世界の声

彼らの後をついて行くと、さっきまでの神殿のような建物はなくなり、森のような場所を抜けて、広い草原に出た。

風がひどく吹き、草花が海のように波打っていた。

「少し様子が変ね。やっぱりあなたのせいかしら」

そう言いながら彼女はこちらをちらっと見た。

どう答えるか戸惑い、たじろいでいると、彼女はそれを気にも留めずさっさと進んでしまった。

急いで追いかけると、彼女は、赤い花々の咲いている場所に突然座り込んだ。

何事か、と覗き込んでみると、何やら花に向かって何かを呟いていた。

そして、ちょっと、とこちらに手招きされて、呼ばれるまま彼女の隣に座り込んだ。

「…そう、この人。見覚えない?」

まるで人に話し掛けるように話すので、少し驚いた。

もちろん花が話し出す訳がないし、こちらから見れば何も反応はないのだが。

彼女は何を聞いたのか、なるほどね、と呟いて、再び立ち上がり、スタスタ歩き始めた。

「ちょ、ちょっと、どこに行くんだよ」

慌てて立ち上がりつつ尋ねると、

「丁度いいところを思い出したから、今からそこへ行くわ」

そう言い、彼女は軽く跳ねるように走り出した。

翼でも生えているかのような身軽さで白いワンピースをはためかせ駆けて行く彼女を必死に追いながら、ふと自分が不思議と疲れていないことに気づいて、改めて自分は死んでしまったのだと実感させられた。


