第69話 都市伝説のメリーさん、シャンプーは一日一回と決意する。

「あたしメリーさん。今あなたの正面に……」


 メリーさんからの電話に出ると、着ぐるみパジャマのメリーさんが正面の湯船のヘリに腰かけて現れた。

 そして僕の顔を見て硬直した。

 そして叫んだ。


「ヌクトが四谷怪談のお岩さんみたいになっちゃったの!」ツルッぼちゃん「ゴボゴボゴボ」


「ただのものもらいだよー」


 叫んだ拍子にヘリから落ちて、風呂に沈んだ。




「ものもらいって、眼帯つけるイメージなの」


「昔はそうだったみたいけど、今は目薬で治るから手術で切ることも少ないし、わざわざ眼帯をつけたりはしないみたいだよ」


 メリーさんと二人、湯船に浸かる。

 メリーさんは僕のものもらいが気になるのか、ちらちら僕の目を見てはそわそわしてる。


「その……ものもらいって、かかる原因とか、あるものなの」


「基本的には細菌感染で起こるものらしいね。ストレスとか睡眠不足で免疫力が下がってると起きやすくなるとか」


「ストレス……なの」


 メリーさん、ますますそわそわしてるな。

 顔はあいかわらず無表情だけど、何かをずっと気にしてるみたいに着ぐるみパジャマのフードをいじったり落ち着かない。


「あ、もしかしてメリーさん、このものもらいが自分のせいじゃないかとか思ってる?」


「う、なの」


 尋ねてみたら図星だったみたいで、メリーさんは無表情のままうつむいてちぢこまった。


「だって、その、いつもさんざんヌクトの目にシャンプーぶちまけてるから、それが原因なんじゃないかって思うの」


「どうなんだろうねー。はっきりそうだとも違うとも僕は断言できないなあ」


 メリーさんは無表情のまま、両手の人差し指同士を突き合わせてしょんぼりとした態度をした。


「これからはヌクトをいたわって、シャンプー攻撃は一日一回にするの」


「一回やるのは確定なの本当にいたわってる?」


 ともあれ、これからメリーさんはシャンプー攻撃を控えようって思ってるのか。

 ふーん。


「なんかヌクト、たくらんでる顔してるの」


「そんなことないよーつんつん」


「ぴゃっ、なの」


 メリーさんのほっぺをつんつんしてみた。

 人形だから感触は固いんだよね。でもものを食べたりはできるから不思議だよね。


「ほぐしたら表情がやわらかくなったりするのかなーむにむに」


「ひょっ、やめゆの、そんなにあたしのほっへをもむんひゃないの」


「ほっぺ以外にもいろいろもんでみたりして」


「ひょ、やめ、調子に乗るんじゃないの」


「目にシャンプーがーッ!?」


 目の泡を洗い流すと、メリーさんはまだそこにいた。

 そうして見つめ合って、メリーさんは無表情をハッとさせた。


「しまったの。シャンプー攻撃は一日一回って決めたのに、もうやっちゃったの」


「今日はもうシャンプー攻撃できないねー」


 からかうように言ってみる。

 メリーさんは無表情を気持ち青くした。


「なんてことなの。シャンプー攻撃ができないってことは、帰るときに困るの」


「帰るときのシャンプー攻撃いる?」


「いるの。あたしはワープするとき、服がスケスケになるの。シャンプー攻撃で目潰ししないと、ヌクトに裸を見られちゃうの」


 そしてメリーさんは無表情をハッとさせて、自分の体をぎゅっと抱いてザババッと後ずさりした。


「まっ、まさかヌクト、あたしの裸を見るためにシャンプー攻撃を無駄撃ちさせたっていうの変態なのサルヤローなのゴボゴボゴボ」


「後ずさりしてイスから落ちて沈んじゃったねー」


 両手で持って引き上げてあげる。

 着ぐるみパジャマがずぶ濡れで重たい。

 むすっとした無表情も合わさって、お風呂に落ちた猫ちゃんさながらだね。


 メリーさんはぷいっと無表情をそむけて、すねたような態度を取った。


「ヌクトのいじわるのせいで帰れなくなったの。困ったの。どうしてくれるの」


