第19話 嫌な兆候(※三人称)

 さて、何処から来るか? 右側の壁には、何も見られない。左の壁にもただ、例の草原が広がっているだけ。頭上の壁には青空が広がっているが、足下の通路には無機質な地面が広がっていた。豊樹は、その光景に眉を寄せた。「相手がカメレオンのような敵なら、視覚の情報は当てにならない」と思ったらしい。


 彼の考えを読みとったらしい赤羽も、彼と同じような事を考えていた。豊樹は空気の僅かな変化、気配の僅かな兆候に意識を向けて、その来るだろう攻撃に備えつづけた。「なかなかの芸当だな。

 

 赤羽は、その言葉に眉を上げた。豊樹が「中ボス」の表現を使うのは、彼としても意外だったらしい。豊樹が頭上の壁を見上げた時も、その視線を思わず追いかけてしまった。赤羽は不安な顔で、自分の相棒に話しかけた。「アイツがもし、中ボスなら。ここの主人は、もっと強いのか?」

 

 当然。それが、豊樹の答えだった。「守り手は、ここの統括者。つまりは、迷宮の番人だ。迷宮の番人が、自分の部下より弱い筈がない」


 豊樹は真剣な顔で、赤羽の方を見かえした。赤羽は、今の言葉に固まっている。「それが現実だ。でも、怖がる事はない。相手がどんなに強かろうと、それを叩きつぶせばいいんだ。力は力で、ねじ伏せる。悪を怖がる必要はない。自分の善を信じろ」


「自分の善を信じろ……」と、赤羽。「そう、だな。そう、だよ!」


 赤羽は真剣な顔で、自分の武器を握った。それで自分の戦意を高めるように。「何も怖がる事はない。相手はただの、見えない虎だ!」


 豊樹も、それに「ああ」とうなずいた。「奇襲でしか倒せない卑怯者。そんな相手に怯む必要はない!」


 豊樹は強気な態度で、通路の奥に目をやった。通路の奥には、不気味な通路が広がっている。通路の先には草原が広がり、上部には空が、地面には石造りの通路が延びていた。豊樹はそれ等を見わたして、その中にある気配を探った。


 気配は、すぐに見つかった。豊樹が通路の先から視線を逸らそうとした瞬間、その空気が歪む瞬間を見たからである。彼は赤羽に目配せして、彼に「」と言った。「あの隅っこを撃て」

 

 赤羽は、その指示に従った。彼には敵の気配が分からなかったが、豊樹がそう言うなら間違いない。彼が指差す方に銃を撃った。彼は一発目に興奮を覚えて、同じ場所に二発、それから違う場所に三発を撃った。「ど、どうだ?」

 

 ここまで撃てば、流石に。そう思った赤羽の頭上に殺気が一つ、それも殺意全開の殺気が感じられた。赤羽は「それ」に怯んで、自分の頭上にも銃を撃とうとしたが。それに黙っている豊樹ではない。「赤羽の命が危ない」と分かると、その頭上に向かって飛び上がった。豊樹は冒険者としての勘、戦士としての直感を信じて、透明な空間に剣を振った。「当たった」

 

 剣先の感触から、そう感じた。敵は彼の剣に斬られて、その体をスライスされたらしい。地面の上に現われた死骸は、体の上下が真二つにされていた。豊樹は、その光景に「ニヤリ」とした。


 彼からすれば雑魚でしかないが、やはり嬉しい事に変わりはない。死骸の顔を踏みつけた時には、その感触に「フッ」と微笑んでいた。豊樹は赤羽の方を振りかえって、その顔にうなずいた。赤羽の顔は、彼の行動に強張っている。


「どうした?」


「い、いや、別に。ただ……その、『怖いな』と」


「そうか?」


 その質問には、答えられなかった。豊樹自身は分からなくても、赤羽にはずっと怖かった。赤羽は中ボスの死骸を見下ろして、豊樹の顔にまた視線を戻した。豊樹の顔はまだ、彼の言葉に「キョトン」としている。


「と、とにかく! 中ボスは、倒したんだし。残りは、本丸だな? そいつを倒せば、この迷宮からも出られる。迷宮に捕まった連中も」


 豊樹は、その言葉にうなずいた。彼の言う通り、残すは守り手だけ。そいつを倒せば、捕らわれた人達も助けられる。豊樹は「ああ」とうなずいて、赤羽の足を促した。「進むぞ?」


 赤羽も、それに倣った。彼の目を見て、自分の気持ちを引きしめたらしい。彼は豊樹の後ろに付いた後も、無言で彼の後ろを歩きつづけた。……豊樹の足が止まったのは、それから数時間後の事だった。赤羽は彼の制止に従って、通路の隅に立ち止まった。「どうした?」


 そう呟いた瞬間に起こった異変、突然に閉ざされた迷宮の通路。通路の前には分厚い壁が現われ、二人の後退をすっかり阻んでしまった。赤羽は、それに驚いた。豊樹も、同じように驚いた。


 二人は通路の壁をしばらく見ていたが、自分達の後ろに鋭い殺気を感じると、豊樹から順に自分達の後ろを振りかえった。彼等の後ろには一体、大きな虎が立っていた。虎は周りの壁を崩して、そこに大きな空間を作っている。そこで二人の命を狩れるように、だだっ広い空間を作っていた。


 赤羽は、その光景に汗を浮かべた。何の説明もなかったが、本能的に「コイツが、ここのボスだ」と分かったからである。彼は不安な顔を浮かべたまま、震える手で自分の武器を握った。


 が、それを豊樹に止められてしまった。豊樹は彼に銃を降ろさせて、それから「防壁の中に隠れていろ」と命じた。「コイツには多分、それは通じない。下手な援護は、命取りになる」

 

 赤羽は、その指示に従った。豊樹がそう言う以上、「それに従った方がいい」と思ったらしい。多少の悔しさはあったらしいが、防壁の中に身を潜めた。


「わ、わかった。後は、頼んだよ。俺は、記録係に徹する」


「それでいい。その方が、俺も安心だ」


 豊樹は真剣な顔で、目の前の敵に向きなおった。目の前の敵は、豊樹の事を睨んでいる。彼がどう言う風に仕掛けるか、それをじっくりと窺っているらしい。「流石は、守り手だな。他の連中とは、頭が違う。でも!」


 それがどうした? 

 お前がどんなに強かろうと、その体を叩き切るだけである。


 豊樹はそう思って、目の前の敵に挑みかかった。敵も、それを迎え撃った。豊樹が自分に剣を振るえば、自分も相手に牙を向きかえす。そんな攻防が、ずっとつづけられた。彼等は互いの力を窺う中で、時には壁からの奇襲を、またある時には死角からの突きを繰り出した。


「チッ」


 それは、豊樹の舌打ち。


「ぐおん」


 これは、虎の雄叫びだった。彼等は一進一退の攻防をつづける中で、その一撃一撃に確かな差があるのを感じた。豊樹の攻撃は、虎よりも強い。虎が豊樹の体に振り下ろした爪は、豊樹の剣に、それも剣の柄に防がれてしまった。


 虎は、その事実に唸った。人間よりは知性に劣る彼だが、そう言う部分だけは賢いらしい。特に「自分が遊ばれている」と気づいた時には、言いようのない怒りを覚えていた。虎は敵の優位性に苛立って、壁から壁へと飛びうつり、豊樹の死角に回ったところで、その場所から豊樹に飛びかかった。

 

 が、それも無駄な抵抗。豊樹の実力を侮った攻撃だった。虎は豊樹の頭に噛みつこうとしたが、豊樹にその僅かな風圧を察せられて、自分の攻撃をすっかり躱されてしまった。


 豊樹は、その気配に「ニヤリ」とした。自分の勝利に「うん」とうなずいた事も含めて。敵の体に剣を振るったのである。豊樹は虎の腹部に剣を刺すと、そこから縦方向に剣を滑らせて、相手の体を切り裂いてしまった。「柔らかいな」

 

 本物の怪物よりも、ずっと。本物は、お前の十倍は堅い。


「偽物は所詮、偽物だ」


 豊樹は自分の倒した偽獣を見て、それに溜め息をついた。「相手の弱さを憂えた」と言うよりも、「仕事の九割が終った事」に「ホッ」としたようである。彼は後ろの赤羽に「終ったぞ?」と言って、防壁の中から出るように促した。「もう、安心だ。ここの親玉は、倒したよ」


 赤羽は、その言葉に「ホッ」とした。懸念事項が無くなれば、それに不安がる事はない。豊樹の指示にも、「分かった」とうなずけた。彼は防壁の中から出て、豊樹の横に走りよった。それに合わせて、迷宮に捕らわれた人々も出てきたのが……。


 その容態が、思った以上に悪かった。生体反応は、ある。赤羽が「大丈夫か!」と話しかければ、それに「う、ううっ」とも応える。が、その呼吸が弱い。豊樹の応急処置で、何とか生きている状態だった。


 赤羽は、その様子に青ざめた。こんなのは、彼の予想になかったから。豊樹に「しっかりしろ!」と言われるまで、その場に呆然と突っ立ってしまった。赤羽は豊樹の「とにかく、運ぶぞ」に従い、容態が悪い者から担いで、迷宮の出入り口を目指した。「ちくしょう! 俺等の来るのが、遅かったのか?」


 豊樹は、その言葉に眉を寄せた。赤羽の想像も一理あったが、それ以上に悪い予想があったからである。彼は幼い子どもを抱えて、隣の赤羽にそっと囁いた。「いや、違う。これは、迷宮の力が強まったんだ。人間の体から生力を吸う力が」

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