1.育児院の芽衣胡③

 その時のことを思い出した芽衣胡は、サチの前で泣きすぎたと恥ずかしい気持ちを抱えながら、感謝を伝える。

「サチ様、あの時はありがとうございました。わたしは今日も元気に笑って、みんなと仲良く過ごしています」

「そうなのね、良かったわ……」

 安心したようにそう言うサチの纏う雰囲気が変わる。それに気づいた芽衣胡は、あれ、と小首を傾げた。

「サチ様はお元気がありませんか? 五月に入って暑くなってきましたし、体調を崩されたのではありませんか?」

「わたくしが元気がないとよく気付きましたね」

 サチの声が一段低くなり、哀しげに聞こえる。そんな悲しさを吹き飛ばすような騒がしい無数の足音が客間に向かってくる。

「サチさまー!」

「また芽衣胡ちゃんが一番だ」

「サチ様、こんにちは」

 キヨを負ぶったフミと、他の孤児たちが顔を出す。

「みんな元気そうで何よりです。キヨも大きくなったみたい。だっこさせてもらえるかしら?」

「はい。下ろすのでお待ちくださいね」

 フミが紐を解きキヨを背中から下ろすと、サチがキヨを腕に抱く。

「首がすわったのね。あら笑ってくれるの? 可愛いわね」

 サチが前回来たのはひと月半前のこと。

「子どもってすぐに手が離れてしまうのね」

 サチはキヨを抱きながら、その視線は芽衣胡に向ける。先ほどの元気がないという指摘に答えているようだ。

「娘がね、嫁いで……、家の中が随分静かになってしまったの」

 肩が落ちるサチに秋乃が「寂しいですね」と静かに言う。

「サチさまないてる? いたい?」

 サチの横にいるジロウがサチを見上げる。

「ジロウ……」 

 サチは泣いてないと首を横に振る。芽衣胡はジロウを後ろから抱き寄せるとサチの目の辺りを見た。

「サチ様の幸せを仏様にお祈りしますね」

「芽衣胡、ありがとう」

 微笑むサチを見て孤児たちは、わたしもお祈りすると口々に言う。

「ありがとう、優しい仏の子どもたち。今日は大福を持って来たのよ。みんなで仲良く召し上がってちょうだいね」

 大福の入った木箱を受け取ったジロウがすかさず開けようとするのを芽衣胡は制して、サチに礼を述べた。目を見てお礼が言えなくともサチは決して怒らないし、生まれを否定しもしない。いつも優しくて温かく包んでくれるサチが芽衣胡は大好きだった。芽衣胡のみならず、孤児たちはみなサチが大好きなのだ。


 西日が射し込む本堂には芽衣胡ひとり。

 鎮座する仏様に手を合わせると、たなごころが温かくなる。朝な夕なに欠かさず手を合わせるのが芽衣胡の日課だ。いつもは「仏様が見てくださるおかげで、今日もみんなが健やかに暮らせることができました。ありがとうございます」と仏様に感謝を述べる。

 しかし今日はサチのために手を合わせる。

 仏様に願い事は出来ないが、「どうか優しいサチ様に幸せがありますように」とお祈りすれば全身が温かくなるようだった。

 きっと西日のせいだと思いながら芽衣胡は本堂を出る。西日は一瞬だけ仏様を照らし、山の向こうに落ちていった。

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