼女は透き通る声で響かせた。

そして、彼女の抱いた光は、淡く、この世界に溶けていった。

その残滓を、優しい瞳で、彼女は見守った。

ああ、花は…この世界に、還ったんだな。

何故か、そんな風に俺は理解した。


余韻が消えた後、"てんし"はゆっくりと、こちらを見た。

「…それで、あなたはどうする?このまましばらくここにいて、彼女と一緒になりたい?」 

意地悪くも、さっきの話の後に、そんなことを聞いてくる。

「…いや、戻るよ。地上とやらにさ」

そう言って、俺は拳を握った。

「あいつのためにも、…俺のためにも、

もう少し、生きてみるよ」

そう言いながら、彼女に笑って見せた。

「…そう。分かったわ。

…また、私にも、地上での話、聞かせてね」

彼女は、少し微笑んで言った。

「ああ、分かったよ」

そう、一つだけ返事をした。

「…じゃあ、神殿へ戻りましょうか。地上に戻るなら、あそこがいいわ」

気を取り直したように、明るく彼女は言った。

「では、いきましょうか」

あの光の塊もそう言った。

「ああ、分かった」

もう進み出した彼らの後を追いながら、俺もそう言った。

「…ところで、神殿ってどっちだったっけ?」

突然、彼女が立ち止まっていうので、光の塊は、呆れたように、ため息をついて、

「…こっちです」

と先頭を行った。

そんな様子を見て、こいつら、仲良いな、と少し思った。


初めに俺がいた、あの神殿に着くと、"てんし"は神殿の中で流れている水を指差した。

「ほら、ここ。ここが、唯一、地上と直接繋がっている場所よ」

指された場所を見てみると、確かに、ずっと下の方まで水が流れているのが見えた。

「ここから行けば良いのか?」

と尋ねると、

「そうよ」

と一言返って来た。

俺は水の流れる穴をじっと見つめた。

「ただし、しっかり、地上の自分をイメージして。自分を見失わないようにね」

そう彼女は釘を打った。

「分かった」

そう返すと、俺は大きく息を吸った。

次々と思い出した記憶たちを、胸に受け止める。少しだけ、ちくりと痛むが、なぜか今は、それらが背中を押してくれているように感じた。


「…それじゃあ」

そう言って、俺は、その穴に足をかけた。

だんだんと視界がぼやけ、歪んでいく。

「がんばってね」

最後に、そんな声が聞こえた気がした。

徐々に、何かに吸い込まれていくような、引力に引かれていくような、そんな感覚を覚えた。

そして、俺の視界は真っ暗になった。


どんどん何かに引かれていくと、急に全身に重みを感じ、視界がだんだんと明るくなった。

ぼんやりとしていた風景は、次第にくっきりと見え始め、今自分が見ているのは白い天井だということに気が付いた。

手を持ち上げようとすると、思っていたよりもずっと重く、ゆっくりと手を上に挙げた。

腕には、何かチューブのようなものが付けられており、何かを注入しているようだった。

「…こ、こは」

声を出そうとするも、うまく出ない。

隣からは、ピ、ピ、と継続的に機械音が流れていた。

…そうか、ここは病院か。

ようやく理解する。

だが、まだ頭はぼんやりとしていた。

右前方に見えるドアから、失礼します、と看護師らしき人が入って来た。

寝ていたはずの俺と目が合い、慌てた様子で部屋を出ていった。

その後、医者らしき人がやって来て、名前は分かるか、自分がどう言う状況か説明できるか、など色々質問されたが、まだはっきりしない頭で頑張って答えた。

どうやらその結果、記憶や意識の障害はなしと判断されたようだった。

また細かい検査は後ほど、と言われ、彼らは部屋を後にした。

まだ薄ぼんやりと、さっきまで見ていた光景を思い出す。やはり、俺は一度死んでいたんじゃないだろうか。

もしそうでなければ、あれは夢なのか。

どちらにしろ、もう、あそこには戻らない。

次にあそこに行くのは、俺がこの人生を生き切ったときだ。

目を瞑り、彼らの言葉を思い出す。

大丈夫、この先、俺がどんなに変わったって、世界がどんなに変わったって、あそこで、彼らは待っている。

過ぎた時間も、消えることなく、そこにあるから。

もう変わることを、恐れたりなんかしない。

失ったものばかり、見ることもしない。

進もう。彼らの分まで。

そう俺は、決意した。

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