「うーん、帰れなくなったっていうなら」


 ちょっと考えて、提案した。


「泊まってく?」


「ぴょっ、なの」


 メリーさんは固い体をさらに緊張させて固くなって、無表情をゆでだこみたいに赤くした。


「泊まっ、泊まっ、泊まっ……なの」


 そのまま口をぱくぱくさせて、体をぷるぷるふるえさせて、しばらくそうしていて、そして。


「とんでもないサルヤローでオオカミヤローなの」


「目にシャンプーがーッ!?」


 目の泡を洗い流している間に、メリーさんはいなくなっていた。


「……こうして、シャンプー攻撃は一日一回というメリーさんの決意は、もろくも崩れ去ったのでした。

 まあ僕としちゃ、楽しんでるし気にせずどんどんやってもらっていいんだけどね」


 ひとまず僕は、メリーさんに心配をかけないよう、ちゃんと眼科に通ってものもらいを治さないとね。



   ◆



 というわけで眼科に通い、ものもらいもほぼ治って、今日のこの診察が最後になった。

 もろもろの都合で夕方の終わりぎわの診察になってしまって、病院にはもう僕しか残ってないや。

 早く帰って、お風呂に入ろう。


「ねえ……そこのお兄さん……」


 唐突に響いた、女性の声。

 同時に空気が、ひやりと冷えた。


 振り返る。

 病院の廊下。長くて薄暗い。

 この廊下、こんなに長かっただろうか。こんなに暗かっただろうか。


 その向こう。

 白衣。お医者さん。女の人。つまり女医さん。長くてまっすぐな黒髪。

 口元はマスクに覆われている。やけに大きな。


「アタシ……きれい?」


 女医さんから投げかけられたその言葉に、僕の知識が総動員された。


『口裂け女』。

 かつて世間を恐怖におとしいれた有名な都市伝説。

 大きなマスクをつけた女性で、その下には大きく裂けた口がある。

 彼女の問いかける「私、きれい?」の言葉に正しく答えられないと、残酷な目に遭うという。


 正しい答え。

 どっちだったっけ。きれいと答えるか、きれいじゃないと答えるか。

 どっちのパターンもあった気がする。

 正直この手の都市伝説は、口伝えで広がるのに加えて時代が古いのもあって、正解や特徴にいくつものバリエーションがあったりする。

 それこそ元々の都市伝説とは全然違う感じになってる、メリーさんたちみたいに。

 ……メリーさん。


「きれいじゃない、です」


 女医さんの――口裂け女さんの眉が、ぴくりと動いた。


 正解かどうかは分からない。

 ただなんというか、メリーさんと仲良くしている手前、この人をきれいだと言うのは、ちょっとどうかと思ったんだ。


「……そうなのね……だったら……」


 口裂け女さんはこちらに歩み寄ってくる。両手を伸ばしてくる。

 あ、間違えたかな。メリーさんごめん、僕ひょっとするとここで――


「お兄さんのおうちのお風呂貸してもらえるかしら!? 今すぐ体を洗いたいのよぉぉぉ!!」


「は? え?」


 口裂け女さんは血相を変えて、僕の体をがっくんがっくん揺らした。


「アタシきれいじゃないと耐えられないのよ手洗い消毒しっかりして除菌シートも使ったりしてそれでもきれいじゃないとかガマンできないのよお願いよお風呂入らせてよねぇぇぇぇ!?」


「あー、きれいってそういう」


 そんなわけで、清潔という意味でのきれいにこだわる都市伝説・口裂け女さんが、これからうちのお風呂に来ることになった。

 ……いや、なんでさ。


——————


・作者より


カドカワBOOKSファンタジー長編コンテストにて、本作品が中間選考を通過しました。

皆様の応援のおかげです。ありがとうございます。

結果の如何にかかわらず、この作品はあいかわらずの感じでやっていきますので、これからも応援をよろしくお願いします。

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