第28話 大人になれない子ども(※三人称)

 赤羽の話では、豊樹は無事に帰ってきたらしい。休日中の出勤だったので、室長が彼に代休を取らせたらしいが。それでも、無事だったのは嬉しかった。彼に何かあれば、自分の事が情けなくなる。援護役しか果たせなかったが自分が、「役立たず」にしか思えなくなる。


 緑川からは「そんな事はない」と言われたが、青森としてはやはり悔しかった。豊樹と同じような力があれば、自分も迷宮で戦えるのに。迷宮の調査ではなく、攻略その物を行えるのに。ただの人間でしかない彼には、その力すら使えなかった。

 

 青森は悔しげな顔で、パソコンの画面を眺めた。パソコンの画面には、対策室への不満が書かれている。今回の事件に関して様々な意見を持った人々が、各公共機関の書込みページに様々な意見(そのほとんどが、文句だが)を書いていた。青葉はそれらの内容を読んで、自分が本当に無能なのを知った。「悔しいです」

 

 緑川は、その言葉に眉を上げた。前回の騒動からまったく休んでいない彼だが、そう言う気遣いは失っていないらしい。青森が見せる僅かな変化、その表情にも気づいてしまった。彼は顔の眼鏡を直して、青森の顔に目をやった。「なにが、だい?」

 

 青森は、その返事に言いよどんだ。本心では聞いて貰いたいが、それに遠慮を感じたようである。彼は下手な作り笑いを浮かべて、質問の答えを誤魔化そうとしたが。彼の不安を察していた緑川には、それが通じなかったらしい。青森自身は「大丈夫」と思ったようだが、緑川の方は「豊樹さんの事だな」と思った。


 緑川はパソコンの蓋を閉じて、自分の頭上を見上げた。「君は、充分に役立ったよ? 兎の狙いを暴いたし、彼にも『それ』を伝えた。ネットの情報を拾っただけで。それは、普通の人間にはできない事だよ?」


 青森はまた、彼の言葉に黙った。本当は、「そんな事はない」と言いたかったのに。彼から言われた一言が、その心に染みこんでしまった。自分の力が認められるのは、(「自己陶酔」とは違う意味で)嬉しい。「謙虚」と言う美徳が、一瞬だけ薄まってしまった。彼は両目の涙を拭って、自分の先輩に頭を下げた。「緑川さん」

 

 緑川も、それに「うん」と応えた。彼は穏やかな顔で、相手の顔を見かえした。


「どうしたの?」


「ありがとうございます」


 緑川は、その言葉に首を振った。相手の戦果を褒めるのは、人として当たり前の事である。「そんな事は、ないよ? 僕も、理不尽な人は嫌いだからね。相手の成功は、素直に褒めたい。そうすれば、自分も相手から褒められるからね?」


 青森は、その言葉に微笑んだ。「如何にも彼らしい理屈だ」と思ったからである。彼は穏やかな顔で、机のパソコンに向きなおった。緑川も、それに倣った。二人は緊張の解けた空間で、束の間の安息を味わった。


 が、それも長くは続かない。青森は「それ」に「ホッ」としていたが、緑川の方は「現実」に思考を戻していたからだ。室長席に座る黄木も、その違いを察している。緑川はパソコンのキーボードを叩いて、迷宮についての資料をまた作りはじめた。


「それにしても」


「はい?」


「不思議だね。豊樹君の倒してきた敵が、。最初はで、次にうし。三番目はとらで、今回がだ」


「た、確かに! それは」


 室長も、それに「不思議だな」とうなずいた。彼は二人の会話に入って、彼等に自分の感想を述べた。「二体目辺りから薄々と思っていたが。緑川君がそう言われると、確かに『不思議だな』と思った。異世界の魔王が、こちらの干支を使うなんて。俺としては、『妙だ』とは思っていたよ。『異世界』と言えば、『ドラゴンとかゴブリンとかが出てくる』と思ったのに」


 部下の二人は、その質問に眉を寄せた。特に緑川は、彼の疑問に共感を覚えたらしい。青森が「うううん」と唸る横で、その疑問に「もしかすると?」と考えていた。彼は自分の顎を摘まんで、室長の顔を見た。室長の顔は、彼の表情に目を見開いている。


