第22話 テレビのヒーローみたいに(※三人称)
憂鬱な朝だった。迷宮の中に入れないのが悔しい……わけではないが、それでも寂しかった。自分の仕事に文句を言われたようで、すべてのやる気を奪われてしまった。今日は、休んでいい。仕事の方は、俺達で回しておくから。お前達は、ゆっくりと休んでいなさい。
そう言ってくれた室長に苛立ったわけではないが、青森としてはやはり不服だった。こう言う事態になった以上、最後まで責任を持ちたい。命の危険には恐怖があるが、「それでも働きたい」と思った。あの元冒険者のように。自分もまた、自分の世界を救いたかったのである。青森はそんな葛藤を抱いて、今日の朝食を食べはじめた。
今日の朝食は、コンビニ飯だった。普段は自分で作る事もあるが、今回は作る気になれなかったからである。彼は袋の中からカツサンド、サラダが入った容器の蓋を取り、ミルクティーの注ぎ口にはストローを、ついでにテレビの電源も点けた。「いただきます」
やる気のない声。それからカツサンドを頬張る顔にも、覇気が感じられなかった。青森は次々と流れるテレビの報道を眺めて、それらの内容に何度も溜め息をついた。どれもこれも、自分達の知る情報ばかりである。
迷宮は、危険な所。決して近づかないように。もし見つけてしまった場合は、然るべき機関に「それ」を伝える事。テレビのアナウンサーが伝える内容は、それの焼き直しばかりだった。
青森は、その焼き直しに肩を落とした。「焼き直し」の内容は決して、悪くない。悪くないが、そこに罰則規定が無かった。「無断で迷宮の中に入った場合は、それ相応の罰が与えられる」と言う、一番の抑止力が報じられていなかったのである。
一番の抑止力が報じられなければ、その穴を突いた者達、自称ネットの人気者達が、どんどん集まるに違いない。そうなれば、流石の国も手に負えなくなる。青森も迷宮の世界に好奇心を抱いたが、それは豊樹の存在があったからで、自分だけなら生還を諦めていたに違いない。
彼は豊樹に守られた事で、安全なところから安全な好奇心を満たせたのである。豊樹の居ない素人が、「その好奇心を満たせる」とは思えない。青森は今も流れるテレビの報道を聞いて、その中に漠然とした不安を抱いた。「何か悪い事が起きなきゃいいけど」
この情報を知って、嫌な考えを起こさなければ。現代は自分が思う以上に荒れた時代だし、人々の心もそれ以上に荒れている。自分も高校、大学と学校を進んだが、その課程で心を壊す者も居たし、社会に出てから精神が壊れた者も居る。実際、知り合いの中にもそう言う人が何人か居た。
昨日までは普通だった人が、ふとしたきっかけでおかしくなる。現代は「物」にも「技術」にも恵まれた時代だが、その裏側に恐ろしい暗部を抱えているのだ。その意味で、この迷宮は恐ろしい。
ただでさえ荒れた時代にこの迷宮は爆弾、あるいは、それ以上の脅威に思えた。こんな情報を知った人達が、まともな神経でいられる筈がない。何処かできっと、壊れる。壊れる兆しは無くても、それがきっと訪れる。
迷宮の真実を知った青森には、それが本能の内でどうしても分かってしまった。恐怖に染まった人間は、普通の神経を保てない。文字通りのパニックに陥る。だから、テレビの報道にもうつむいてしまった。
青森は手抜きの朝食を終えて、外出用の服に着替えた。外には危険がある事は分かっていたが、「それでも出たい」と思ったからである。彼は必要最小の物だけ持って、宿舎の外に出た。宿舎の外は、晴れていた。スマホの天気アプリにも書かれていたが、今日は一日中晴れるらしい。
気温の方も、散歩には丁度いい感じだ。宿舎の敷地から出ると、通りの歩道を走っている男性や、愛犬との散歩を楽しむ女性も見られる。青森は自分と擦れ違う人間にだけ、愛想のいい挨拶を交わした。「お早う御座います」
