第27話 お疲れ様(※一人称)

 殺意を避けた。相手は俺の体を「斬ろう」としたらしいが、魔王よりは遙かに遅い動きなので、躱すのは本当に簡単だった。俺は右から来る爪も、左から来る前歯も、その軌道を見切った時点で、それに剣を当てる事ができた。


 正に完封、攻撃の無効化。俺の剣に弾かれる爪は、刃こぼれのした剣に思えた。斬れない剣に負ける筈がない。相手は「それ」が許せないようだが、武器の威力に差がある時点で、それが通じないのは明らかだった。

 

 敵わない相手には、「負け」を認めた方がいい。どうしても逃げられない場面を除いて、敗戦濃厚な場面では「それ」が一番の選択だった。が、相手は「それ」を選ばない。「偽獣」としての本能がそうさせるのが、俺に自分の爪を弾かれてもなお、その攻撃を決して止めようとはしなかった。相手は感情の読めない顔で、俺に通らない攻撃を撃ちつづけた。

 

 俺は、その態度に違和感を覚えた。態度の意図は分かるが、態度の本質が分からない。まるで、何かを狙っているように見える。相手の爪が弾かれているのは確かだが、それがある種の揺動で、「真の狙いは別にある」と思えた。


 俺は、その想像に震え上がった。相手の攻撃に怯んだのではなく、自分自身の思考に震えたのである。落とし穴まで作る相手が、こんな戦いを仕掛ける筈がない。一対一の勝負では、何のひねりも無いからだ。小細工の好きな兎が、こんな勝負を挑む筈がない。俺は今も無表情な相手の顔を見て、それに言い知れぬ恐怖を感じた。「まさかな? でも……」

 

 そう言いかけた瞬間に「ハッ!」とした。そして、底知らぬ恐怖を感じた。俺は今回の事件で見た、あの兎達を思いだした。「あの兎達はもしかすると、コイツの子どもではないか? コイツが迷宮の外に子どもを放って、迷宮から俺を遠ざけたのではないか? 俺が迷宮の中に入る時間を少しでも遅らせる……あわよくば、入らせないように。あの嫌らしい手を打ったのではないか?」と、そんな想像を思いだしたのである。


 俺は自分の想像に震えて、目の前の兎に向きなおった。目の前の兎はやはり、例の無表情を保っている。「俺の想像がもし、当たっているなら」

 

 。兎は有性生殖だから、そのツガイがどこかに居る。今は「相方」の姿が見られないが、コイツが「小細工の天才だ」と考えると、「それ」がどこから出てきてもおかしくなかった。


 ……コイツはきっと、俺の意表を突いてくる。あの無表情な顔は、俺に思考が読まれないための策。俺の思考を妨げる、揺動なのである。俺は自分の剣を構えて、目の前の敵を睨んだ。「上等だ。お前がどんな手を打ったって、それをみんな跳ね返してやる!」

 

 相手は、その声にも表情を変えなかった。どこまでも、無表情を貫くらしい。相手は自分の爪を上げて、俺の体にまた斬りかかった。俺も、その爪に挑みかかった。俺達は「剣」と「爪」の違いこそあれ、互いの武器をぶつけ合った。


 が、何かがおかしい。今の勝負は俺が勝って終ったが、敵の爪を弾いた感触に妙な違和感があった。相手は、何者かに合図を送っている。そう瞬間的に感じてしまったのである。


 俺は自分の違和感に怯んだが、その正体はすぐに分かった。俺が敵の体にまた剣を振り下ろそうとした瞬間、俺の背中に物凄い衝撃が走ったからである。俺はその衝撃に負けて、迷宮の壁に叩きつけられてしまった。「つうっ!」


 痛い。体の方は大丈夫なようだが、久しぶりに痛みを感じてしまった。俺は(今の衝撃で凹んだらしい)迷宮の壁から出て、地面の上に立った。地面の上には、新しい気配が感じられる。もう一体の怪物が現われたような、そんな気配が感じられた。


 俺は「それ」に不安を覚えて、気配の先に目をやった。気配の先にはやはり、もう一匹の兎が立っている。兎は自分の相手を気遣っているのか、相手の体に触れて、その体をそっと撫でていた。


 俺は、その光景に苦笑した。こんな夫婦愛は、見たくない。さっさとお引き取り頂こう。俺は夫婦の間に入って、夫(と思われる)の方に剣を振るった。俺の目をじっと見かえす態度から、「コイツは雄だ」と思ったからである。


 俺は空気を裂く気持ちで、雄の体に斬りかかった。が、流石の夫婦愛。夫の窮地には、妻も黙っていないらしい。俺が夫の体に剣を刺した瞬間、妻が俺の体に体当たりした。俺は「それ」に負けて、迷宮の壁に吹き飛ばされた。「くそっ」

 

 またも、痛い。体の方は無事だが、骨まで激痛が走った。頭の方も、クラクラする。迷宮の壁にぶつかった瞬間、その表面に高等部をぶつけたらしい。それが、目眩の原因になっていた。


 俺は自分の頭を振って、通常の視界に戻した。ぼやけた視界では、相手の動きを捕らえられない。相手は「鈍い」とは言え、危険な怪物なのだから。一つの油断が、命取りになる。

 

 俺は得意の剣技を使って、兎達の注意を引いた。アイツ等が俺の技に目を奪われれば、この技も極まりやすくなる。余計な恐怖も抱かれない。俺は剣の中に「気」を注いで、相手の方に飛びかかった。相手も、それを迎え撃った。


 俺達は互いの全力、互いの技をぶつけ合った。そして、この下らない戦いに決着を付けた。地面の上に倒れる兎達。その体からは、緑色の血が流れている。彼等の死を表すように、その地面をゆっくりと染めていた。

 

 俺は、その光景に眉を寄せた。それは俺の勝利であり、また同時に現実でもあったからだ。誰の命も救えなかった現実。緑色の血に混じって、赤い血を感じる現実である。俺は死体の一人一人に手を合わせて、迷宮の出口に向かった。


 迷宮の出口に着いたのは、何日後だろう? 正確な時間は、分からない。ただ、外の赤羽達に「おかえり」と言われただけだった。俺は彼等の声に喜ぶ一方で、死者達の報告に胸を痛めた。「俺が着いた時には、もう。奴等は、全員の命を食らっていた」

 

 各組織の長は、その報告にうつむいた。彼等の死を悼んでいるのか? それとも、自分の責任に怯えているのか? その真意は分からないが、とにかく唸っていたのは確かだった。彼等は対策室の俺達に頭を下げて、その働きに「ありがとう」と微笑んだ。「最善を尽くしてくれて。この失態は、我々の責任です。自分達の力を信じすぎた、我々の。だから! 貴方達には、何の責任もありません」

 

 俺は、その言葉に首を振った。それが「事実だ」としても、俺達に責任がないなんてありえない。この事件に関わっている以上は、俺達にも相応の責任がある。だから、彼等の言葉は間違っているのだ。同じ目標を持っている時点でもう、俺達は迷宮の抵抗軍なのである。


 俺は、目の前の人達に頭を下げた。「今度は、絶対に助けます。貴方達の仲間を、自分の仲間と同じくらいに。この問題は、俺達だけの問題じゃありませんから」


 室長達は、その言葉に目を潤ませた。俺の言葉に胸を打たれたらしいが、俺としては複雑な心境である。俺は、彼等の気持ちを動かせる程に立派な人間ではない。むしろ、至らない人間である。自分の使命すら果たせない、本当に情けない人間だった。


 それなのに「ありがとう」と言ってくれる。俺の手を握って、「これからもよろしく」と言ってくれる。自分と俺の距離を縮めて、それに「頑張ろう」と言ってくれた。彼等は悔しげな笑顔で、俺と俺の仲間に頭を下げた。「戦いは、これからなんだから」

 

 俺も、その言葉にうなずいた。確かにその通りだから。俺の仲間達も、俺と同じようにうなずいていた。俺は自分の仲間達を見て、目の前の彼等に視線をまた戻した。


「外の犠牲者は?」


「居ないよ、奇跡的にね? 君達の情報通り、。お陰で、兎の山ができたよ」


「そう、ですか。それは」


「良かった。が」


「何です?」


 その答えは、赤羽が答えてくれた。赤羽は町の方に目をやって、その一つ一つを指差した。「経済の方は、滅茶苦茶だ。兎が町の中に放たれた事で、様々な被害が出ている。自分の店に車が突っ込んだ事で、営業が難しくなった人も居るらしい」


 俺は、その言葉に落ちこんだ。それはある意味で、人の死よりも悲惨である。現代社会で経済力を失うのは、どう考えても辛い。公的な支援や保険などを受けられても、その打撃は計り知れないだろう。怪物達から受けた精神的ショックも大きい。


 俺はそれらの想像を見て、怪物達に自分の家を焼かれた人々や、愛する人を殺された人達、そう言う人々が嘆きかなしむ姿を思いだしてしまった。「ぶっ潰してやる、こんな不幸を撒き散らす連中は。俺がこの手で、捻り潰してやる」

 

 赤羽は、その言葉に微笑んだ。まるでそう、俺の労を労うように。「そうだな。でも、今は休め。本当は、休みだったんだからな? 室長も、『代休』を取らせたいようだし。今から働くのは、流石に疲れるだろう?」

 

 俺は、その言葉に苦笑した。「確かに」と思ってしまった、自分に。俺は赤羽達に残りの仕事を任せて、自分の家に戻った。「お疲れ様」

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