第13話 漏れた情報(※三人称)

 資料は、国に渡した。対策室の資料室にも複写が入れられたが、本物は然るべき場所に移された。迷宮の中を撮った映像も、そこで見られた様々な現象も。情報性の低い部分を除いて、専門の機関に「どうぞ」と渡された。「

 

 国の役人達は、その言葉に喜んだ。安全な場所から大きな利益を得る事は、頭が良い彼等にとってこの上ない喜びだったからである。緑川から件の情報を渡された時も、一応の礼儀は見せたが、その表情には憐れみが、正確には蔑みが見えていた。彼等は特殊なケースの中に資料を入れると、それぞれが属する組織に資料を持ち帰った。

 

 緑川は、その光景に苛立った。「彼等の行動は、正しい」と分かっていても、その態度にどうしても苛立ってしまう。今にも死にそうだった少年を渡した時も、救急隊員の対応を除いて、国の態度に思わず怒ってしまった。彼は悔しげな顔で、自分の足下に目を落とした。「豊樹さん」

 

 豊樹は、その声に眉を寄せた。声の調子にどこか、違和感を覚えたからである。


「どうした?」


「『組織』と言うのは、冷たいですね?」


 その言葉にまた、違和感を覚えた。彼の性格を思えば、これはどう見ても不自然だったからである。彼は、「感情」よりも「理論」を重んじる人間な筈だ。それなのに? 豊樹は不思議そうな顔で、緑川の横顔を見た。緑川の顔は、感情の怒りに歪んでいる。


「それは、お前が一番に分かっているじゃないか? 『組織』って言うのは、そう言う物。特に公務員なんて、そんな物だろう? 国民の利益を第一に考える。アイツ等がやっているのは、その法律を守っているだけだ。違うかい?」

 

 緑川は、その問いに答えなかった。問いの答えは分かっていても、それに「うん」とうなずけない。頭の思考に反して、感情の方が苛立っていたようである。彼は両手の拳を握ると、悔しげな顔で豊樹の目を睨んだ。


「豊樹さん」


「うん?」


「僕はずっと……呆れるかも知れませんが、出世の事を考えていた。安定な地位を得て、そこから社会の上を見ようとした。そこから見た景色はきっと、『美しいだろう』と。僕は社会の定石に則って、一番に良い景色を見ようとした」


 僕は、小さい人間ですね? 彼はそう、自分を笑った。「そんな物は、僕の幻想かも知れないのに?」


 豊樹は、その言葉に眉を寄せた。彼の言う事は至って、普通だったから。月並みな説教で、それを「違う」とは言えなかった。彼は緑川の隣に立ち、彼と同じ物を見て、彼とは違う思想を説いた。「幻想でも、いいだろう? お前が『それ』を選んだのなら、幻想も立派な志になる。大事なのは、その気持ちとどう向き合うかだ?」


 緑川は、その言葉に顔を上げた。彼の言葉を聞いて、思わず「ハッ!」としたらしい。


「そんな物、でしょうか?」


「そんなモンだよ? 俺だって、最初から冒険者だったわけじゃないし。神様から選ばれても、本当の冒険者になれるかは別問題だ」


 緑川は、その言葉に微笑んだ。何かこう、安堵感のような物を見せて。


「豊樹さん」


「うん?」


?」


 豊樹は、その答えに迷った。「暇だ」と言うのは簡単だが、それを素直に言うのは戸惑う。部署の力はどうであれ、自分達は迷宮の専門チームなのだ。いつなんどきに呼び出されるかわからない。異世界での経験が豊富な彼だったが、流石に泥酔状態で戦える自信はなかった。豊樹は腕組みをして、緑川の目を見かえした。「お前の好意は、嬉しい。だが、今は控えておこう」

 

 緑川は、その言葉に驚いた。今までの流れを考えて、流石に「断られる」とは思っていなかったらしい。普段の彼なら絶対に言わない言葉からも、その動揺がしっかりと感じられた。緑川は少し不満げな顔で、豊樹の目を見かえした。豊樹の目はやはり、例の色を浮かべている。


「何か用事でも、あるんですか?」


「いや、そう言うわけじゃない。そう言うわけじゃないが、今は危ない状況だ。。この世界に迷宮が現われたら」


 そこまで言われれば、流石の緑川も分かったようだ。この世界に迷宮が現われれば、それに抗えるのは豊樹しかない。最悪、その豊樹ですらダメな場合もある。彼が有能なせいですっかり忘れていたが、彼も決して万能ではないのだ。彼の存在が万能でない以上、自分も「それ」に甘えてはならない。緑川はそんな自分を省みて、目の前の青年に頭を下げた。「軽率でした、申し訳ありません」

