第1話 アルギュロス
僕のこれまでの人生については省略する。
貸会議室にいる。
いつ。どこの。何故。どうして。そんなことをすっ飛ばして。
陳腐な表現にはなるが、気が付いたらだ。
目の前には女が一人。僕の表現力では言い表すことが出来ないような美しさだ。
だから特徴のみを述べよう。
身長は僕より少し低いくらい。170センチくらいか。
肩口まで伸びた銀色の髪。切れ長の銀の瞳。それくらいか。
そして何か、怖い。まともに目が見れない。僕が兎だとしたら、彼女は獅子だ。
生物的に上位の存在と相対した時のような、脚が竦んで動けない感覚。
山で熊にでも遭遇したのなら、こんな気持ちになるのだろうと、思った。
「どうぞ、お座りください。」
話しかけられた。怖い。しかし、座った方がいいんだろう。
話が進まない。なるべく彼女には近づきたくはないのだが、仕方ない。
「聞こえてますよ。」
何がだ。僕は気が付いてから、一度も言葉を発していない。
こんな恐ろしい状況で言葉を発する程、僕の胆は据わっていない。
「その割には、好き勝手言っていますがね。」
まあ、”そういう”ことなんだろう。彼女は何らかの方法で僕の思念を読んでいる。
僕も頭を覗かれることは嬉しくはないが、”出来る”のなら仕方がない。
「はい。その通りです。取り敢えず話を進めます。」
そうらしい。本当に、今は一体どのような状況なんだ?
「まずは、謝罪を。」
「貴方はこれから、異世界へと赴き、辛い経験を何度もします。」
「しかしそれは私達にとって必要不可欠なことであり、決定付けられていることです。その役割を貴方に強いてしまうことを申し訳なく思います。」
話が見えない。彼女が言っているのは将来の話なんだろう。
それも不本意ではあるのだが、今欲しているのは現在の状況だ。
僕は今、どこで誰に何の話をされている?
「それを理解することは左程重要ではありません。その説明をしても、また新しい疑問が生まれるだけですから。なので簡潔に、貴方に求めることを説明します。」
駄目だ。
多分ではあるが、今質問したところで何も変わらない、何も分からない。
大きな奔流の中に巻き込まれてしまっているのだろう。
ただ彼女は決定事項を伝えているのみ。
それは僕がどうすることも出来ないんだろう。
「先程から随分と、察しが良くて助かります。それも貴方の善性が成せることなのでしょう。」
「さて、貴方に求めることです。それは、”敵”を打ち倒すこと。」
まただ。酷く抽象的で、荒唐無稽だ。
「でしょうね。貴方は今から、別の世界へ送られます。そこで貴方は生きていきます。その中で立ちはだかるものこそが”敵”であり、それから逃れることは出来ません。貴方達の言葉で表すのなら、まさしくそう、運命です。」
「厳しいことを言ったように思うかもしれません。理解が出来ないとも思います。
ただ貴方は自由に生きればいい。しかしその中で多くの障害が立ちはだかります。」
「その解消こそが私達にとっての恩恵であり、悲願なのです。それが些細なものだとしても、それはいずれ巡り、大きな歪みを正します。」
「どうかお願いします。私達を助けて下さい。」
彼女は腰を折り、深々と頭を下げた。
この話は受けるしかないんだろう。これも彼女が言う、運命の一つなんだ。
それに彼女が頭を下げた時点で、断る選択肢はない。
男なら、女性の頼みは断ってはいけない。
どんなに理不尽でも、話が見えなくても、男が言えるのは。
「任せてください。」
この一言のみだ。
それにちょっと、いや、かなり、美人だし。
「ありがとうございます。存外、この姿も役に立つものですね。」
彼女はいたずらで優しい笑みを浮かべた。
「私達は貴方に多くを与えることは出来ません。しかし貴方が大木となるための土壌を、貴方を助ける環境を、贈ります。そして些細な幸せを。困難な日々の中の幾ばくかの安らぎを。どうか、どうか諦めないで。打ち破る力は、全て貴方の中に。」
どうやら別れは近そうだ。最後に一つだけ質問を。貴女のお名前を。
「アルギュロス。私はアルギュロス。どうか、ご武運を。」
僕は意識を失った。
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