楽園
誰かの歌声が、どこからか聴こえる。
なんだか不思議と懐かしく、安心するような
気がした。
もっと聴いていたい。
そう思ったが、
なぜか身体はそれを拒むようだった。
意識が溶けるような感覚を覚えた瞬間、
何かが弾けるように意識が戻った。
────…ここはどこだ?
視界がパッと明るくなり、見えたのは、知らない誰かの顔だった。その人は、さっきまで聴いていた歌を歌っていた。
俺の様子に気付いたのか、彼女ははっと歌をやめた。
「…これは」
どこからか彼女のでは無さそうな声が聞こえる。
「…驚いたわ」
歌を歌っていた彼女が言った。
「まさか人の姿になるなんて…」
またもう1人の声が言う。
「これが…人間」
彼女がそう呟く。
何やらジロジロと見られている状態に耐えられず、俺は思わず起き上がる。
ゆっくりと声のした方に顔を向けると、そこにはあどけない顔をした、白いワンピースを着た少女と、黄色く光るふわふわした塊みたいなのが浮いていた。
彼らはまた驚いた様子でこっちを見てくる。
起き上がった視点から推測するに、どうも自分はその少女の膝で寝ていたようだ。
何が起こっているのか分からず俺は混乱した。
「こ、ここは一体…」
そう訊くと、少女は優しい柔らかな声で、
「ここは"楽園"よ」
と一言呟いた。
「"楽園"…?」
その言葉があまり聞き慣れず、思わず問い返してしまう。
「そう、"楽園"。地上に生きる者たちの、"還る場所"。」
──その言葉を聞いて、直感的に理解した。
俺はきっと、死んだんだ。
つまり、ここはあの世で、彼らは死後の世界の案内人と言ったところか。
独り合点が合って納得していた俺を、彼らは不思議そうに見つめていた。
「…それにしても驚いたわ」
そう、少女が呟く。
「その…それは、地上での姿、なの?」
恐々と、彼女は尋ねた。
そう言われても、自分でも分からない。
今更、自分が何者であるか、何もかも忘れていることに気が付いた。
「分からない」
そう、答えるしかなかった。
「何か、地上でのことは、覚えてる?」
彼女が尋ねるが、俺は力無く首を振るしかない。
「そう…」
彼女は少し驚いたような表情を見せ、すっと目を伏せた。
一方で、黄色い光の塊みたいなのは、ずっと何か考え込んでいるようだった。
二人の会話が途切れて、少し間が空いたのを見ると、ようやく口を開け(とはいえ口らしいものは見当たらないが)
「…つまり、君はここに来る途中、地上での記憶を無くしたんだね」
と一言言った。
「そう、なのかもしれない」
そう答えると、光の塊はまた少し考え込み、
「正直困るな」
と呟くように言った。
「このままじゃ、"浄化"ができない」
"浄化"という、これまた聞き慣れない単語に、再び困惑する。
「その…浄化って、どういう」
その問いに、彼?は間髪入れず答える。
「魂をこの世界に還す為の儀式さ。地上で染み付いた穢れを"浄化"して、純粋な記憶のみを残しこの場所に魂を還すんだ」
「…はあ」
いきなり難しそうなことを言われ、理解が追いつかないまま、彼が続けてこう言った。
「つまり、君自身の人格は無くなる。消えるんだ」
は…?消える?
唐突に訳の分からないことを言われ、混乱する。
「なんで…き、消えるってどういうことだよ」
少し声が震えた。
「なぜかって?簡単なことさ。人格ってのは、地上に魂が入る為の器、つまり肉体に依存しているものだから、当然、肉体から解放され、ここへ来た魂達に、人格なんてもう必要ないんだよ」
平然とそう言ってのけるその様は、あたかも当然といった感じだった。
俺は何も言えず、ただ黙ることしかできなかった。
そんな俺を見て、光の塊は静かに続けた。
「でも、君は、その人格だけを持ち、記憶を失っている」
心底呆れたと言った風に彼は言った。
「このまま"浄化"してしまえば、君は何もかも消えるだろう。存在しなかった者としてね」
その言葉を聞いた瞬間、血の気が引いていくような感覚を覚えた。
存在自体が消える。
自分が、消える。
その事実は、とても受け入れられるものではなかった。
「君に出来ることは一つ。記憶を取り戻すことだ」
そう彼は諭すように言った。
「どうやって…」
「彼女なら、君の記憶のヒントになる情報を掴めるかも知れない」
そう言い、光の塊は黙って話を聞いていた少女のそばに近寄る。
「"世界の声"を聞いてほしい、ってことでいいかしら?」
物知った顔で、少女はそう答えた。
"世界の声"というまた分からないワードが出てきたが、問い出す間もなく、彼らは話を続けた。
「ええ、そうです」
「…はあ、まったく。貴方も随分と、私の扱いが雑になってない?」
呆れたように少女が言う。
「まあ、それも私の仕事ですから」
彼は軽く笑って流した。
自分よりも幼く見える少女と、黄色い変な光が喋っている光景というものは、なんとも奇妙だと思った。
実はこれは夢なんじゃないかと、自分を疑ってしまいそうになる。
そんな事を考え、ポヤっとしていると、彼らはさっさと立ち上がって、
「ほら、行くわよ」
と言い、着いてくるよう視線を送ってそのままスタスタと歩き出した。
まだ聞きたい事は沢山あるが、取り敢えず急いで彼らの後を追うことにした。
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