 

 豊樹は、その言葉に首を振った。謝罪の言葉は辛いが、その厚意自体は嬉しかったからである。彼は自分の腰に手を当てると、穏やかな顔で相手の目を見た。「この事件が落ちついたら、みんなで飲みに行こう。異世界の酒は、度数が低すぎる。いくら飲んでも、酔っ払えない」

 

 それを聞いた緑川が喜んだのは決して、偶然ではないだろう。彼は「ニコッ」と笑って、彼に握手を求めた。「オススメの店があります、大学の時に先輩が教えてくれて。そこのカクテルが、絶品なんですよ。店の窓から見える夜景も素晴らしい」

 

 豊樹は、その言葉に胸を躍らせた。「それは、楽しみだ」と言う風に。事件の解決を心から願ったが……現実はどうやら、そう甘くはないらしい。彼等がどんなに頑張っても、それを壊す者はいる。国が被害者の口を封じても、それを漏らす者はいる。


 彼等が(遅かれ早かれ、「知られる」とは思っていたが)命懸けで守っていた情報は、現在の情報技術によってあっさりと広まってしまった。豊樹は、その現実に頭を痛めた。「高校生が被害者の時点で、こうなるのは察していたが。まさか、『ここまで広まる』とは思わなかった」


 緑川も、「まったくです」とうなずいた。彼は様々なデバイスを使って、ネット上の情報を調べつづけた。「何処もかしこも、迷宮です。普段は見られないような、地方のローカル番組まで。このネタに食いついている。正にハイエナの如く、だ」


 豊樹は、その話に溜め息をついた。そう言うのは分かっていたつもりだが、それをいざ聞くと胸糞悪い。向こうの世界で味わった不満、人間の業を思いだすようだった。人間は、自分が思う程に綺麗ではない。


 大抵の人間は真面目だが、中には碌でもない人間もいるのだ。碌でもない人間は、周りの人間に迷惑を掛ける。今回の元凶である魔王も、自分の事しか考えない自己チュー野郎だった。豊樹はそんな現実に呆れて、ネットの情報に頭を掻いた。


「どいつも、こいつも、同じだな」


「え?」


「『事件の背景を知らない』とは言え、この拡散力は異常すぎる。正直、投稿者のモラルを疑うレベルだ。これを広めれば、社会が大変になる事も」


 赤羽は、その言葉に苦笑した。例の姿勢、机の上に足を乗せた状態で。お得意の悪態をついては、今の言葉に「関係ないだろう?」と応えた。彼はポケットの中からスマホを取りだして、スマホの画面を点けた。スマホの画面には、SNSのホーム画面が映っているらしい。


「コイツ等には、承認欲求しかないんだから。自分の欲求が満たされれば、その内容はどうでもいい。それがたとえ、自分の社会を脅かす物でも。ある種の祭りくらいにか思わないだろうさ?」


 それを聞いて、悲しくなった。向こうの世界にもこう言う事は、あったけれど。向こうの世界は、こちらよりもずっと真剣だった。豊樹は二つの世界に隔たりを感じて、それに思わず落ちこんでしまった。「『平和』と言うのも、考え物だな? 危機感の欠如が、非常識を生む」


 対策室は、その言葉に静まった。豊樹としてはそんなつもりはなかったが、彼等にとっては響く物があったらしい。大人しい青森や、賢い緑川などは別だが、赤羽や黃木室長などは明らかに不機嫌だった。


 彼等はそれぞれに社会の闇を感じていたが、森口が部屋の中に入ってくると、それに苛立った赤羽は別として、残り全員が彼の顔に視線を移した。森口の顔は、例の笑みを浮かべている。「行政の限界、か?」

 

 そう唸った赤羽に森口も「そうですね」とうなずいた。森口は室長の隣に立って、それから全員の顔を見わたした。「こうなったらもう、時間の問題です。政府の方も、黙っているわけにはいかない。海外の方でも、何かしらの動きがある筈です。『これは日本だけではなく、我々にも関わる話なのか?』と。各国の大使館から問い合わせがある筈だ」

 

 豊樹は、その話に頭が痛くなった。たった一人のワガママが、こんなにも大勢の人を巻きこむなんて。正直、「ふざけている」としか思えなかった。豊樹は魔王が自分と同じ冒険者である事、自分ももしかしたら、同じになってしたかも知れない事に憤った。

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