20.結びの証⑤
梅子が錯乱する前にと、華奈恋はたたみかける。
「おばあ様のために芽衣胡は万里小路から隠されたのよ。この子はわたくしと同じように侯爵令嬢として育つはずだったのに――。どこに隠されていたと思います?」
「どこに……」
「襤褸着をまとって孤児の中にいたのよ」
華奈恋が梅子を叱責するように告げるのは、華奈恋自身もその体験をしたからなのかもしれない。
「孤児? そのようなこと……」
「華奈恋、駄目よ。責めたくてここに来たわけではないのだから。わたしは孤児として生きてきたことを恨んでいないの。梅子様」
芽衣胡は梅子がぼんやり見えるが顔は分からない。
「あなた、もしかして目が?」
「はい。少ししか見えません。でも見えることを羨むこともありませんでした。だけどわたし嬉しかったんです」
「何が嬉しかったの?」
「【先見の目】が発現したことです」
「発現!? あ、あぁ……、あぁ、【先見の目】が……恐ろしいことが、また繰り返されるわ。忌まわしい力など要りはしないのに――」
梅子の呼吸が乱れる。
芽衣胡は幼子に接する時のように優しい笑顔で梅子の前に座った。
「そうおっしゃらないでください。わたしは【先見の目】が発現したお蔭で嬉しい思いをしたのです。目の悪いわたしにとって、その能力で見ると輪郭がはっきりとしていて色彩豊かでした。わたしはこんな世界で生きているんだなって感動したんです。それにこの能力があったお蔭で、わたしも華奈恋も證様も死を免れることが出来ました。この能力にはとても感謝しています。発現しなければ、今日この場に三人ともいなかったでしょうから」
「それに、わたくしたちの能力はおばあ様よりも弱くて、わたくしたちの周りに起きることしか見えないみたいなのです。そのような能力では世の中の役には立ちませんわ」
「御一新後の世において能力を強化する必要はないでしょう。小見職も解体されている今、この国のために能力を使役する必要はないのです」
通綱の言葉を證が引き継ぐ。
「この先、能力のことで憂うことは、なくなるでしょう」
「憂うことが、なくなる?」
梅子は言葉を噛んで飲み込む。すると苦しみの乗っていた顔がゆっくり晴れていく。
「……万里小路の双子であるがために悲しい目に合うことは、わたくしで終わりにしたかったのよ。片割れが殺されるというのは自分の半身を失うということ。怒り、悲しみ、絶望、喪失感を代償に強化される能力なんて欲しくなかったのに。だから万里小路に双子は生まれてはいけないと思っていたけど、そうではなかったのね。なにより二人とも発現したのに無事に生きていてくれて安心しました」
梅子が瞬くとぽろりと涙が頬を伝う。
「わたくしが生まれたのは徳川家慶将軍様の御世でした。戦のない時代が二百余年。能力を持つ家は活躍の場を失い、ほとんどが衰退していました。しかしわたくしが物心ついた時には時代は変わろうと動いていたのです。十一歳の時に発現したわたくしに一族は大いに喜びました。発現しなかった双子の妹――桃子さえ泣いて喜んでくれたのです」
梅子は頬の涙を袖で払うと、窓の外を見た。
「祖父や曾祖父は『また帝にお仕えできる』と喜んでおりました。わたくしが初めて【先見の目】で見たのは誰かがどこかの門の近くで殺される所でした。家族は『それは誰だ? 帝か、将軍か』『それはどこだ? 京か、江戸か』と尋ねられますが、わたくしは答えることができません。これでは帝にお仕えできないと祖父は嘆いていたのを覚えております。そんな時も桃子はわたくしの隣で気にしなくていいと優しく声を掛けてくれました」
思い出して梅子は微笑む。
「【先見の目】はその能力が強いと人の名前、場所まで分かるようになります。祖父は『今こそ我ら万里小路家が筆頭となり、朝廷の大事に備えるべし』と、わたくしの弱い能力を使い物になるようにと強化することに決めたのです。決めたあとは実行まで早かったのですよ。反対意見もありましたが祖父は聞く耳を持たず、わたくしの目の前で桃子に毒を与えました。わたくしは……父に遮られ、桃子の側に行くことも許されず……、泣き叫びました……」
梅子の目から涙がつうと流れ落ちる。
「桃子は毒を飲んで苦しいはずですのに、わたくしに向かって微笑むのです。わたくしはその桃子の顔が忘れられません。桃子は『梅ちゃんには大変な思いをさせるけど、わたくしはいつも梅ちゃんと一緒よ』そう言って桃子は……、血を吐き、力が抜けて、息を引き取りました」
梅子の話しに芽衣胡と華奈恋は揃って両手で口を押さえる。