「魔王がこちらの人間だから、では?」


「どう言う事だい?」


「言葉通りの意味です。魔王は元々、こちらの人間だった。豊樹さんの話を聞く限り、元々は神の依頼を受けて」


「向こうの世界に飛ばされた、『異世界の平和を取りもどして欲しい』と。魔王は……今時の言葉で言うなら、異世界転生者だった。神の加護を受けた人間、『最強』とも言うべき力を授けられた人間。豊樹君は、その人間を倒すために」


「向こうの世界に飛ばされた、のは分かります。野生化した動物を狩るには、同じような存在をぶつけるしかない。『最強』の力に抗える、存在を。豊樹君は言わば、自分の前任者と戦っている。自分と同じような知識、同じような価値観を持った」


「豊樹君は、私欲で動く人間ではない」


「分かっています、彼の行動を見ていれば。それは、充分に分かっている。問題は、魔王の価値観です。彼は自分の欲に従って、この世界に迷宮を作った。迷宮の中に人間を捕らえて、その人間から生気を吸いとるために。自分の損得だけを考えている。『自分さえ良ければいい』と、世界の迷惑を考えないので。迷宮の怪物が干支と被っているのも」


「趣味、か? 大人になれない大人の」


「あるいは、子どもかも知れません。子どもには……個人差はあるでしょうが、そう言うのにハマる時期がありますから。昔の生き物や、世界の伝説にハマる時期が」


「厨二病……」


 そう呟いたのは、二人の会話を聞いていた青森だった。青森は思いあたる節があるのか、複雑な気持ちで二人の目を見た。二人の目は、彼の目をじっと見かえしている。


「昔、そう言う友達が居て。ぼく自身は、とても好きだったんですけど。相手は今の現実に冷めたのか、その病気を治してしまった。『自分に酔うのは、止めよう』って、明るいところに行ったんです。『自分も、明るい人間になろう』と、自分だけの世界を捨ててしまった」


「君も、その世界に行ったのか?」


 青森は、その返事に戸惑った。自分の過去をそっと思いかえすように。


「半分は、行きました。陰と陽の中間に。ぼくは、夕焼けの世界が好きだったんです。あの丁度いい世界が」


「なるほどね。だが、魔王は『闇』を選んだ。陰の中でも、自己中心的な世界を。自分が『神』と信じる、自己陶酔の世界を。彼は『陰』でも『陽』でもない、『全』の世界を選んだ。自分こそが、『全て』と言う世界を。まるで駄々をこねる子どものように」


 緑川は、その言葉に眉を潜めた。人間にはそう言う時期があるかも知れないが、それでも流石に「長い」と思ったからである。彼は自分の過去と照らして、この魔王が「本当に自分勝手だ」と思った。


「僕も、二十年くらいしか生きていませんが。……人生には、色々な事がある。自分の思うように行かない事、嫌な相手に謝らなきゃならない事、そう言う事がたくさんある。彼は、その責任から逃げた。責任から逃げて、快楽だけに浸った。『それが最も利口だ』と言わんばかりに。彼は大人の責任から逃げて、子どもの世界に耽っているんだ。僕には、それが許せない。彼がこうして、この社会に迷惑を掛けている事も」


 対策室の二人は、その言葉に黙った。彼の言葉は、尤もだったから。それに意見を述べる事ができなかった。二人は互いの顔を見て、この嫌な空気に苛立った。「倒したいですね」


 そう呟く青葉に室長も「ああ」とうなずいた。室長は自分の珈琲を啜って、対策室の天井を仰いだ。対策室の天井には、お古の照明が光っている。「まったくだ、俺の公務員人生に賭けても。この案件は、倒したい。俺にも、守りたい物があるからね? 子どものワガママに潰されるのは、御免だ」


 緑川は「それ」にうなずき、青森も同じように微笑んだ。二人は室長の思いに沿って、自分達の未来に気合いを入れた。……この仕事は、絶対にやり遂げる。ここに集められた理由がたとえ、「都合のいい犠牲者だ」としても。それに信念を持って、「打ち込もう」と思った。彼等はここに居ない仲間を含めて、その絆に熱い物を感じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る