19.證と華奈恋⑤

 華奈恋と組んで踊る證は、事前に華奈恋と練習していたため華奈恋のダンスの習熟度を知っていた。だからこそ「これは誰だ?」という疑念は強まる。


 昨晩抱き締めて寝た彼女のぬくもりはまだ腕が覚えており、その腕がこれは別人だと言っている。


 そしていい香りがすると感じた彼女からは違う香りがしている。それは白粉や化粧品の匂いかとも思ったが、それだけではないものを證はひしひしと感じていた。


 控えの部屋に華奈恋を連れて行くと顔色がまた悪くなっていた。先に帰るといい、と告げると、弱々しく頷かれる。


 あとは榎木に任せて会場へ戻るがパーティーが終わるまで、證の頭の半分は華奈恋のことでいっぱいだった。

 顔色の悪い華奈恋を見ても庇護欲はそそられない。


 気もそぞろなまま、いつの間にかパーティーは終わっていた。招待客を見送ると、證は松若邸に帰る。

 自動車を下りたのは深夜だった。


 離れの寝室では華奈恋がすでに寝ているだろう。庇護欲をそそられる方の華奈恋であれば、寝ていようと関係なく帰って一番に様子を見に行こうと思ったはずなのだが。

 今の華奈恋が寝ているのだと思うと、顔を出さずそっとしておいた方がいいと思ってしまう。


「どうしてしまったのか……」

 證自身がどうかしてしまったのか。

 それとも華奈恋がどうかしてしまったのか。


 どちらに向けた言葉かは分からない。あるいは両方に向けた言葉かもしれない。

 書斎に戻った證はがしがしと頭をかく。窓に映るのは、目つきの悪い男だった。

 自室の書斎で眠るのは久しぶりだと感じながら一人用の細い寝台で横になる。


「はあ、華奈恋……」

 身体は疲れているはずだが一向に眠気はやって来ない。考えれば考えるほど頭が冴えていく。


 今の華奈恋に違和感を覚えたのはいつだったか。

 心惹かれる華奈恋と、今の華奈恋の違いはどこか。

 證はそればかり考えてしまう。


 何度目かのため息を吐いて窓の外を見ると、ゆっくり白み始めていた。


 身体を起こし、部屋を出る。使用人も寝ている早朝の廊下を静かに歩いて庭に出た。

 離れの見える庭まで行き、華奈恋と共にダンスの練習をした場所に立つ。

 自分の手と合わせた華奈恋の手はとても小さかった。細い指、愛おしい手の平――。


「――そうだ……、手の平だ」


 證は振り返って離れを見る。

 確認しなければならない華奈恋の手を――と早足に離れへ向かった。


 華奈恋が寝ていようと関係ない。今すぐ華奈恋の手の平を確認する必要がある。

 彼女が彼女である証しが、そこにあるはずなのだ。


 離れの扉を開け、真っ直ぐに寝室へ行くと、寝台の上には眠る華奈恋がいた。

 ぐっすり眠っている華奈恋の右手を取ると手の平を上に向ける。


「ない?」

 左手の間違いかと左手も確認するが、證の求めるものは右手にも左手にも存在しない。


「あなたは誰だ……?」

 小さな呟きが眠る華奈恋を起こす。


「ん……なに?」

 眠たいのだろう華奈恋の目蓋は半分も開いていない。しかしその隙間から證を捉えることは出来たのだろう。


「きゃっ、なっ……」

 乱れた胸の合わせを両手で閉じながら身を起こし、腰を後ろに下げ、證から距離を取る。


「あなたは、……誰だ?」

「誰? わたくしは華奈恋です」

 まだ眠たい華奈恋は不機嫌にそう言う。


「違う。あなたではない」

「違うと言われても、わたくしは華奈恋です」


「違う、違う違う! 華奈恋は、……そうだ。自分のことを『わたくし』と言わない!」


 そう言われた華奈恋の頭がはっきりと眠りから覚める。

 そして芽衣胡が自分を『わたし』と言っていたことに気付く。


「あっ……」

 失敗したとでも言うような華奈恋の顔を見て、證はやはりと思う。


「彼女をどこへやった? なぜ彼女と同じ顔をしている?」

 答えるつもりのない華奈恋は、つんと顔を横にそらした。


「教えてくれ。彼女はどこだ? 私の華奈恋はどこにいる?」

「わたくしは貴方のものではないわ」


「あなたのことではない。本物の華奈恋のことだ」

「本物? 本物わたくしよ」


 本物、という言葉に證は一度止まる。


「……では、彼女が偽物なのか?」

「本物とか偽物とかわけの分からないことを言わないで!」


「彼女はどこだ?」

「出て行って!!」


「知っているなら教えてくれ」

「早く出て行ってよ!!」


 目をうるませて出て行けと訴える華奈恋の前にこれ以上いることができず、證はしぶしぶというように寝室を出た。


 華奈恋と向かい合って座った円卓が目に入る。華奈恋は寝室にいるのに、證が求める華奈恋がいないことへの喪失感に絶望のような気持ちが襲ってくる。


 呆然自失としたままの證の顔に、昇り始めた陽光が差した。


 證は離れを出て本邸の自室に戻ると、どかりと椅子に座り込む。

 戻っても目を閉じれば、『證様』と呼んで微笑む華奈恋の顔が浮かぶんだ。


 ここにいない彼女は幻だったのだろうか。

 自分に都合のいい夢を見ていたのだろうか――。


「――まー、おーい、證様ー、おーい」

 どれくらいそうしていたか。證の前で何かが動く気配に我に返った。

 目の前に榎木がいる。榎木が證の前で手を左右に振っていた。


「なんだ榎木か」

「失礼ですね。ずっとお呼びしていましたけど、反応がなかったから心配しましたよ」

「ああ」

 榎木には證から魂が抜けているように見えた。


「證様?」

「榎木」

「はい」


「本当に天女だったのかもしれない」

「は?」

 一体何の話しだと榎木は思う。


「天女は天に帰ったのだろうか? まだ地上にいると思うか? 地上にいるなら……、そうだ探偵に依頼しよう」

「えっと、……待ってください。天女とは?」


「榎木が言ったのだろう」

「そうでしたっけ?」


「探そう」

「探すといっても、華奈恋様は離れにいらっしゃるでしょう」


「あれは違う」

「違うって。ちょっと性格が悪くなったかもしれないですけど、華奈恋様は華奈恋様でしょう?」


「なかったんだ」

「今度は何が?」


「ほくろが」

「ほくろ?」


「親指の付け根に三つ並んでいただろう」

「ああ、そんな話をしましたね」


「あれにはそのほくろがひとつもなかった」

「ええっ? まさか? 見間違いではないですか?」


「見間違いではない」

「ちゃんと見たんですか?」


「きちんと確かめた。右手の親指の付け根だとはっきり覚えている」

「しかし、ほくろがなくなるはずはないでしょう……」


「だから別人なのだ。匂いも違った。あれには抱き締めたいという衝動が起こらない。守りたいとも思えない」

「中々辛辣なことを言いますね。本人の前で言ってはいけませんよ」


 證は黙り込む。榎木も證のこんな顔を見るのは初めてだった。今にも死にそうな顔をしている。


「仕方ないですね。探しましょうよ! 天女を探しましょう!!」


 證は緩慢な動作で榎木を見ると、幼子のようにこくんと頷いた。



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