第21話 怪しい兎(※一人称)

 休みを貰った。正確には、「休み」になっただが。俺と青森君が、休みになった。宿舎の中で、スマホを眺める休日。スマホの画面をぼうっと眺める、休み。学生の頃ならまだ眠っている時間に頭を起こしてしまった。


 俺は寝間着姿のままで、ベッドの上にぼうっと寝そべりつづけた。だが、それも長くは続かない。気持ちとしてはまだ寝ていたかったが、体の方はもう起きたくなっていた。体がウズウズして、眠れない。頭の方も、妙に冴えている。思考の方は「落ちつけ」と言っていたが、本能の方は「動け」と命じていた。

 

 俺は「それ」に従って、ベッドの上から起き上がった。「とりあえず、朝飯でも食べよう」と思ったからである。朝食にはまだ早いかも知れないが、洗面所で自分の顔を洗い、それから歯を磨かなければ、炊飯器の蓋を開ける事すらできなかった。


 俺はご飯茶碗の中に白米をよそい、もう一つの茶碗には味噌汁を、皿の上にはベーコンエッグとサラダを、コップの中には牛乳を入れて、本当は点けたくないリビングの液晶テレビを点けた。

 

 テレビではまた、迷宮の事を報じていた。昨日と同じような内容、女性アナウンサーが専門家(なんて、者が居るのか?)から話を訊いている場面。それ等が淡々と映され、たまに流れるCMを除いては、暗い内容がずっと流されていた。

 

 俺は、その内容に溜め息をついた。真実を知るのは大事な事だが、真実の乱れ打ちは疲れる。「落ちこむな」と言われる横で、「落ちこめ」と笑われている感じだ。例の呟きアプリにも、ネガティブな憶測が飛び交っているし。一部のお気楽な声を除いては、揃って暗い話題を話していた。


 り。そんな話題がずっと、壊れた機械のように繰りかえされていたのである。専門家との会話を終えた女性アナウンサーも(彼女の責任ではないが)、視聴者に「政府の効果的な政策」を訴えていた。

 

 俺はまた、その言葉に溜め息をついた。結局は、「責任転嫁である」と。マスメディアが世間に事の異常を伝えたところで、この状況が良くなるわけではない。ただ、不安と恐怖を煽るだけだ。具体的な策も無いままで、透明な恐怖心を煽るだけである。


 俺はこれらが伝える現実、自分が居た世界に嫌悪感を覚えた。「彼等は、知らない。知らないから怖がる。怖がるから叫ぶ。『誰か、何とかしてくれ』と」

 

 だから、腹が立った。「かつての自分も、そこに居た事」も含めて。言いようのない怒りを覚えてしまった。真の危機に危機感を覚えないのは、精神の崩壊よりも恐ろしい。


 俺は今日の朝食を平らげて、外出用の服に着替えた。「このままでは、気分が淀む」と思ったからである。俺は少しの休憩を入れて、宿舎の中から出た。

 

 宿舎の外は、晴れていた。町の風景は何処か、殺伐としているけれど。宿舎の階段を降りた先で吸った空気には、妙な清涼感が覚えられた。俺はズボンのポケットに手を突っ込んで、町の道路を歩きはじめた。


 町の道路には、それなりの人が見られた。俺のような人間も、何人か見られる。歩きやすい服で、個人のウォーキングを楽しんでいた。それ以外の人間は、各々の歩調を保っている。「自転車の人は自転車、車の人は車、バス通の人はバス通」と言う風に。それぞれの武器を使って、この果てしない道路を進んでいた。

 

 俺は、その光景に胸を痛めた。この光景に異物を入れたのは、俺だ。俺が直接のきっかけではなくても、その原因を作ったのは俺だ。あの時、あの場所で、あの魔王を倒せなかった責任。。俺は自分の責任、自分の情けなさに肩を落とした。「俺は、魔王以上の魔王だ。世の中に不安を」

 

 もたらした存在。それを呟いた瞬間、正確には「も」と言った瞬間だろうか? 通りの向こうから歩いてきた男性に「違うよ」と言われた……気がした。実際は、自分の息子に言っていただけらしい。俺の事は見えていたようだが、俺自身に話したわけではないようだ。俺と擦れ違う時も、自分の方に息子を引っ張っていたし。


