第24話 足止め役(※一人称)

 兎は、止まらなかった。俺の気配には気づいているが、それを振りはらおうとはしない。俺の方を時折振りかえっては、俺がちゃんとついてきているかを確かめている。俺が商店街の角を曲がった時も、雑居ビルの前を横切った時も、その可愛らしい頭を動かして、俺の動きを何度も窺っていた。


 兎は人間の目から逃れて、夕暮れの町を歩きつづけた。俺も、兎の後を追いつづけた。アレが敵の誘導役なら、その先には(きっと)迷宮が待っている。俺の事を閉じこめる迷宮が、口を開けて待っている筈だ。そう考えると、見逃すわけにいかない。アレを見逃せば、多くの人が危険に晒される。俺のような状況になって、迷宮の中に引きずりこまれる筈だ。「そうなる前に何とかしないと」

 

 俺は不安な気持ちで、兎の後を追いかけたが。……おかしい。兎の姿は見失っていないが、肝心の迷宮がちっとも現われなかった。町の端に夕日が沈んだ時も、そして、通りが灯りに包まれた時も。俺の方を何度か振りかえるだけで、迷宮の中に「俺を連れて行こう」とはしなかった。俺は、その違和感に首を傾げた。「どうしてだ? どうして?」

 

 あの兎は、迷宮に戻られないのだろう? 迷宮の中に戻らなければ、自分の役目が果たせない筈なのに? 俺にはあの兎が何を考えているのか、さっぱり分からなかった。俺は「不安」と「恐怖」が入り交じった気持ちで、兎の後をずっと追いかけつづけた。


 が、そんな時に一つ。俺の予想を裏切る知らせが入った。俺が兎の動きに苛立ちはじめた瞬間、対策室の室長から連絡が入ったのである。室長は俺の「どうしました?」に答えないで、俺に「豊樹君、大変だ!」と叫んだ。「◯◯町に迷宮が現われたらしい。今、現地の警察が対応に当たっている」


 俺は、その知らせに目を見開いた。迷宮が現われた◯◯町は、ここからかなり離れている。徒歩で行くのはもちろん、車で行くにも大変な距離だ。今から走ってどうこうなる距離ではない。


 俺は自分の耳にスマホを当てたまま、呆然とした顔で目の前の兎を見つめた。目の前の兎は無感動な顔で、俺の顔を見かえしている。「思い込んでいた。『コイツは、迷宮への誘導役である』と、勝手にそう考えていた。でも、実際は」


 。俺は自分の推理に苛立って、今の場所から走りだした。アレが偽物である以上、この場に留まる必要はない。そこら辺のタクシーを捕まえて、件の現場に急ぐ必要があった。


 俺は自分の前にたまたま通りかかったタクシーを捕まえて、その中に「すいません!」と乗ろうとしたが。敵さんは、それすらも考えていたらしい。俺がタクシーの中に乗ろうとした瞬間、自分の仲間を呼びだしたのである。


 兎達は「道路」と言う道路、「建物」と言う建物の中に入って、そこに居る人々を「なんだ? なんだ?」と驚かせた。「どうして兎が こんなに? 何処かのトラックから逃げだしたのか?」


 俺は、その声に苛立った。そう叫んだ人達は、悪くない。そうなるように仕向けた、あの兎達が悪いのだ。町の交通網を止めて、それに混乱をもたらした兎達が悪いのである。

 

 俺はタクシーの運ちゃんに「やっぱり、いいです」と言って、車の前からすぐに走りだした。道路の自転車すら足止めされている以上、ここから走って向かうしかない。対策室の室長にも、その旨を知らせた。


 俺は室長の許可を得た上で、件の現場に向かった。件の現場には、赤羽と緑川の姿があった。俺よりも先に着いていたらしい。俺が二人に手を振ると、二人も俺に手を振り替えしてくれた。俺は額の汗を拭って、二人のところに走りよった。「状況は、どうなっている?」

 

 二人は、その質問に表情を変えた。特に緑川は、それに葛藤を覚えたらしい。赤羽が俺に「先行隊が入ったよ」と答える横で、複雑な表情を浮かべていた。二人は迷宮の方を向いて、その入り口を指差した。迷宮の入り口には、僅かな亀裂が見えている。


