第29話 感謝
少し忘れていた。
街の人々との触れ合いで。声で。営みで。
命を奪う感覚と、迷いを。
僕は意味のある行為をしているのだろうか。
彼が、小竜が、女神の言う敵なのか。
僕は、何をやらされているんだ。
目に垂れる返り血は染みるが、拭う気にもなれなかった。
この迷いが晴れる日は、いつか来るのだろうか。
逡巡を抱えながら、黙々と解体を進める。
折れた腕のせいで、鈍い作業は、我ながら儀式めいていて気味が悪い。
魔法袋の口は、幸いにも広い。
いたずらに素材の価値を落とさないため、敢えてぶつ切りのようにしていく。
頭と翼。そして腕、足。胴体と尾。
ウィスは僕の横で、行儀よく座っている。
これだけ一緒にいれば、少し僕の気持ちを汲んでいるのだろう。
下手にはしゃいだりはせず、静かにただ、見ている。
その気遣いが嬉しくて、ゆっくりと背中を撫でる。
「帰ろうか。」
どっと疲れが押し寄せてくる。
緊張の糸が途切れたみたいだ。
僕は、一泊して森を出ることにした。
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そして一日後、ギルドへと戻った。
関所の兵士や、街の人々は僕の血だらけの服を見ても左程驚きはしない。
冒険者ギルドのある街は、そんなものなのかもしれない。
メトゥリタさんは僕を見つけると、変わらず軽く手を振った。
「お疲れ様。随分とやつれたわね。」
その軽薄さが、今は少しありがたいと思う。
「ええ。何せ、死闘でしたから。」
「そのようね。討伐証明は?」
「どこがお望みで?丸々持ってきましたよ。」
そう言うと僕は、鞄から取り出した小竜の全頭を、乱雑に窓口に置く。
周囲は少し騒めく。
「あら、お見事。うん、はい。確認したわ。カードを貸して。」
そう言ってゆっくりと頭を眺めた彼女は、新しいカードを渡す。
「私、メトゥリタ=アルケの名において、貴方を七級冒険者として認めるわ。おめでとう。」
え?アルケ?辺境伯の苗字だ。身内なのか?
「そして、ありがとう。貴方の小竜討伐で、領民の命が救われることになるわ。魔物による被害は、意外と馬鹿にならないのよ。」
彼女は語った。
小竜は森の浅い所に生息する魔物であるため、獲物を追いかけ領地に侵入してくること。そして採集に行った冒険者や領民の被害報告も後を絶たないことを知った。
ありがとう、か。
何だか救われた気がした。
僕の葛藤に、理由を付けてもらっただけで。
少し気持ちが楽になる。
僕は、完全な悪ではないこと。
誰かに感謝されること。
僕はこの世界に来て、与えてもらってばかりだった。
少しはそれを返すことが出来たと思った。
「今まで不遜な態度を取ってきて悪かったわね。貴方、完全な余所者でしょ?だから余計に警戒していたのよ。」
「いえ、理解しています。」
「それなら助かるわ。はいこれ、依頼料。」
僕は10万ドラクを受け取り、銀貨を差し出す。
「そのお金で、その身なりを整えなさい。後は、怪我ね。街の救護院を紹介するわ。しっかりと治してもらってきなさい。」
街には、教会に併設された救護院があるらしい。
そこは冒険者が御用達のようになっており、連日怪我を負った者たちが通い詰めるとのことだった。
教会といえば、回復魔法かあ。
ダスカ先生が持っていた、光魔法だろうか。
女神様にも、祈りたいなあ。
少しの疑いを持っていたけれど、今ではそう思えるようになった。
救護院は、貴族街の方にあるらしい。
そろそろ腕の痛みが辛くなってきた。ルクーダさんに素材を卸す前に、向かってしまおう。
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貴族街では、やはり煌びやかな恰好の人が多かった。
しかし意外にも、不快な視線を感じることはなかった。
むしろその逆であった。
返り血で汚れた服。ボサボサの頭、酷い目のクマ。
そんな人間が歩いていても、冒険者だからか。
「お疲れ様、救護院かい?」
「何を狩ってきたんだ?ご苦労だったな。」
「なんと小竜か、若いのに凄いな君は。感謝するよ。」
このように、労いや感謝の言葉を掛けられることも少なくなかった。
大森林に面した辺境領。冒険者と深い結びつきがあるからなのか。
貴族と聞いて何となく悪いイメージを持っていた僕は、自分を恥じることになった。
胸が、暖かくなった。
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教会は、まさに聖堂といった雰囲気だった。
扉は常に開かれており、祭壇には大きな像が祀られていた。
しかし、僕は疑問に思った。
像は、どう見てもあの女神、アルギュロスではない。
姿は可変と言っていた。それにしても直感的に違うと感じた。
すると声を掛けられた。
「どうも。救護院に御用ですか?」
神父然とした格好の老紳士だった。
「はい。冒険者のアルと言います。」
そう言ってギルドカードを提示する。
「七級ですか。素晴らしいことで。ではまず、礼拝をお願い致します。唯一神、クリューソス様に。」
クリューソス。
唯一神。
この時はさして疑問を覚えなかった。
宗派の違いだろうくらいに。
だが僕の知る神と、彼らが崇める神。
この違和感にもっと早く気付くべきだったと、思うことになる。
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