 彼は俺に話しかけるようで、自分の息子に「違うよ」と話しかけていた。「お前の所為じゃない。友達が先生に怒られたのは、その子自身の問題だ。その子が悪い事をして、それに先生が怒っただけで。お前はただ、自分の友達に『ダメだよ』と言っただけだ」

 

 俺は、その言葉に目を見開いた。今の親子は、見失ってしまったけれど。彼等が交わした会話は、「俺への言葉」に思えた。俺は、その言葉に自分を正した。自分を正して、その気持ちを律した。俺は自分の頬を叩いて、その正面にまた向きなおった。俺の正面には、穏やかな景色が広がっている。「進むか」

 

 自分の闇に負けないように。「この両脚を動かすか」


 俺は「うん」とうなずいて、町の中を歩きつづけた。が、やはり平常ではない。表面上では「平常」に見えても、その隅々には恐怖が、迷宮に対する畏怖が感じられた。俺が昼頃に入ったラーメン屋の店主も、テレビの報道に「怖いですね?」と言っていたし。


 それから入った喫茶店のマスターも、ご自慢の珈琲に「迷惑な話だ」と呟いていた。「ただでさえ、面倒なご時世なのに。まさか、こんな事が起こってしまうなんて。私としては、いい迷惑ですよ。こっちは、珈琲一杯に命を賭けているのにね?」

 

 マスターは寂しげな顔で、俺の目を見つめた。俺も、彼の目を見かえした。俺達は店の掛け時計が時を刻む中、ラジオから聞える陰気な話題に触れて、言いようのない虚脱感を覚えつづけた。「?」

 

 そうマスターに訊かれた瞬間、その答えに「え?」と戸惑ってしまった。俺は質問の意図が分からないまま、マヌケな顔でマスターの目を見てしまった。


「俺が、ですか?」


「ええ、こんな時に珈琲を飲めるなんて。普通の人には、なかなかできません。みんな、情報のカップに目が行くだけです。『その中に何が入っているのか?』と、中身の事だけを考える。その意味では」


「俺は、強くないですよ?」


 マスターは、その言葉に首を振った。まるでそう、俺の中身を見透かしたように。「強い人は、自分の強さを言いはらない。自分の強さを訴える必要がありませんから。いつも謙虚な態度を取る。『自分が強い』と言いはるのは、自分に自信が無い人だけですよ?」


 俺は、その言葉に押しだまった。それにどう応えていいのか分からなかったからである。俺はマスターの煎れた珈琲を啜って、今も流れるラジオの音を聴きつづけた。ラジオの音は、三時を過ぎても変わらなかった。(マスター曰く)普段なら地域の紹介コーナーに移るらしいが、今日は迷宮の話題が独り占めして、本来の流れを変えてしまったらしい。


 俺がマスターに珈琲代を払った時はもちろん、それから店の外に出た時も、扉越しに迷宮の報道が聞えていた。俺は店の扉を見せて、通りの向こうに目をやった。通りの向こうには黄昏が、それに染まった人影が見えている。「そろそろ、帰るか」

 

 帰り道のコンビニで、安い弁当でも買って。そう思いながら歩きだした俺だが、通りの角に一つ……アレは、だろうか? 一羽の兎を見ると、それに驚いて、その兎をしばらく見てしまった。


 兎は、俺の事を見かえした。俺の事をどうやら、誘っているらしい。妙にそわそわした動きからは、俺の足を促すような雰囲気、何とも言えない空気が感じられた。


 俺は、その空気に眉を寄せた。これはどう見ても、罠である。恐らくは、迷宮の仕掛けた罠。穴の中に獲物を誘いこむ、巧妙な罠だった。俺は、その浅はかな罠に苦笑した。普通の人間を騙すならまだしも、冒険者の俺を騙すなんて。俺が仕掛ける側なら、絶対にしない。見えないところで、こっそりとやる。「だが……」

 

 俺は、一抹の不安を感じた。「こんなにあからさまな罠は、逆に怪しい」と、そう内心で思ってしまったのである。俺は室長に今の事を伝えて、あの怪しい兎を追いかけた。

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