「かなりの警察官が入った。みんな、かなりの重装備だったよ。俺達の情報を聞いて、御上の皆さんが持たせたらしい。45


「……そうか。捕らわれた連中は?」


「時間が時間だからな。大半が、会社帰りの連中らしい。目撃者の証言に寄れば、あっと言う間の出来事だったそうだ。迷宮の中から伸びた触手に捕らわれて。国にこれを伝えたのも、その目撃者なようだ」


「なるほどね。だが」


 それでも、危ない。そう言いかけた瞬間、俺達の頭上に轟音が鳴りひびいた。俺達は「それ」に驚いて、自分の頭上を見上げた。俺の頭上には一機、自衛隊の輸送ヘリが飛んでいる。


 まるでそう、怪獣映画委を思わせるように。地上の警察隊も、現場近くの野次馬達に「ここから離れるように!」と叫んでいた。「任務の妨害は、罪に問われる可能性があります」


 野次馬達は一部の例外を除いて、その指示に従った。好奇心が旺盛な彼等だが、罰の力にはやはり弱いらしい。警官達の注意を受けた瞬間、その場から一目散に逃げだした。


 赤羽は、その光景に溜め息をついた。「罰が怖いなら、最初から見なきゃいいのに」と思ったらしい。緑川の方は相変わらず黙っているが、赤羽の方は明らかに苛立っていた。


 赤羽は自分のスマホを取りだすと、慣れた手つきでスマホの画面をタッチした。「室長、自衛隊が着きました。今、へりから降りてくるようです。頭の上にパラシュートが見える」


 一つ、二つ、三つと。どんどん増えていく。自衛隊は、かなりの数を入れたらしい。地上で待っていた警察の指揮者も、彼等の数に驚いていた。自衛隊は地上の上に降りると、迷宮の周りに集まって、警察の指揮官に状況を訊きはじめた。


 が、それが赤羽には不服だったらしい。室長からは「その場に待機」を命じられたようだが、各組織の部隊長から「助言」を求められた時には、俺の動きを制して、彼等に「好きにやれよ」と言っていた。


 彼は緑川の肩に手を置いて、俺にも「だよな?」と目配せした。「現場の指揮権は、アンタ等に移ったんだ。俺等がどうこう言う問題じゃない」

 

 指揮官達は「それ」に口を紡いだが、俺は黙っていられなかった。そんな事は、何も聞いていない。指揮権の譲渡が行われれば、自分の意思で迷宮に入れなくなる。俺はなおも言いつづける赤羽を制して、緑川に「どう言う事だ?」と訊いた。「彼等はあくまで、協力組織だろう? 直接の指揮権は、無い筈だ」

 

 緑川は、その質問に眉を寄せた。それに彼の、不愉快のわけがあるように。彼は両手の拳を握って、自分の足下に目を落とした。「ついさっきに決まったんですよ。現場の指揮権は、公安部隊に任せる事が。室長も、命令書に目を通しています。これは、『豊樹君にも伝えなければ』って。現実は、一足遅かったですが」

 

 俺は、その話に言葉を失った。これでは、何のために戻ってきたか分からない。あの世界から現代社会に戻った意味が。俺は怒りに任せて、室長のスマホに掛けようとしたが。緑川に「止めて下さい」と止められてしまった。俺は、その言葉にも怒った。コイツも結局、「役人か?」と思ったからである。


「なぜだ?」


「今の貴方は、冷静じゃない。冷静でない人の言葉を聞かせるわけにはいきません」


「なっ!」


「豊樹さん!」


 彼は、俺の目を睨んだ。まるでそう、何かを訴えるように。


「貴方も、大人でしょう? 貴方の気持ちは、痛い程に分かりますが。ここは、国に従うしかありません。僕達はあくまで、組織の一部なんですから」



 その言葉になぜか、引っかかった。彼のような人間は、「一部」ではなく「駒」と言う言葉を使う気がしたからである。俺はそんな違和感に怒りを忘れたが、赤羽に「とにかく!」と言われると、その声に「ハッ!」と驚いてしまった。


「赤羽?」


「今は、眺めていようぜ? 『プロの仕事』って奴をさ? 本当に危なくなったら、『特例』を使えばいいんだし。それまでは、静観を決めこもう」


 俺は、その言葉にうつむいた。本当はそれすらも逆らいたかったが、自衛官達が迷宮の中に入りはじめた事もあって、それにうなずかざるを得なかった。俺は悔しい気持ちで、迷宮の入り口を見はじめた。

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