3.遭難
“大丈夫ですか、リディア!?”
魔力で構成された思念ネットワークを使って先を行くキーファが尋ねてくる。これは団長の魔力を核として構成したもので、師団の仲間が自分の魔力の存在をそこに置いて繋げるネットワークだ。
いわば団長の魔力で作った蜘蛛の巣に自分の家を置くようなもの。あの人の蜘蛛の巣に入り込める者はいないから、傍受される心配もないし、五百メートル圏内なら魔力で繋がり会話ができる。
キーファは団員ではないが、絶対に裏切ることはないし、このような環境だから今回そこに入ることになった、それは正解だった。激しい砂嵐と、何かの影響なのか普通の通信機器が全く使えない。
“大丈夫”
そして付け加える。
”方向修正は必要なし、このまま北東を目指せ。目的地まで40キロメートル“
“了解”
キーファも短く答える。彼の最初の心配は、リディア個人に対して。
次の応答は任務中の団員同士として。本来任務中では、誤解されがちな大丈夫、などあいまいな表現は使わない。けれど、二人きりだし、彼は団員ではないし、リディアを案じている言葉だから堅苦しさを互いに排除した。
そして今、二人は体が吹き飛ばされるほどの砂嵐の中を歩いている。魔法がなければ、あっという間に砂の中に引き込まれていただろう。
そもそも砂嵐に見舞われたら、遮蔽物に隠れてやり過ごす。けれど、それを探す間もなく襲われてしまった。
仲間達とははぐれてしまった。そして魔力思念ネットワークでも繋げない。
護衛対象であるアーサー・ダーリング教授は、グレイスランド国の至宝ともいうべき魔法陣学の権威で、リディアとキーファが所属する大学院の指導教官だ。
彼が目指していたのは、この砂漠の先にある図書館都市。都市には数百もの図書館が立ち並び、この世界すべてのありとあらゆる書物を貯蔵していると言われているが、都市自体がまるで生きているかのように人を選び、認められなければ立ち入ることができない。
今回、リディアとキーファがこの一行に加わることができたのは、アーサーの助手として。
リディアは、魔法師団の団員でもあるから参加することも可能だったが、百戦錬磨で精鋭を集めた今回の行軍では、護衛役としては期待されていない。
ただ、索敵能力が優れているから、目的地へのレーダ的な補助を務める役目もあったのに、ここではぐれてしまった。
他の仲間は、大丈夫だ。リディアよりも優秀な人達だ。そしてダーリング教授も問題ない。ディアン達が守れば生命は保障されたも同然。だから今は、自分たちが生きて目的地に着くことに専念すべき。
(もちろん、今の私にはキーファの命を守ることが最優先だけど)
キーファは、いつまでたってもリディアの大事な生徒だ。そして、はぐれてしまった以上、経験が長く、師団の団員として彼を守るのはリディアにとって当然のことだ。
何かを感知しないか必死で感覚を尖らせる。
同時に、機器にも目を配る。ゴーグルに映る現在地と目的地までの距離、遮蔽物の数値が時折乱れる。砂塵、日光、魔獣の攻撃から目を保護するゴーグルには情報も表示する作用があるが、この地特有の磁場のせいか正確な情報が得られない。
そして、リディアの得意とする探査能力も阻まれる。こちらは、何によって阻まれているのかわからない。
“キーファ、前方二百メートル先に何かある”
”生体反応はありませんね。構造から、天然の岩石と思われますが、大きさから建造物の跡地でしょうか“
“そちらに身を隠して、嵐をやりすごしましょう”
魔法師団では、四十キロメートルの行軍など準備運動にも満たない。けれど、それは環境に左右される。この砂嵐の中では、これ以上進むことは危険すぎる。
纏う魔法衣は、防魔効果に加えて、あらゆる自然環境にも対応することができている。またボディスーツという、魔法師団特性のスキンスーツも、体温・保湿を適度に保ち、極寒地、灼熱の地でも対応できるようになっている。履いているブーツも同じような耐性を持っている。
リディアは、守りを固める防御魔法や、補助魔法が得意な
リディアは、前を行くキーファの逞しい体躯を見つめる。彼はリディアが一時期大学で教壇に立っていた時の生徒で、その時から抜きん出た能力と恵まれた体躯を持っていたけれど、あくまでも一般の若者として。
それが、魔法師団に関わり自分を研鑽することによって、今では団員並みの身体能力と魔法技術を手にした。
体つきもそうだ。出会った時は二十三歳、現在は二十五歳と身体はそろそろ出来上がってくる年齢になりつつあり、その揺るぎない足取りが頼もしい。
今回、砂嵐に見舞われ二人が計画を強硬することを決めた時、彼がリディアより先に歩くことになったのは、彼の身体能力がリディアより優れていたためだ。
以前は、生徒である彼を守るのも、先を歩くのも当然として譲らなかった。
だけど今回は、『体重や体格から、俺が先行します。あなたが吹き飛べば、俺もつられてしまいますし、砂よけにも俺が前を行くのが正しい』と言われた。
(……確かにそうだけど)
『古臭いですが、男としてもあなたを先には行かせません』
彼は時々、“男だから”と口にする。今どきそれは口に時代遅れかもしれませんが、と前置きして。彼にそれを言われるのは嫌じゃない。間違っちゃいけないのは、それを言って非難されるのは、相手に対して侮りがある発言だからだ。
彼はそれがない。体格や力などの性差から、そして女性は守り尊重するものだ、という生育環境のスピリッツ的なものからの発言。
自分の発言は“流行らない”と苦笑しながらも、それを押し通すのは、彼の中で譲らない核ができているからだろう。だから女性はそう言われても嫌な感情にならない。リディアもそうだった。
『それに“卒業したらもう魔法師の仲間で上下関係はない”ですよね』
さらにそれを言われると痛い。
魔法師を目指す学生の彼らに、この狭い世界で魔法師になれば同等の仲間だ、と説いたのは自分だから。
でも、先生と生徒だった関係が、途中から彼のほうが魔法の腕も対処能力もリディアより勝り、今では自分が到底敵わなくなっているのだけど。
けれど、未だに彼は自分を尊重してくれている。きっと彼はどんな相手にでもそうなのだろう。
そして今、砂嵐の中で、強く言い切られればリディアは頷くしかない。確かにキーファの方が足取りは確かで、おまけに歩幅の違いで彼の方が速い。
自分の『先生だったから』という小さな引きずっている役目の理由は、もう必要ない。
キーファはリディアの歩みに合わせてくれている。ここは、どちらが先に行きすぎても駄目だし、互いに息をあわせなければいけない。
離れないように、互いを結び合った強化ワイヤーがピンと張る。
その時、何か身体が引き寄せられるような感覚があった。地面の中に磁石があって、そこから身体が動かない。
もしくは、地面からの手につかまれたような。同時に、キーファも思念で鋭く声を発した。
“リディア、何かここには――”
“キーファ、この地下――!!”
まだ二百メートル先の不明物の影さえ見えないところ、二人で周囲の異常に気がついた時には、地面に空いた穴に吸い込まれていた。
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