20.結びの証⑥

 万里小路からの謝罪を受け入れた松若は、新たに芽衣胡を嫁として迎え入れた。


 騙していたことには、案の定マサが憤慨したが、芽衣胡の境遇を聞いて同情したのだろう『酷い目に合ったのね』と饅頭をひとつ差し出してくれ、その後すぐに『健康なおなごになるのですよ』と薬湯も作ってくださったのだった。


「おばあさまは可哀想なお話には弱いみたいだ」

「そのようですね」

 芽衣胡は證とともに寝台にあがり、今日のことを二人で思い出している。


「お義母様は『名前が変わるだけでしょう? 本当は芽衣胡さんというのね』と楽しそうでしたよね」

「母上はあなたが好きなのだろう」


「本当ですか!」

「ああ。パーティーのあとの華奈恋さんを見て、母上は顔をずっと歪めていたのだ。きっと芽衣胡ではないと気づいておられたのだろう」


「お義父様と清矩様は、華奈恋にしてもわたしにしても、どちらも梅子の孫なのだからどちらでも構わないとおっしゃっていましたね」

「私はどちらでもいいなどとは思えないが。私は芽衣胡でないなら妻はいらぬ」


「同じ顔をしておりますが?」

「顔が同じなら中身も同じなのか? あなたはあなたで、彼女は彼女だろう? 芽衣胡が華奈恋さんになれないように、華奈恋さんも芽衣胡になることは出来ない。君と入れ替わった華奈恋さんを見て私と榎木は違和感にすぐに気付いたくらいだ」


「そんなに違いますか?」

「ああ、全然違う」

 證がどこか困ったような表情をして、それから小さく笑う。


「だが、これで私の嫁は正式に華奈恋ではなく芽衣胡だ」

 そう言われて芽衣胡は、くすぐったそうに笑う。


「……はい。よろしくお願いいたします」

「ああ、こちらこそ。そうだ、あなたに渡したいものがあったのだ」

「わたしに?」


 證が懐から何かを取り出す。それを芽衣胡の顔の前に掲げた。

 芽衣胡の視界が広がる。


「これは……」

「眼鏡だ。時間が掛かって済まない。やっと出来上がったのだ。どうだ、見えるか?」


「駄目です。こんな高価なものをいただくわけにはいきません!」

 芽衣胡は目の前にある眼鏡と顔の間に両手をかざして受け取れないと辞退する。


「芽衣胡、どうか私の願いを叶えてはくれまいか?」

「願い、ですか? わたしが證様の願いを叶えることができるのですか?」


「ああ。あなたにしか叶えることができないのだ」

「わたしにしか? それは、どんなお願いなのでしょうか?」


「私の願いは、芽衣胡の目にたくさんのものを映して欲しいという願いだ。どうだ、叶えることはできないだろうか?」

「それは……」


「難しく考えないでくれ。また一緒に美味しいものを食べに行き、食事の色や形を見てみたいとは思わないか?」

「それは、見たいです……」


「ならば、眼鏡を受け取ってくれるか?」

 芽衣胡は両手を下ろす。すると證が芽衣胡の目に合わせて眼鏡を寄せた。


「どうだ、見えるか?」

「はい。見えます」

 芽衣胡はゆっくり顔を上げる。證の顔が見える。


「怖くはないか?」

 芽衣胡は笑う。


「ちっとも怖くありません」

 證から安堵の吐息が漏れた。


「ありがとうございます。證様!」

 證が手を伸ばして芽衣胡の手を包む。


「芽衣胡」

 大切そうに名前を呼ばれた芽衣胡は微笑んだ。


「あの、證様……」

 なんだ? ――そう視線を向ける證は優しく微笑んでいて、芽衣胡の胸が一層苦しくなった。

 胸の痛さに一度俯くと、證の大きな手が視界に入る。それから芽衣胡はゆっくりと視線を上げた。


「わたし、證様のことを考えると胸が痛くて痛くてとても苦しくなるのですけど、これは何かの病なのでしょうか?」

「それは……。ああ、病だな」

 病気だと言う證は嬉しそうに笑っている。


「なんという病気でしょうか?」

「それは恋の病というやつだ」


「恋?」

「心の底から好きだと思う相手のことを考えた時に胸が痛くなる病さ。かくいう私もずっと胸が痛くて苦しい」


「證様も苦しいのですか? 誰のことを考える時ですか?」

「誰だと思う?」

 證の瞳が熱を持って芽衣胡を見つめている。


「ははっ、あなただよ芽衣胡。あなたのことが愛おしいから胸が苦しくなる。あなたは?」

「私は證様のことを考える時……。苦しいということは、愛おしいということ?」


「私は芽衣胡に触れたいと思うし、他の男が芽衣胡に触れるのは許せない。君を閉じ込めて独り占めしたいとも思う」

「わたしも證様のお側にいたいと、……触れたいと思うことがあります」

 證が芽衣胡の手を両手で包み、そこへ口付けを落とした。


「私はあなたにこういうことをたくさんしたい。あなたは私に口付けされるのは嫌か?」

「くちづけ?」


「接吻と言えば分かるか? 私の唇とあなたの唇を重ねることだ」

「重ね……。そ、それは恥ずかしいですが、……嫌では、ありません」


 頬を染める芽衣胡の様子に證は満足そうな表情をする。

 芽衣胡の手がきゅっと強く握られた。


「あなたに触れてもいいか?」

「ええと、もう触れておられますが……」


「そうではないと言っただろう?」

 芽衣胡の目には證が良く見える。


 世間一般に怖いと言われる證の顔だが、芽衣胡には愛おしく見えて仕方がない。

 その愛おしい顔が大きくなる。目の中に入りきらない距離まで近づくと、芽衣胡の唇に何かが触れた。そして下唇を挟まれる。それは記憶にあるものと同じ熱。


 そして芽衣胡の唇に触れたものの正体が證の唇であることが今度こそ分かった。

 芽衣胡の手を握っていた證の手が離れたかと思えば、芽衣胡の背中に回る。逞しい腕に包まれて芽衣胡の胸は大きく跳ねた。体温がますます上昇する。


「證様……」

「芽衣胡」


 證は芽衣胡の唇だけでなく頬や額、耳や首筋、色々なところに口づけを落としていく。

 恥ずかしさに身をよじる芽衣胡だが逞しい腕の中からは逃げられない。だが逃げたいわけではない。


「證様……」

 次の證の言葉に芽衣胡の胸は歓喜に震える。


「君との結びのえにしを一生離すつもりはない」

 

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