1.育児院の芽衣胡②

 育児院のことを知っている檀家が古着を持って来ることがある。すぐに成長し、遊び回る子供たちにとっては古着だとしてもとても嬉しいものだった。

 今日もまた古着を持って来てくださったからお礼を言いなさいと秋乃にフミが呼ばれる。芽衣胡は顔を出さない。奥で息を潜めるようにして待っている。


 なぜかと言うと、それは芽衣胡が六歳の時、古着を持って来た檀家にお礼を言った時のこと。目を見てお礼を言うことが出来ず「卑しい子」だと頬をぶたれた経験があるからだ。

 それ以来芽衣胡は人前に出ない。光生も秋乃も檀家の前に出なくて良いと言っているためそれに従っている。

 芽衣胡自身、自分が卑しいと言われるのは仕方がないと分かっているが、卑しいと言われることを通して育ててくれている光生と秋乃を貶められるように感じてしまう。自分のせいで二人が貶められるのは芽衣胡としても申し訳ない。

 しかしそんな芽衣胡にも面会を許される相手がいた。一、二ヶ月に一度、慈善事業として甘味を届けてくれる女性だ。芽衣胡はこの女性にのみ会うことを許されている。

 その週の終わり、廊下を雑巾掛けしていた芽衣胡は二つの足音に反応して手を止めた。

 大人の足音が二つ。一つはつま先を摺るように歩く秋乃。もう一つはしずしずと淑やかさを感じる足音。裸足の秋乃と足音が違うのは、その人の歩き方の癖もあるが、足袋を履いていることも理由だと芽衣胡は思っている。

 芽衣胡は雑巾掛けが途中にも関わらず一目散に客間へ向かった。

 奥の客間では大人の女性の笑い声がする。

「ほらまた芽衣胡が一番に来ますよ」

 秋乃の声に、女性の笑い声が重なる。ふふ、と落ち着いた笑い方をするその声が芽衣胡は大好きだ。

「サチ様! こんにちは」

 芽衣胡は、秋乃の向かいに座る藤色の着物を認めて明るい声を出す。

「こんにちは、芽衣胡。もうすっかり元気になったみたいね」

「はい。サチ様のおかげです!」

 前回、サチが光明寺を訪れた時、芽衣胡は泣いていた。

 芽衣胡はその時のことを思い出す。

 あれはサチが来る一寸前のこと。檀家の数人が本堂の横で立ち話をしていた。

『――さんの所、双子が生まれたって』

『迷信ばかり気にしてる爺さんの所でしょう?』

 立ち聞きするつもりはない芽衣胡だが、大きな声で喋られたら嫌でも耳に届く。早く会話の聞こえない場所に行こうと思った芽衣胡は次の会話で足が止まった。

『そうそう。それで双子は不吉だ、忌み子だって散々大騒ぎしてさ』

『ああ、あの人なら言いそうね』

『ところがね、散々聞こえていてうるさかった二人分の泣き声が、ある日突然小さくなったらしいのよ』

『えっ? それって……』

『そう、それからあの爺さん、双子の件は一言も言わなくなって。お嫁さんが連れてる赤ん坊は一人だけだって』

『じゃあ、もう一人は……』

『……さあ? ……怖くて絶対に聞けないわ』

 双子のもう一人はどうしたのだろうと思い、足を止めた芽衣胡の存在に檀家が気付く。

『あらやだ。孤児じゃない。臭いからあっちに行ってちょうだい』

『本当に汚いわね。あんたは親に捨てられた要らない子よ、お寺のお荷物よ。早くどこかに行きなさい』

 育児院があることに否定的な檀家は少ないが、こういう者たちは光生や秋乃がいないところで孤児たちを汚物扱いする。この者たちは布施が育児院の孤児たちに使われていることが許せないのだ。

 しかし光生も布施を育児院の経営に充てているわけではない。そのため孤児たちは新しい着物を着ることもないし、豪華な食事を摂ることもない。

『捨てられた子なんて役に立たないんだから、お寺のためにもここから出て行ってよ。誰も知らないところで野垂れ死んでくれた方が幾分役に立つんじゃなあい?』

『そうよ。孤児の一人や二人死んでも誰も気にしないから』

 芽衣胡は他人から『死』を押し付けられていることに恐怖する。悪意の眼差しが芽衣胡の肌に突き刺さり、喉の奥が締まる。

 呼吸ができなくなった芽衣胡は首を押さえてもがいた。目から涙が溢れる。

『芽衣胡? そこで何をしているの?』

 優しい声が芽衣胡の耳に届く。それはサチだった。

 サチが小走りで芽衣胡に近寄ると、檀家は素知らぬ顔で光明寺を去っていく。

『芽衣胡?』

『さっ――』

 サチは芽衣胡を腕の中に包むと安心させるように背中を撫でた。

『大丈夫よ。大丈夫よ』

『さっ、ちっ、さっ、まっ』

 サチの胸が芽衣胡の涙で濡れ、シミを作る。

『わたっしは、役に立たないっ、死んだっ、ほうが、いいのっ?』

『なっ、……な何を言っているの? 死んだ方が……いい子なんてどこにもいません。いませんよ。それに、役に立つとか、役に立たないとか考えなくていいのよ。子どもはね、笑顔で元気に過ごしてくれるだけで立派なのよ』

 サチの手も震えているように感じるのは芽衣胡の身体が震えているからだろうか。

『笑顔で、元気?』

 芽衣胡は顔を上げる。涙で濡れた視界ではぼんやりとも見えない。

『そうよ。わたくしは芽衣胡が笑っていてくれたら、それだけで今日も頑張ろうと思えるのよ』

 芽衣胡はサチの言葉が嬉しく、また涙が溢れる。

『わたし、笑います。サチ様のために笑います』

『ありがとう、芽衣胡』

 芽衣胡はサチの言葉と温かさに救われたのだ。

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