再会
ケイタが指差した先へ進むと、あんなに深く入り組んでいると思っていた森を、すぐに抜ける事ができた。
森を抜けた先は、また広い草原が広がっていた。
先の方には、小高い丘があった。
そこらに色とりどりの花が咲き乱れている。
ふと見ると、あの丘の上に、人影のようなものが見える。
「あれだわ、きっと」
そう少女が言った。
俺も、そうだという確信があった。
俺たちは手を繋いで、
風の通り抜ける草原を足早に歩いた。
丘を登ると、そこには、
あのフラッシュバックで見た、麦わら帽子を被った白いワンピースを着た少女と、
あの名無しの魂がいた。
何かを話していたようで、こちらに気が付いたのか、その少女はこちらに手を振った。
俺はその少女の元へ駆け寄った。
俺たちは、少し間を空けて、彼らと向き合った。
「ここに居たのね、あなた。…全く、先に言ってよね」
隣で"てんし"が光の塊に向かって言う。
「心当たりがあったもので。…まあでも、確信はまだ持てませんでしたから」
少し言い訳気味に彼は言った。
「まあ良いわ。…それで、あなた達」
そう言われ、改めて目の前の少女と向き合う。
ああ、そうだ。この子は間違いなく。
「お兄ちゃん…」
彼女は第一声に、そう言った。
「…花」
そう言うと、彼女は頬を綻ばせ、少し泣きそうな顔をした。
「ほんとに、お兄ちゃんなんだね」
確かめるように、彼女は問う。
「ああ、そうだよ。
…俺は、お前の兄、"相田宗介"だ」
やっと思い出した、自分の名前。
そして彼女の名前は「相田花」。
大波に故郷を奪われた俺に、唯一残された、とても大切な宝物だった。
だがそれすらも、世界は俺から奪っていってしまった。
「…お兄ちゃん一人、置いて行ってしまって、ごめんなさい」
花が少し目を伏せて言った。
「…!お前は何も悪くない」
そうだ。本当は分かっていた。
あの災害が起こる日、花の見舞いに行った時。
医者が、この子が大人になるのは、難しいかもしれないと、言った事。
だから、それから8年後、花の10歳の誕生日を祝った日、雑誌に載っていた隣町の花畑に行きたいと言うので、一緒に出掛けた、あのよく晴れた春の日。
昔から体が弱かった花が、珍しく俺の手を引いて走ったあの時、不覚にも、思ってしまった。
このままずっとこうしていられるんじゃないかと。
あまりにも彼女が元気そうにしていたから、
ついそう思ってしまったのだ。
俺が二十歳になって、あの忌わしい家から花を連れ出して、ようやく、俺たちの人生を歩める、俺たちはここからなんだって、
そう、思っていたからこそ。
日も傾いて、穏やかな風が吹く草原で、二人で海を眺めていたそのときに、花が、
「このまま、ずっとお兄ちゃんといられたら良いのに」
と、ぽつりと呟いたその一言が、どんな意味であったか、その時の俺には分からなくて、
「俺はお前の元から離れないよ。絶対。お前が嫌って言ったとしても、お前の側を離れたりなんかしない。俺たちは、二人で、一人だから。…そうだろ?」
なんて言って、彼女が少し顔を翳らしたことにも気付かなかった。
そしてその数日後、花が熱を出したときも、季節の変わり目だから風邪を引いただけだと思っていた。
その日も仕事があったので、家を出るギリギリまで側について、今日は頑張って早く帰ってくるからと、そう言い残して仕事に向かった。
思えば、なんでもっと、花の異変に気づいてやれなかったのだろうか。
俺が仕事に出る直前、握っていた手を離した時、花が、もう少しだけ居てほしいという気持ちをぐっと我慢して、気丈に
「いってらっしゃい」
と俺を送り出したことを、俺は気付いていたはずなのに。
もっと早く帰ってくるつもりだったのに、家の前に着く頃にはもう空は暗くなっていて、鍵を開けて家に入ると、まるで人の気配がないかのように部屋はしんとしていた。
明かりを付けないまま、寝室を覗いて、
「…花、ただいま。ごめん、もっと早く帰るつもりだったんだけど、急用が入ったせいで中々帰れなくて…」
そう言いかけて、俺ははっと異変に気付いた。
暗くてよく見えなかったが、花は確かにそこで寝ていた。だが、何か「存在」のようなものを感じなかった。
「花…?」
呼びかけるも、返事はない。
ただの早とちりかも知れない。ただぐっすり眠っているだけかも知れない。そうは思っても、早まっていく鼓動は抑えられなかった。
「花!」
俺は慌てて駆け寄り、布団をめくって花の手を握った。
だが、彼女の手はすっかり冷え切っており、
…脈はとうに事切れていた。
息が出来なかった。
俺はただ、力無く脱力する他なかった。
花は、もうそこにはいなかったのだ。
俺はそこから、どうして良いか分からず、ただ放心状態に陥った。
やがて日が出て、少し照らされ明るくなった部屋には、彼女の亡骸と、うなだれ、動けなくなった俺だけがいた。
とうに仕事の時間は過ぎていて、何件も俺の携帯には上司や同僚からの連絡がひっきりなしにやってきた。
日が傾き、近所の子供がふざけながら騒がしく家路についているのを聞いた。
しかし…俺は動けなかった。いや、動きたくなかった。
動いてしまえば、このまま俺が日常の中に戻ってしまえば、花を失ったことを認めてしまう様な気がして、何も出来なかった。
そして、俺は、ふらふらと、何故か彼女の亡骸を連れて、気が付けば、あの花畑に佇んでいた。
ここにいれば、ずっとあの時が続くはずだ。
訳も分からず、そう信じて、花の肩を抱いた。
あの時綺麗に咲いていた花々は、もうしおれていた。
それが一層、過ぎていく時間を思い知らされる。
いたたまれなくなり、ふと、海の方を見て、思う。
この海は、俺の思い出を全て流した。でも、
今は、いつもと変わらない様な顔をして、
そこにある。
俺も、過去に起こったことなんて忘れて過ごせばいいのだろうか。
そう思いかけて、いや、無理だ、と呟いた。
故郷を奪われ、花を失った俺に、もう生きる力なんてない。
だから、こうして、ここにいるんだ。
そう開き直り、少し考えた。
あの海へ行けば、彼らの元へ行けるだろうか。
あの場所で、今度こそみんなと一緒にいられるだろうか。
向こうの世界は、永遠の園だと、誰かから聞いたことを思い出す。
今なら、行ける気がする。
この気持ちが収まらないうちにと、海へ駆けた。
春先の海は、まだひどく冷たく、入ると心臓がきゅっと握り締められたように苦しくなった。
それでも、俺はどんどんと奥へ奥へ入って行った。
花を背負って。
「…いま、行くからな」
一度離してしまった手を、今度こそ離さないようにと、彼女の手を強く握りしめ、俺は水の中を漂った。
また会えるようにと願って。
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