どこかで無くした、自分の記憶。

自分は一体、何者だったのか。

と、その時、突然地に強く引きつけられるような感覚を覚え、立ち止まる。

なんだ、と思い前を見ると、遠くに"あの子"を見つけた。

麦わら帽子を被り、白くまばゆいワンピースをはためかせ、こちらに手を振っている。

「お兄ちゃん」

その声が空間に響き渡り、耳の裏で反響する。

風が強く吹き、花びらが舞い上がった。


──気付くと、もう”その子"はいなかった。

代わりに、あの少女がそこに立っていた。

「ちょっと、大丈夫?」

心配そうに駆け寄ってきた彼女は、俺の顔を覗き込むように見た。

さっき見えたあの女の子は…きっと彼女ではない。

一体、誰だったのだろう。

俺を、"お兄ちゃん"といったあの子。

これは、もしや「フラッシュバック」的なやつなのだろうか。

もし仮にそうだとするならば、あの子は俺の妹、なのか。

そんな事をブツブツと考えていると、彼女が

「何ぼーっとしてるの?はやく行くわよ」

と言って手を引いて来た。

「ああ、うん」

そう答え、手を引かれるままに歩き出した。


「あれ、そう言えば、あいつはどうしたんだ?」

俺は手を引かれながらはたと気付いた。

「あいつ?」

少女が聞き返す。

「ほら…あいつだよ。あの浄化がなんとかって言ってた…光の塊みたいなやつ」

アレを言葉でどう表していいものか悩んだ。

「ああ…名無しの魂さんのことね」

少女はそう答えた。

「…魂ってことは、あいつも人間なのか?」

俺はふと浮かんだ疑問を口にした。

すると、

「あいつはね…あなたと同じように、自分の記憶が無いのよ。自分が人間だったかどうかも分からないらしいわ。まあ私は人間だと思ってるけど」

と意外な答えが返ってきた。

色々聞いていると、どうやら、その名無しの権兵衛とやらは、彼女のサポートがしたくて一緒に居るらしく、あまり自分のことについて知ろうとしないらしい。

「私からすれば、ありがたくはあるんだけどね」

少女は少し言い淀む。

なにやら複雑な関係らしい。

「それで…あいつなら、さっきわたしに、"少し気になるところがあるので行ってきます"とかなんとか言って、どこかへ行ってしまったわ」

彼女は呆れたように言った。

それを聞いて、結構自分勝手な奴なんだな、と俺は苦笑いした。

そんなこんなで歩いていると、俺たちは、泉のような場所にたどり着いた。

「ここ、覗いて」

そう彼女が言うので、言われた通りに泉を上から覗き込んでみた。

さっきまで振動一つなかった鏡のような水面が、覗き込んだ瞬間、ゆらゆらと波紋を作って広がっていく。

そしてだんだんと、俺が見ていた場所以外でも波紋が一つ、二つとできて広がっていく。

その様子を見ながら俺は、

「なあ、結局これで何が分かるんだ?」

と彼女に聞いた。

彼女は、

「これは記憶の泉と言って、この波紋たちが、魂の記憶に呼応してその記憶のイメージを映し出すの。…あなたの場合はどうか分からないけど」

そう言いながら、様子を確認して、あっ、と何かに気付いたような素振りを見せた。

水面は沢山の波紋によって複雑な形を作り出していた。俺にはなんだかよく分からなかったが、彼女は何か分かったのか、すっと黙り込んでしまった。

「…沢山の声が、あなたを呼んでいる理由が分かったわ」

幾分かの間の後、一言、彼女はそう呟いた。

そこで俺はずっと気になっていた事を口にした。

「…なあ、その、"声"ってのは何なんだ」

それを聞いた彼女は、ああ、そう言えば、と

「私は、この世界に蓄積された魂たちの記憶をそう呼んでる。私が呼び掛けると、世界が応えて、その記憶を教えてくれるの。だから、さっきみたいに、この世界に話しかけて、あなたについての手掛かりとなる記憶が何かないか聞いていたのよ」

そうどこか遠くを見つめながら話した。

そして俺の方に向き直り、

「それで…一つ、分かった事があるのだけれど」

と、えらく勿体ぶって言った。

「…何だ?」

答えるよう促すと、彼女は少し息を吸い、

ためらいがちに言った。

「水面の中に、沢山の人たちを失う映像を見たの。…巨大な波に、何もかもが飲まれていく、そんなイメージをね」

巨大な波──その言葉を聞いて、もうあるはずのない心臓が、どくんと波打ったような気がした。

「まるで…いつかどこかで見た、"ノアの方舟"という物語のようだったわ」

ノアの方舟というワードに、かすかに既視感を覚える。

すると突然、耳鳴りのような音とともに、強く何かに引きつけられるような感覚を覚えた。

どこからか、轟くような地鳴りの音と、バキバキと何かが薙ぎ倒され、飲まれていく音が聞こえてきた。

視界はどんどんぼやけていき、辺りには黒い波が広がっていった。

よく見ると、樹木、電柱、家、人、色んなものが、波の中に漂っている。

ああ、ここはきっと───


「──…ねえちょっと!……大丈夫?」

少女の声で、はっと我に帰る。

「あ、ああ…」

答えはするが、まだ頭は朦朧としていた。

「もしかして、何か思い出したの?」

食い気味に尋ねてくる彼女にやや押されつつ、ゆっくりと、今さっき見たものを答えた。

「……君の見た光景が、今、目の前にありありと浮かんできたんだ。沢山の、街にあったはずのものが、全部なにもかも黒い波の中にあった。でも、不思議と懐かしい感じがしたんだ。あれはもしかしたら…」

そこまで言って、口を噤んだ。

今自分が言おうとしたことが、思い出せない。

まるで、思い出してはいけないと、誰かが止めているかのようだった。

そんな俺の様子を見て、彼女は考え込んだ。

「…新たな手掛かりになり得そうな場所が一つあるわ。…でも、そこは強い負のエネルギーが溜まる場所だから、今のあなたじゃ…無理かも知れない」

そう、彼女は呟くように言った。

それでも、俺は、何故だか分からないが、そこに行かなければならないような気がした。

「いや…そこに連れて行ってくれ」

俺は強い眼差しを少女に向け、覚悟を示した。

その様子を見た彼女は、はぁ、と一息ため息をついて、

「本当に行くのね?…分かったわ。でも一つ約束して。…絶対に私の手を離さないで。もし離してしまったら、あなたはきっと引き込まれてしまうから」

引き込まれる。その言葉の真意の程はよく分からないが、おそらく彼女がためらうほどの、

強い何かがそこにあるのだろう。それでも、

行かなければいけない。そんな気がした。

もう視界は晴れている。

「分かった」

そう一言言うと、少女は頷き歩き始めた。

俺も確かな足取りでその後を追った。

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