第2話 誤魔化す

私の人生や考え方の根底には絶対に幼少期・学生時代が大きくかかわっていると思う。

今でも父・そして母を恨んでいる理由。そして私は私のことを否定するようになったのも、この時代を越えたおかげ…せいである。


物心がついた後の私はとってもやんちゃだった。いや、元がやんちゃだったというか、両親に興味を持ってほしかった。無意識ではあるが、見てほしいという気持ちがあったのだろう。


でもその願望は永遠に叶わなかった。

私が生まれて約一年後、私には弟が出来た。

弟はいつも困った顔をしているような眉毛を持っていた。

可愛いと思う反面、とても憎たらしかった。


幼少期の私はこの弟に母をとられた。

弟は母に抱っこされてなかったら泣く。

私はお姉ちゃんだから我慢しろと言われる。

子どもながらに不満はあったが、私が食い下がれば母は私を怒るので、私は母に甘えることはしなくなったし、母に対する信頼はしなかった。


私には相談が出来る家族がいなかった。


父親は?と思われるかもしれないが、私の人生が狂ったのは人のせいに出来るのだとしたら、この父親だといっても過言ではない。


私は父によく怒られた。

原因はもうよく覚えていない。もともと記憶力は良い方ではないが、ほとんど覚えていないのである。


だけど何個か覚えているものもあるので今回はそれを抜粋してお話していこうと思う。


私は小学校4年生頃からバスケットボールクラブに所属していた。

自分からやりたいと言っていたわけではなく半ば強制的に加入させられたのだ。


きっかけは理由はあまりにも体力があり余り過ぎて、当時住んでいた市営住宅の敷地内で暴れくるっていたから。本来であれば登れない3階建ての場所を排水溝を伝ってよじ登っていたこと。

今考えればめちゃくちゃ危険なことだと思うけど、子供なりに理由があって、鍵を家に置いたまま学校に行って、両親は共働きだったから在宅しておらず、家に入るために鍵のかかっていない部屋にベランダから入るためにやっていた。


それなら親に連絡すればいいじゃないか?と思われるかもしれないが、当時は携帯電話が普及したばっかで親しか携帯電話を持っていなかったことを始めに連絡をとる手段がなかったこと、そしてこの当時スイミングスクールにも通っていたので、家に入れないとバスの送迎時間に間に合わず、行くことができなくなることに問題があった。どの方法をとったとしても怒られるので、子どもの頃の私は、いかに怒られないように誤魔化すかが生きるために必要なスキルだった。

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