第20話 回避的な希望(※三人称)

 救急隊の報告では、彼等の命は何とか助かったらしい。近くの病院に着いた時はかなり危ない状況だったが、救急隊員の処置が早かった事、優秀な医師に恵まれた事もあって、今は病院の集中治療室に入っていた。


 赤羽は森口から渡された報告書を読んで、その内容に「ふざけやがって!」と怒鳴った。「これじゃ、何のために助けたんだよ! あんなに危ない目に遭って!」

 

 豊樹は、その怒声を制した。彼の怒りも分かるが、今は結果に怒っている場合ではない。自分達の救助が思った以上に遅れた事、そして、相手の回復力が想像以上に高かった事を考えるべきだった。


 相手の回復力が高まれば、それだけ国民への被害も大きくなる。対策室の中に置かれた液晶テレビも、今回の件が大げさな程に報じられていた。「迷宮は、危険だ」、「早急な解明が必要」と、そんな内容が海外にも報じられていたのである。

 

 豊樹はそれ等の情報に触れて、今の状況が思った以上に酷い事を察した。情報社会の恩恵が、悪い方に働いている。巷で有名な呟きアプリ、写真投稿で有名なアプリも、この面白い話題に飛びついていた。


「まったく、好き勝手言いやがって。何でもかんでも、『食いつきゃいい』って物じゃないだろう? 変な憶測は、余計な混乱を招く。コイツ等には、『倫理』って物が無いのか?」


 それに「ありませんよ」と応えた、緑川。彼も自分のスマホから呟きアプリを見ていたようで、彼の怒りに「最近は、快楽が重んじられていますから」とうなずいていた。緑川は机の上にスマホを投げて、眼鏡の真ん中を弄くった。


「自分が気持ちよければいい。彼等には……こう言うネタですら、自分が目立つための装飾品にする。そうする事で、時代の寵児にでもなったかのように。実際は、自己満と自己顕示の言いかえですが」


 黄木は、その言葉に溜め息をついた。「中年」と言うにはまだ若い彼だが、それでも「やれやれ」と思ってしまうらしい。自分の湯飲みに手を伸ばすと、複雑な顔で湯飲みの中を飲み干した。


 彼は、机の上に湯飲みを置いた。「寂しい時代だね。ネットの中に書かれる誹謗中傷も、そうだが。みんな、人の不幸に喜びすぎている」

 

 緑川は、その言葉に黙った。それを聞いていた青森も、彼の態度に倣っている。二人は複雑な顔で自分の机を睨んでいたが、森口が対策室の全員に「まあ、仕方がありません」と言うと、それぞれに顔を上げて、森口の顔に視線を移した。森口の顔は、例の笑みを浮かべている。


「何が仕方ないなんです?」と、青森。緑川も、それに「国が危険に晒されているのに?」とうなずいた。「貴方には、『危機感』と言う物が無いのか?」


 二人は真剣な顔で、森口の顔を睨んだ。が、森口は怯まない。二人からどんなに睨まれても、それに「危機感は、ありますよ?」と返すだけだった。「自分も一応、当事者ですから」


 二人はその返事に苛立ったが、赤羽はそれ以上に苛立った。彼の言う当事者が、余程に悔しかったらしい。赤羽は二人の制止を無視して、自分の席から立ち上がった。


「何が当事者だ? こんな報告書で、誤魔化して? アンタは」


「していますよ? 。貴方の功績を伝えて、『人間にも、化け物が倒せる』と。人間の武器で化け物が倒せるのなら、貴方達の負担もそれだけ」


 豊樹は、それに「減らないよ」と言った。そんな程度の考えでは、対策室の負担は減らない。無言で森口を睨んだ豊樹の目には、その確かな意思が感じられた。豊樹は対策室の壁に寄りかかって、自分の足下に目を落とした。


「あの迷宮は、お前が思う以上に危ない。迷宮の中に仕掛けられた罠を破るだけでも、隊員の命が奪われる。あそこは、人間の知恵を超えた場所だ」


「そう、かも知れません。ですが」


「うん?」


「そんな場所に入ってもなお、貴方達は帰ってこられた。『貴方』と言う専門家を連れても、素人が三人も帰ってこられたんです。普通なら死んでしまうような迷宮の中から」


 豊樹は、その言葉に黙った。反論の言葉が見つからなかったからである。森口から「違いますか?」と言われた時も、それに「う、ううう」とうつむいてしまった。彼は何やら考えて、赤羽の顔に目をやった。赤羽の顔は、二人の会話を見守っている。


「理屈の上では、帰ってこられても。それはあくまで、理屈の話だ。『理屈の上では、可能』と言う話。赤羽が戻ってこられたのは、彼自身の勇気と運だ。すべての人間が、その二つを持っているとは限らない」


「そうですね。だが、『持っていない』とも限らない。彼はあくまで、国家公務員ですから。事務の職員が戻ってこられた以上、保安の職員も戻ってこられないわけがないでしょう? それに彼等の規模も、大きい。対策室だけでは、対応の規模も限られてしまう」


 豊樹はまた、彼の言葉に黙った。赤羽や青森も同じように黙ったが、緑川だけは「それ」に意見を述べた。彼は眼鏡の奥を光らせて、森口の目を睨みかえした。


「対策室の意義は、分かっているつもりです。ですが」


「はい?」


「その考えは、早計です。敵の一部が分かっただけで、国の組織を動かすのは。命の掛かった作戦には、相応の時間を割くべきです」


 森口は、その意見に口を閉じた。緑川の正論(と思われる)を聞いて、自分の不利を感じたのか? 正確な理由は分からなかったが、とにかくイラッとしたのは確かだった。森口は一瞬の苛立ちだけを見せて、例の笑顔をまた浮かべはじめた。


「相応の時間は、割きました。それに貴方達も、『不眠不休』と言うわけにはいかないでしょう? 異常の度に『行け』と命じられれば、流石の豊樹さんでも倒れる筈です。対策室の業務を考えても」


 豊樹は、その続きを遮った。「そんな物は、最初から無かったではないか?」と言わんばかりに。「神の思し召しにも、問題があるが。それを除いても、ここの業務には問題があった。面子の安全はもちろん、稼働の人数に居たるまで。ここは職員の人権を考えない、文字通りの掃き溜めだ。『国に必要な情報さえ分かれば、コイツ等の命はどうなってもいい』と。お前だって」


 森口も、相手の言葉を遮った。「それ以上は、言わないで」と言う風に。彼は豊樹の顔に目をやると、次に室長、赤羽、緑川、青森の顔を見て、豊樹の顔にまた視線を戻した。「職員のシフトは、黄木室長にお任せします。間違っても、フル出勤はしないように。休日返上で出られるのは、法律的にも不味いので。そこら辺は、上手くやって下さい」


 黄木室長は、その指示にうなずいた。赤羽達の不満はあったが、「森口の意見も正しい」と思ったらしい。不眠不休で部下達を働かせるのは、色々な意味で不味すぎる。そう考えて、森口の指示に従った。室長は未だ興奮中の赤羽を宥めて、森口の顔にまた視線を戻した。


「分かりました。そこら辺は、上手くやります。俺自身も、休みたいからね? 流石に過労死は、御免だよ。赤羽達のシフトも、そこら辺を考える。ただ」


「ただ?」


「豊樹君は? 『怪物達への対抗手段が分かった』とは言え、彼抜きでは流石に辛い。戦力の低下も、避けられないだろう?」


「分かっています。だから、高級品を使う。この国にも、スペシャルが居ますから。国民の皆様は知らない、国直属の専門家達が」


「無駄だな」


 そう唸る豊樹の声は、怖かった。豊樹は不機嫌な顔で、自分の両腕を組んだ。


「税金の無駄遣いだよ。そいつ等に掛けた時間も、そいつ等自身の命もね。無事に帰ってきても」


「大丈夫です」


「なに?」


「彼等は水面下で、国の安全を守っている。様々な組織の陰謀から。彼等は、国のガーディアンですよ。国の守護者が、余所者に負けるわけがありません」


 森口は「ニヤリ」と笑って、豊樹達に頭を下げた。「これで、失礼する」の合図らしい。彼は対策室の面々を見わたして、部屋の中から出て行った。対策室の面々は、その背中を見送った。


 彼の優秀さは認めるが、今の判断には唸らざるを得なかったからである。彼等は個々の反応こそ違いが、彼の行動に苛立ちを見せはじめた。 室長は、自分の湯飲みに目をやった。湯飲みの中は、空になっている。


「怖いんだろう、彼は。だから、無意識に焦ってしまう。僅かな情報に頼って、そこに希望を見てしまったんだ。人間の本能から来る、回避的な希望を。彼もまた、普通の感覚を持った人間なんだ。怖い物には、純粋に怖がる」


「書類の撤回は、できないんでしょうか? 室長から意見書を出せば、流石の上も考えて……」


 室長は、青葉の意見に首を振った。彼の事を傷つけないよう、温かな笑みを浮かべて。「無理だよ。書類は、通った。通った以上は、融通は利かない。『役所』って言うのは、そう言うところだ」

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