第5話 この煙草は、どこで手に入れたんだい。

臭い。何だこの匂いは。妙に慣れ親しんだような。

そうか。煙草の匂いだ。

自分で吸っていると分からないものだが、煙草の匂いなんてものはかなり不快だ。

それが自分がいつも吸っている銘柄だとしても。


目を開ける。眩しい。そして、寒い。水だ。なんだ。ああそうか。

あの後疲れて、体がベトベトしてるから、川に入ったんだ。よく、生きているな。

浅瀬であれば溺れることもないだろうと、随分思い切ったことをしたものだ。

血は大丈夫か。切り傷に流水なんてずっと当てていたら、傷も塞がらずに失血死してしまう。


バックリと割れていた大腿を触る。傷が塞がっている。

薄皮一枚ではあるが、再生が始まっているかのような。

思えば、体全体の打撲も、昨日程痛くない。

酷い紫色だった腕は、少しだが色が引いているように思えた。


おかしい。こんなに早く怪我が快方するなんて。自分の回復力が上がっているのか、この川の水の力なのか。そんなことを考えていると、声を掛けられた。


「この煙草は、どこで手に入れたんだい。」


煙草?そういえばこの匂いは、僕の煙草の匂いだ。


「起きているんだろう。なあ、教えてくれ。この煙草は一体、何なんだ。

あまりにも旨い。この滑らかな吸い心地。鼻に抜ける清涼感。そしてこれは、酒か?ほんのりと酒のような香りがするぞ。こんなもの、王宮であっても手に入らない。

どうなんだ。なあ。」


これが激戦の後、生還した男に吐く台詞か。

それを知らないとしても、明らかに大怪我を負っている人間に、そんなことを聞くのか。


大体、こちらに来て初めての会話が、「何の銘柄吸ってんの」である。

ほぼ初対面の人と、喫煙所で話すことじゃないか。

声と匂いのする方を向くと、そこには女が立っていた。

軋む体を起こして、話しかける。


「それは、そこにあるので最後です。もう二度と、手には入りません。」


そう告げると、女は絶望したような顔でこちらを見た。

かなり背が高いな。180はありそうだ。褐色の肌の女だ。

黒の外套を羽織ってはいるが、隙間から見える腹は、六つに割れており、腕と足の筋肉も相当なものだ。

かなり、強いんだろう。髪は赤で、目鼻立ちもはっきりとしている。

あんぐりと開けた口からは、やけに長い犬歯のようなものを覗かせる。

煙草を持っていない左の手には大きな杖を携えている。


「嘘、だよな。もう半分は吸ってしまったぞ。うむ。そうか、故郷のものか。

そうなんだろう。どこにある。いくら遠く離れていようと、手に入れて見せる。

そうだ、私が護衛を担当しよう。だから君は、安心して、案内してくれればいい!」


女は口角を吊り上げ、ドヤ顔をする。いや、嘘、だろ、じゃあない。

それはこっちの台詞だ。彼女の言うことから推測するに、僕の初期装備、美味しい煙草のような質のものはこの世界には流通していない。


そうなると、僕が故郷の味を楽しむことは、今後の人生で十数本でしか出来なかったはずだ。それをこの人は半分も。無許可で。

そしていけしゃあしゃあと次の箱のことを考えている。

こんな理不尽があってたまるか。


「お伝えした通り、もうその煙草はこの世にはそれのみです。」

「何だと、嘘を吐くな!じゃあ何だ、職人が死んだのか?それならばその製法は?どうやってこれを作る!」


ああもう。どうしよう。

身の上でも打ち明けるか。素直そうな人だし、悪意は感じない。


「分かりました。取り敢えず、色々身の回りのことをしてからでもいいですか?

小屋にも戻りたいですし。」


「ああ、私の小屋だな。君が使っていたのか。案外、居心地の良いものだろう。

あれは貸しておいてやるから、この煙草は貰うぞ。」


ああ。やはりそうだったか。

ここがどこかは知らないが、相当深い森のように思える。

そんな奥地の滝に、一人で足を運ぶということは、この小屋を所有していると考えることが出来る。


しかしだ。煙草を全部というのは考えられない。確かにあの小屋には世話になった。しっかりと屋根のある部屋で寝れたというのは、精神的に助かった。

そしてこれからも使用できるというのは大変魅力的である。

だが駄目だ。せめて。


「最後に一本だけ、いただいてもいいですか。後は全部差し上げます。」


喫煙者という生き物は、煙草のことになると意地汚くなるものだ。

温情でもらったそれを吸いながら、痛む体を引きづり、焚き木を準備して話を続けた。


______________________________


「それで、君は誰なんだ。どこから来た?」


なんて名乗ろうか。本名を名乗ってもいいが、ひどく浮きそうな気がする。

そうだ。銀の彼女から少し貰おう。大体こんなものは、適当でいいんだ。


「僕は、アルと言います。どこから、ですか。説明が難しいですね。別の世界、

ううん。大陸?といったら分かりますかね。」


特に隠し立てする気もない。

この女性が、僕のことを殺そうと思えば、すぐに出来るだろうし。

こんな山奥にいるということは、面倒事を持ち込むような人間でもないだろう。


少し考え込むようにして、彼女は言った。


「そうかそうか。君は使者か。その黒目と黒髪もそうだが、珍しいものを見た。

それで、使者ともあろう者が、何故こんな所で瀕死で寝ていたんだ?」


僕は日本人で、黒目と黒髪は基本装備だ。

そのどちらも、現代では珍しいほどに真っ黒だ。

それはこの世界でも珍しいのかもしれない。


そして、「使者」という存在がいる。

これは珍しいものではあるがそれなりに一般的であること。

僕の他にも同じような人がいる。

そして使者は、こんな所で瀕死になるような存在ではないことから、それなりの戦闘力、自衛手段を有していることが予想出来る。これは良い情報だ。


そう考えると、ゴブリンに袋叩きにされていた自分が情けないが仕方ない。

僕にもチートのようなものが眠っている可能性が生まれてきた。


「ゴブリンの集団に襲われまして。必死で殲滅してきたという訳です。」


ゴブリンで通じるのか?まず。


「成程。それはご苦労なことだな。しかしそうなると、それなりの戦闘力しかなさそうだな。使者の中でも「生産型」か?」


「ええと。その使者というものが分かりません。」

「それもそうか!こちらが勝手に呼称しているだけに過ぎないからな!」


彼女はそう言って笑うとご機嫌に煙を吐いた。


「というかまず、言葉、通じるのですね。安心しました。」

「? 何を言っている。言葉は神からの福音。理知有る者は共通だが?」


そういう訳か。この世界はいわばバベルの崩壊以前。かなり僕に都合がいいな。

言語習得イベントはすっ飛ばしてくれる訳か。

この時点でまた明らかになったことは、この世界は共通語が存在していて、何らかの不思議パワーで僕がそれを理解出来ること。そしたら本も読めるかな?


「いやはや、面白いことだ。焚き木に当たりながら、暫し歓談を続けようじゃあないか。」


そういうと彼女は僕の準備した焚き木に向かい、指を鳴らす。一瞬で火が灯る。


そうかあ。やっぱり魔法も、あるのかあ。

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