相手も、その挨拶に応えた。個人差こそあるが、こう言う人達は(大抵)挨拶を返してくれる。先程の愛犬を連れている女性も、彼の挨拶に「おはようございます」と返してくれた。彼等は時間に負われている者を除いて、青森と短い会話を交わした。
「良い天気ですね?」
「はい、本当に。散歩には、最高の天気です。風も、気持ちいいですし」
相手は、その言葉に微笑んだ。相手もまた、彼と同じ感想を抱いていたらしい。
「ええ、走るにも丁度いいです。下手に暑いのは、辛いですからね。少し涼しいくらいが、丁度いいですよ?」
「そうですね。ぼくも、これくらいが好きです。自分の頭を整える意味でも」
それを聞いた相手の顔が変わったのはたぶん、偶然ではないだろう。相手は首のタオルで汗を拭き、右手の腕時計で時間を確かめると、真剣な顔で青森の目を見かえした。「気になるんですか、貴方も?」
今度は、青森の顔が強張った。青森は相手の目から視線を逸らして、自分の足下に目を落とした。彼の足下には、ひび割れたコンクリートが広がっている。「昨日からずっと、迷宮の話ですから。嫌でも考えてしまいます。迷宮の怖さについて」
相手は、その言葉に黙った。彼もまた、迷宮に思うところがあるようである。「困りますよね、本当に。私は自営をしていますから、色々な意味で心配です。最近は、通販の力が強いですから。地元の小売店は、辛いですよ。ただでさえ、客足が少ないのに。外出を控えられちゃ、堪ったモンじゃありません」
青森は、その言葉に眉を寄せた。それが、思わぬ盲点だったから。今の言葉に思わず苛立ってしまった。彼は迷宮がもたらす災害、「経済」と言う視点に顔を上げた。……そうだ。危険に晒されるのは何も、人の命だけではない。経済活動に勤しむ人々、その生活も脅かされるのだ。
生活の糧を失えば、自分の命も保てなくなる。正に「二次被害」と言うべき、災害だった。迷宮が人々の経済活動を阻めば、国の経済もそれだけ滞ってしまう。「経済の衰退は、国の衰退だ。迷宮が人間の命を奪わなくても、間接的に」
そう言いかけた瞬間に口を紡いだ。今の呟きを聞いていた相手が、それに「アハハッ」と泣きはじめたからである。相手は青森の謝罪に首を振って、自分の頭上をゆっくりと仰いだ。「正にお手上げですよ、『神も仏もない』ってね。私の知り合いも、今後の事を考えているようです。この災害から逃げきるために」
救世主でも出てくればいいんですが。彼はそう、青森に言った。「それこそ、『宇宙の果てから、こんにちは』と言う風に」
青森は、その言葉に目を見開いた。自分が今、それに関わっているから。目の前の相手にも、「実は」と言いかけてしまった。が、それを言ってはならない。対策室の存在は世間にも知られはじめているが、「守秘義務」と言う規則がある以上、「余計な事は、言えない」と思ったからである。
彼は相手の願いに「そうですね」と言って、「自分も、そう言う人が欲しいです」と加えた。「ヒーローのような人が現われたらきっと、この問題も何とかしてくれる。それこそ、テレビのヒーローみたいに」
相手も、それに「まったくです」と微笑んだ。相手は青森に頭を下げて、彼の前から走りだした。青森は、その背中を見送った。それが抱える人生、彼の家族を思った。彼の背中を救う事は、この国を救う事である。青森はそう思って、自分の正面に向きなおった。彼の正面には、穏やかな景色が広がっている。「戦わなきゃ」
あの人を、あの人のような人達を助けるために。自分も、救世主にならなくては。青森は「うん」とうなずいて、町の通りをまた歩きはじめた。自分の一歩を、これから進む未来を信じるように。
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