第16話 迷わずに撃て(※一人称)

 赤羽の本音は分からないが、とにかくよかった。迷宮への恐怖が薄れたようで、俺としてもありがたい。彼への気遣いも、ある程度は抑えられそうだった。俺は彼の安全を考えた上で、迷宮の中をまた進みはじめた。迷宮の中は、静かだった。俺達が通路の上を歩く音、それ以外の音がまったく聞えない。


 正に「無音」とも言える状態だった。迷宮の草原が密林に姿を変えた時も、それに赤羽が怯えただけで、「これ」と言った異常は見られなかった。俺は密林の動き、それが伝える音、葉先の僅かな変化に目を配って、迷宮の中を黙々と歩きつづけた。

 

 迷宮の中に殺気を感じたのは、赤羽が俺に「不気味だな」と話しかけた時だった。俺はその声を制して、自分の右側に目をあった。自分の右側から何か、木々を揺らすような音が聞えたからである。俺は防壁の中に赤羽を隠して、音の方に注意を向けた。「偽獣、か? それとも?」

 

 ただの勘違い? そう思った瞬間に獣の匂いを嗅いだ。「密林の王」を名乗る、縞模様の獣。それが今、密林の中から匂ったのである。匂いは密林の中から飛びだして、俺のところに挑んできたが。それはどうやら、奴等の揺動だったらしい。


 俺の注意を引くための、だったようである。匂いは密林の中にまた隠れると、今度は俺の背後から攻撃を仕掛けた。俺は「それ」に驚いて、赤羽に「気をつけろ!」と叫んだ。「


 赤羽は、その声に驚いた。俺も同じだが、虎の群れに驚いたらしい。彼は防壁の中に隠れた状態で、そこから俺に「虎が群れを作るのか?」と訊いた。「虎は普通、単独行動だろう? それなのに?」


 俺は、その続きを遮った。それを考えるよりも、今は「何とかする方が最善」と思ったからである。俺は自分の剣を構えて、周りの様子に注意を払った。「分からない。だが、相手は怪物だ。『怪物に普通が通じる』とは、思えない。奴等は俺達の想像を超えて、人間の世界を脅かすんだ。俺の居た世界がそうだったように。奴等もまた、その流れをくんでいるんだろう」


 赤羽はまた、俺の言葉に驚いた。俺の言葉を聞いて、それに自分の認識を改めたらしい。彼は俺が話しかけるまで、その無言を貫いていた。


「敵は、どこだ?」


「分からない。今の行動から推して、奇襲を仕掛けるのは確かだが。茂みの中に隠れただけで、そこから出てくる気配がない」


「そ、そんな! それじゃ!」


「大丈夫だ」


 相手がたとえ、奇襲の名手でも。それを破る手は、ある。相手の殺気を感じて、それよりも先に動けばいい。この迷宮に漂う空気、辺りから匂う殺気を感じれば、「それができる」と思った。俺は自分の神経を走らせて、あらゆる気配、あらゆる呼吸に精神を向けた。「来る!」


 ほんの僅かだが、それを感じた。木々の僅かな揺れを感じて、「それが来る」と思ったのである。俺は自分の後ろを振りかえって、その先に視線を向けた。視線の先にはやはり、茂みを揺らす物体。虎のような怪物が見える。虎は俺の様子を窺っていたが、その視線にふと気づくと、茂みの中にまた隠れてしまった。


 俺は、その動きに苛立った。コイツは、思った以上に狡猾こうかつである。数はそれなりに居るのだろうが、その数に甘えないところが嫌らしい。確実に仕留められる瞬間を狙っている。今の動きは「それ」を狙っていたようだが、俺が「それ」に気づいた瞬間、その作戦をすっかり変えてしまったようだ。「面倒臭い」

 

 赤羽も、それに「まったくだよ」と唸った。「こんな風になぶってさ? 俺等の事、『玩具だ』と思っているんじゃねぇよ? いつでも殺れる、都合のいい玩具に?」

 

