終章④
眼鏡屋に到着すると店主は番台で茶を飲んでいた。
「商売をしている気配がないな」
扉を開けて入るなり開口一番に證が言うと、店主の不審そうな目がこちらを見る。
「なんだ
「そちらが呼んだのだろう?」
「そうだったか? ああ、お
「ありがとうございます。とてもよく見えるようになりました。すごいんですよ、ご飯が良く見えるようになったので食事に困ることが減りました」
「そうか、そうか。そりゃあ良かった。さあて、ちょっとこっちに来て見せてみな?」
「はい」
芽衣胡が眼鏡を店主に渡すと、店主は眼鏡のガラスを磨いてそれから金具の調子を見た。
それをまた芽衣胡の顔に戻すと、微調整をする。
「不具合はないようだな。よし、大丈夫だ!」
「ありがとうございます」
「よおく見えるようになってあいつの顔は怖くはねえか?」
「あいつ?」
「坊だ」
「證様ですか? 怖くはありませんよ。見えても見えなくても変わらずお優しい方です」
「もういいだろう。終わったのなら帰らせてもらう」
不機嫌そうな證の声に、芽衣胡は何か失礼なことを言ってしまったかと考える。
「なんだ、耳赤くしてよお」
店主の指摘に證はさっと踵を返した。
「芽衣胡。帰るぞ」
「はい。ありがとうございました。失礼いたします」
「おお、仲良くな!」
店主に頭を下げた芽衣胡が證の後ろに戻ると確かに耳のあたりが赤く染まっているように見えた。
眼鏡屋を出ると次に菱越百貨店に向かう。
前の時と同様、昇降機に乗って四階の婦人服部へ。
前回は初めて足を踏み入れた百貨店に圧倒された芽衣胡だが、今日は眼鏡をかけているからだろう。良く見えるお蔭で、前回よりももっと圧倒されている。口をあんぐりと開けて見回す芽衣胡の足は止まってしまった。
「芽衣胡」
證の呼びかけで意識が戻された芽衣胡は謝りながら駆け寄る。
婦人服部に入ると前回対応してくれた女性店員が顔を明るくする。
「松若様!」
「今日も妻の洋服を仕立てたい」
「はい、では奥へどうぞ」
店員は奥にあるソファに證を促し、芽衣胡には別の店員がついて採寸に向かう。
「次は夏物でしょうか?」
ソファに座った證に店員が
「ああ、そうだな。夏用も必要か。取り敢えず急ぎで春物と、そのあとで夏物を仕立てて欲しい」
「凝った
「ああ、頼む」
「前は黄檗でしたので今回は浅緑のこちらのお色はいかがでしょう?」
店員が出したのは薄い緑色の生地で、新緑が風に揺れるような涼しさがある。
「こちらに白いレースを合わせると素敵ですよ。きっと淡いお色がお似合いでしょうから桃色や空色でも良いかと思います」
「證様?」
奥から出てきた芽衣胡の声に證は首を横に向けた。
「採寸は終わったのか?」
芽衣胡は首肯する。
「こちらに来なさい」
「はい」
證は芽衣胡を隣に座らせて前に並ぶ生地を見せる。
「どれがいい?」
出してあるのは浅緑、桃色、空色。しかし壁一面には色とりどりの生地がたくさん置いてある。
「ええと……、どれも素敵で選べません」
「芽衣胡の好きな色は?」
「好きな色ですか?」
芽衣胡は真剣に悩む。
ぼんやりとしか見えていなかった時ははっきりした濃い色が好きだと思っていたが、眼鏡をかけてからは淡い色にも味わいを感じるようになっていた。
首を右から左へゆっくりと動かす。
その中で何となく目に留まった色があった。
「あの黄色」
芽衣胡はそれを指さす。
「あれは――」
「あちらはドレスに使用した生地でございますよ」
店員の言葉を聞いて芽衣胡は、そうかと得心した。目に留まったのはパーティーのために證が用意してくれたドレスの生地だったから。
しかし華奈恋と入れ替わった芽衣胡は一度も袖を通してない。
「あの色が好きなのか? ならば春物、夏物それぞれをあの生地で仕立ててくれ」
「かしこまりました」
「他にはないか?」
「はい」
「ではそこの三つの生地でも春物を仕立ててくれ」
「はい。夏物はいかがいたしましょう? 青と白の縞模様などは夏らしいお色でおすすめいたしますが?」
店員が壁面の棚から生地を持ってきて二人に見せた。
「芽衣胡はどう思う?」
「良いと思います」
「本当に良いと思っているのか?」
「……本当は、分かりません……」
涼しい色だとは思うが、自分に似合うかどうかは全く分からない。
「何が好きか言わなくては店の者に任せることになるぞ?」
「わたし、自分に何が似合うのか分からないので色々なものを着てみたいです!」
「ということなら、店に任せよう」
「かしこまりました」
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