「【先見の目】強化の条件は、片割れを失うこと。桃子を犠牲にしてまで、わたくしは能力など欲しくなかった……。桃子が隣にいてくれたらそれで良かったのです。桃子はわたくしのせいで、桃子は……」
芽衣胡の頬を風が撫でる。梅子の部屋は閉めていてどこも開いていないはずなのに、暖かい風が吹いた。
芽衣胡の目の前が薄桃色に染まる。それはどこか懐かしい感覚だった。
梅子が芽衣胡を見る。芽衣胡の口が勝手に動き出した。
「苦しめてごめんね梅ちゃん」
芽衣胡の心の中が、梅子への愛情でいっぱいになる。
「……え?」
「苦しまないで、梅ちゃん。一人でずっと苦しかったね」
「……桃ちゃん?」
「えらかったね。梅ちゃんが一人で頑張っていたところ、ちゃんと見ていたのよ」
「桃ちゃん……うう」
「梅ちゃんを一人にしてごめんね」
梅子は首を横に振る。
「違うわ。わたくしが発現してしまったばかりに桃ちゃんが!」
「遅かれ早かれどちらかが発現する定めだったのよ。それにわたしたちは生まれた時代が悪かったわね。だから梅ちゃんのせいじゃないわ。自分をこれ以上責めないであげて」
芽衣胡の身体が梅子に向かう。芽衣胡は腕を広げて梅子の身体を抱き締めた。
「梅ちゃん一人に重責を負わせてごめんね」
「桃ちゃんこそ、謝る必要なんてないわ」
「梅ちゃん」
「桃ちゃん」
「ねえ、梅ちゃん?」
「なあに」
「この子たちは大丈夫よ。強い子よ。だって梅ちゃんの孫なのだから! 信じてあげましょうよ」
「そうね。この子たちは大丈夫ね。ありがとう桃ちゃん」
梅子が笑う。
その笑顔を見て満足した桃子も笑った。
芽衣胡は身体の中で桃子の思念を感じ取る。
『芽衣胡の厚い信仰心のお蔭で、仏様はわたくしと芽衣胡を繋いでくださり、そして梅ちゃんに会うことができました。芽衣胡、ありがとう。幸せになってね』
桃子の思念から、ハンシンへ芽衣胡を導いたあの桃色の光は桃子だと分かった。
すうと、頭の天辺から温かい空気が抜けていく感覚を味わった芽衣胡は直後、身体が傾いだ。すかさず證が受け止める。
「芽衣胡? 大丈夫か!」
「ん、……はい。桃子は、梅子様が大好きだって」
その言葉を聞いた梅子の涙が止まらなくなる。いつの間にか華奈恋ももらい泣きしていた。
晴れやかな顔をする梅子に見送られ万里小路邸をあとにする。
このまま通綱と幸子と華奈恋とともに松若邸におもむき、證の家族や使用人たちに華奈恋には双子の妹がいたことを説明する手はずになっている。
きっと誰もが驚くだろう。マサは騙していたのかと怒るかもしれない。それもごもっともだ。確かに芽衣胡は自分を華奈恋と偽っていたのだから。謝って許されることではないが、通綱も幸子も『私たちが謝罪する』と言ってくれているので芽衣胡には心強く思う。
「芽衣胡? 緊張しているのか?」
「はい。皆様を騙していたことは本当に申し訳なく思いますし」
「大丈夫だ。何を言われても私があなたの側に絶対いると約束する」
「證様」
二人で顔を見合わせて微笑む。
「證様は、芽衣胡にはそのようなお顔をされるのですね」
「ん?」
前を歩いていた華奈恋が振り返ってそういうので、證は眉間を寄せた。
「どういう顔だろうか」
「ほら、わたくしには怖い顔をされるわ」
「んん?」
自分の表情に差異があることが分からず、證の表情はますます厳しくなる。
「そうだわ芽衣胡」
次は幸子が話し掛ける。
「フミちゃんやジロウたちがいつでも遊びに来て欲しいと言っていたわよ」
「そうよ、芽衣胡。フミがわたくしでは駄目だと言っていたわ。失礼よね」
華奈恋は今日までずっと光明寺に身を隠していた。フミとも仲良くなったようで芽衣胡は嬉しくなる。
芽衣胡は千虎に襲われた日に證とともに松若邸に戻ることになったのだが、その際に育児院の子どもたちと簡素なお別れしかできなかったのだ。改めてきちんと挨拶に行きたいと芽衣胡も思っている。
「わたしも近いうちにきっと光明寺に行くわ!」
「行くなら榎木に運転させなさい」
「いいのですか」
「もちろんだ」
「ありがとうございます」
光明寺に行ったら仏様に感謝を述べたいとも思っている。
千虎に殺され、ただ死ぬ運命だった芽衣胡。
仏様が『ハンシンを見つけなさい』と時間を戻してくださったお蔭で芽衣胡は今日ここで笑うことができている。仏様の不思議な力に感謝せずに生きることはできないだろう。
皆の温かいまなざしが芽衣胡に向かって注いでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます