第25話 足止めの意味(※三人称)

 現実に戻された。朝の散歩を終えてからずっと、迷宮の事を考えていたのに。室長から掛かってきた電話で、その思考を奪われた。青森はいつものスーツに着替えようとしたが、室長から「今日は、休みだろう」と言う事で、自宅での待機を命じられた。「『休み』もクソもありません。現場にはもう、豊樹さん達は行っているんですか?」


 室長は、その質問に答えなかった。それらしい答えは貰えたが、正確な情報は得られない。ただ、「君は、待機だ」と言われるだけだった。「君が行っても仕方ないだろう」と言う現実を言われただけだったのである。室長は青森の反論を無視して、彼との通話を切ってしまった。


 青森は、その態度に苛立った。自分が何か、除け者にされている気がして。室長の対応に苛々してしまったのである。彼は自分の怒りに任せて、飲みかけのペットボトルを投げようとしたが……それもすぐに「止めよう」と思いなおしてしまった。


 こんな事をしても、無駄だ。室長の対応は許せないけど、それに文句を言っても仕方ない。室長にも、室長の立場があるのだから。一番新人の自分に何かあれば、室長のキャリアにも傷が付く。自分は、室長のそれ自体は嫌いでないのだ。嫌いでない人間をわざわざ困らせる事はない。青森は自分にそう言いきかせて、今の自分に何ができるかを考えた。「下手には、動けない」


 それなら情報収集だ。情報収集なら、家のパソコンでもできる。パソコンの電源を点けて、ウェブのページを漁ればいい。ウェブのページには、個人の上げた様々な情報が載っている。それらを調べれば、自分にも何かが出来る筈だ。「現場で戦うだけが、戦いじゃない。こう言う情報戦も、戦いには必要なんだ!」


 彼はいくつものウェブページ、果てはスマホのアプリまで開き、迷宮に関わりそうな情報をかたっぱしから探した。その結果、ある情報に目が留まった。町の中を写したらしい写真、その日付から今日に撮られた物らしいが。写真の中には何匹も、無数の兎が写っていた。「これは、スマホのカメラで撮られた写真か。投稿者は、兎の出現に驚いたらしい」


 彼は投稿者が載せた他の写真も見て、それらに写っている物を一つ一つ確かめた。……彼の手が止まったのは、二枚目の写真を確かめた時だった。彼は写真の右端を広げて、そこに写る人間を見つめた。「まさか、そんな!」


 嘘だろう? 。タクシーの中に入ろうとした瞬間、周りの兎に「それ」を阻まれている姿が写っていた。彼は思わぬ豊樹の登場に驚く一方で、彼がタクシーに乗ろうとした意図を察した。


 彼はたぶん、迷宮に向かおうとしたのだろう。自分の前にたまたま通りかかったタクシーを捕まえて、自分の役目を果たそうとしていたに違いない。兎が彼を阻んだ場所と迷宮が現われたらしい場所は、車で行くにも相当の距離だった。

 

 青森は敵の(しかも巧妙な)罠に驚く中で、ふと妙な違和感を覚えた。この兎達はどうして、豊樹さんを遠ざけたのだろう? 普通なら豊樹さん以外の人を誘って……いや、その考え自体が間違いかも知れない。「迷宮の中に獲物を誘う」と言う考え自体が。


 青森はそう考える中で、またも恐ろしい考えに至った。「この考えがもし、正しければ」と、そう内心で思ってしまったのである。彼は一枚の紙を出して、その表面に考えを書きはじめた。「迷宮は、豊樹さんを『敵』として見ている。自分の欲望を阻む敵として」

 

 普通は、自分の中に入れない。自分から少しでも、遠ざけようとする。自分の力を取りもどす意味でも、彼は迷宮にとって一番嫌な相手だ。一番嫌な相手を自分に近づける筈はない。そう考えるとまた、恐ろしい考えに至った。。そうする事で、魔王の力が戻るから。魔王の力をより速く戻すには、よりたくさんの獲物が居た方がいい。

 

 青森は「ハッ!」として、室長にまた電話を掛けた。室長から「現場の様子を訊こう」と思ったからである。彼は室長の「待機は、どうした?」を無視して、彼から現場の様子を訊いた。


 現場の様子は、最悪だった。そこの指揮権が余所に移った事で、豊樹達は「待機」を命じられているらしい。迷宮の中には、「警察」と「自衛隊」の部隊が入っていた。彼は「それ」に驚いて、室長に怒鳴った。


「撤退を命じて下さい。これは、罠です!」


「罠?」


「そうです! 迷宮は、隊員達の命を狙っている。魔王の養分にするために。彼等はきっと、入った瞬間に捕らわれている!」


 室長は、その言葉に押しだまった。今の言葉に驚いたのか、それとも、戸惑ったのか? 電話越しには分からなかったが、少なくとも迷った事に違いはなかった。室長はしばらく黙って、部下の耳元に「それは、お前の想像だろう?」と囁いた。


「想像に意見は、言えない。俺はもう、室長以上の権限を失っているからな。組織の上を動かすには、相応の証拠が必要になってくる。お前の推理に確かな証拠は、あるか?」


 今度は、青森が黙った。そう訊かれたら、何も言えない。これはあくまで、自分の想像でしかないのだから。想像に基づく推理では、相手の足を動かせない。青森はそう感じて、自分の上司に謝った。「申し訳ありません、少し出しゃばりました」

 

 上司は、その言葉に「いや」と言った。彼の事を怒っているわけではないらしい。


「かえって、『もうしわけない』と思っているよ。君の推理がもし、正しければ。俺は、文字通りの人殺しになるんだからね? 君の事は、責められない。俺は」


「室長?」


「青森君」


「はい?」


「これから話すのはあくまで、俺の提案だが。彼等に話してみたら、どうだろう?」


「彼等? 彼等って豊樹さん達に、ですか?」


 その答えは沈黙、でも肯定を示す沈黙だった。


「しかし、豊樹さん達に話しても! 今は、違う組織に命令権が移されているんでしょう? それなのに?」


、だよ」


「特例?」


「ああ。こちらも、ヘイコラしていられないからね? 痛み分けの勝負に持ちこんだ。『基本は貴方達に委ねるが、特別な場合は我々に任せて欲しい』と。こちらには、元冒険者が居るからね。彼の力は、政治にも使える」


 青森は、その言葉に震えた。この人はやはり、やり手だ。兎の中に龍を飼っている人、蝶の中に鷲を飼っている人である。彼は自分の上司に微笑んだが、それもすぐに引っ込めてしまった。今は、上司の力に喜んでいる場合ではない。


「分かりました。すぐに連絡を、豊樹さん達に伝えます!」


「ああ、そうしてくれ。俺は、みんなの戦果を待っているよ」


 室長はそう言って、彼との通話を切った。青森も、室長との通話を切った。二人は立場の違いこそあれ、「自分の最善を尽くそう」と誓った。「俺達は、迷宮対策室だ」


 青森は、豊樹に電話を掛けた。彼ならきっと、信じてくれる。そう思って、彼の電話番号に掛けた。青森は豊樹が自分の電話に出ると、(豊樹から赤羽と緑川も、その場に居る事を聞いた)真剣な顔で彼に自分の推理を聞かせた。「確かな証拠は、ありませんが。でも」


 豊樹は、その続きを遮った。「そこから先は、聞かなくてもいい」と思ったらしい。青森に「ありがとう」と返した声からも、彼の誠意が感じられた。豊樹は青森の身を案じて、彼に「部屋からは、絶対に出るな」と言った。


「奴等は、迷宮の外に偽獣を放てる。これは、今までにない現象だ。偽獣が町の中に居る以上、君に危害を加えないとも限らない。今は俺達の裏方に徹して、二人の事を助けて欲しいんだ」


 青森は、その言葉にうなずいた。「二人」の部分が気になったものの、それが「今の自分にできる最善策だ」と思ったからである。彼は豊樹との通話を切って、パソコンの画面にまた向きなおった。


 パソコンの画面には(誰かが動画サイトに現場の様子を上げているらしい)、豊樹達の姿が映されている。彼は画面の映像に合わせて、ネット上の声やテレビの報道、各組織の動きなどを見はじめた。「迷宮は、知恵を付けている。でも、ぼく達だって! 同じくらいに知恵は、あるんだ」

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