 俺は、それに言いかえせなかった。確かにそうだ。相手に生殺与奪を握られている以上、それが「道具だ」と思われても仕方ない。奴等は、虎のような獰猛さとハイエナのような狡猾さを持っていた。俺はそれらを踏まえた上で、彼等に対する有効な手を考えはじめた。「虎は、ネコ科。ネコ科の動物には」

 

 。確かな証拠は無かったが、こちらが追いこまれている以上、「これに賭けるしかない」と思った。これが通じなければ、他の手を考えればいい。俺は周りの気配に注意を向けた状態で、鞄の中から魔法薬を取りだした。「屏風の中から虎を引っぱりだす」

 

 赤羽は、その言葉に驚いた。「そんな昔話みたいに行くか!」と思ったらしい。彼は俺の考えに呆れたのか、防壁の中から顔を出して、俺に「今は、現代だぞ?」と叫んだ。「もう少し、まともな作戦を考えたら……」

 

 え? そう驚く彼に「ニヤリ」と笑った、俺。俺は彼の反応を無視して、迷宮の壁に目をやった。迷宮の壁には虎達が見られるが、それが壁の中から出ている。虎達は魔法薬の匂いに酔っているのか、最初は俺の近くに寄るだけだったが、やがて猫のように戯れはじめた。俺は「それ」に笑って、彼等の前に魔法薬を垂らした。「こうなったらもう、デカイ猫だな? 姿形は虎でも、その顔が猫になっている」

 

 赤羽は「それ」を聞いて、防壁の中から出た。外の様子がどうやら、気になったらしい。彼は俺の隣に歩みよると、不思議そうな顔で俺の横顔を見た。「コイツは、一体?」

 

 その質問に「これの効果だよ」と答えた。「正確には、薬の匂いだろうが? これには、特定の怪物を酔わせる効果がある。普通は、あまり使わないが。一応の備えとして、鞄の中に入れておいた。まさか、『ここまで効く』とは思わなかったけれど」

 

 俺は「ニヤリ」と笑って、偽獣達を指差した。偽獣達はまだ、魔法薬の匂いに酔っている。


「まあ、一種のマタタビだ。マタタビは、ネコ科に効果抜群だろう?」


「そ、そりゃ、そうかも知れないが。でも」


 ここまで効くのは、流石に驚きだったらしい。赤羽は呆れ顔で、俺の顔を見かえした。


「まさか、こっちの知識が使えるなんて。こう言う奴等には、『そう言うのが効かない』と思った。『ファンタジーは、科学を超える』ってね?」


「確かに。だが、現実は常識を越える。お前が知っている今の常識は、明日には『非常識』と言われるかも知れない。世の中は、諸行無常だ。すべての常が、『常』とは限らない」


「すべての常が、常とは限らない……」


 そう呟いた彼が、何を思ったのか? 他人の俺には、分からなかった。彼は虎達の様子をしばらく見ると、真剣な顔で俺に目にまた視線を戻した。「豊樹」

 声の調子も、真剣だった。彼特有の気だるさが見られない。


「武器は、貸せるか?」


「え?」


「お前が持っている剣、俺に貸してくれるか?」


 俺は、その言葉に眉を潜めた。それが伝える意図を察したからである。


? 記録係に武器は、渡せない。お前は、普通の人間なんだ」


「分かっている。分かっているけど」


 それでも、試したい。彼はそう、俺に訴えた。


「これも、大事な記録だ。普通の人間でも、『偽獣なら倒せる』と言う事実。今までの常識を打ち破る常識。俺はそれを、どうしてだろう? 急に試したくなった」


 俺は、その言葉に揺れた。その言葉が本気だったから。彼の熱意に負けて、鞄の中から拳銃を出してしまった。俺は拳銃の先にサイレンサーを付けて、彼にそれを渡した。「森口から渡された。『もしもの時に使って欲しい』と。俺は『自分の武器があるから』と言って、断ったが……。まあいい。何かあったら、俺が何とかする。だからお前は、迷わずに撃て」


 赤羽は、その言葉にうなずいた。指の方はまだ震えているが、その言葉に覚悟を決めたらしい。虎の頭に銃口を向ける動きからも、彼の葛藤がしっかりと窺えた。彼は何度か深呼吸して、拳銃の引き金を引いた。「頼む、上手くいってくれ」

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