第12話 巨大な牛(※一人称)

 面倒な敵だ。ドデカイ図体はもちろん、その目にも殺気が感じられる。今にも襲ってきそうな雰囲気だった。口から垂れている唾液、鼻から漏れている息からも、相手の戦意が感じられる。敵は地面の上を何度も踏みならして、目の前の俺をじっと見下ろしていた。俺も黙って、その様子を眺めていた。

 

 敵の大きさ、周りの広さから考えても、そんなに激しくは動けない。体の大きさを活かした攻撃は仕掛けてくるだろうが、それ以外の攻撃はほとんど無理だろう。上手くいけば、「一方的な攻撃を仕掛けられる」と思った。

 

 が、それはどうも甘かったらしい。迷宮の崩落も起こせる敵なら、それを繰りかえすのもまた容易な事だった。牛は地面の上を踏みつけて、迷宮の壁を崩した。「ぐ、ううううっ!」

 

 俺は、その声に苛立った。その声には余裕が、戦いへの余裕が感じられたからである。牛は自分が自由に動けそうな空間を作ると、今度は自分の巨体を活かして、俺に攻撃範囲が広い攻撃を仕掛けてきた。

 

 俺は敵の攻撃を避けようとしたが、攻撃の範囲が広い事もあって、敵の頭上に飛び上がろうとした。が、これが悪かったらしい。相手の攻撃は確かに躱せたが、空中での回避は地上よりも難しいせいで、普通なら食らわない筈の攻撃を食らってしまった。

 

 体に走る衝撃、それから地面に叩きつけられる感触。その感触に捕らわれて、次の攻撃にも反応が遅れてしまった。俺は壁の中から這い出て、目の前の敵にまた向きなおった。目の前の敵はまだ、俺の事を睨んでいる。「やるな? お前がたぶん、ここの主なんだろう? 今までの奴等とは、違う。お前は一体で、冒険者のパーティーを潰せる奴だ。だが」

 

 それでも、引けない。コイツがここの主ならば、その戦いにも絶対に勝たなければならなかった。コイツに勝たなければ、肝心な被害者も救い出せない。俺は自分の剣を構えて、牛の体にまた斬りかかった。

 

 牛の体は、柔らかかった。実際はもっと堅いのだろうが、剣の性能がよかったお陰で、刺身のように切りさく事ができた。それから肉の奥に剣を突き刺した時も、その感触が「柔らかい」と思ったし。肉の奥から剣を抜いた時ですら、「これは、イケる!」と思ってしまった。俺は剣の血を払って、牛の表情に「ニヤリ」とした。「食い放題の具材にしてやる!」

 

 牛は、その言葉に唸った。「言葉の意味を察した」とは、思えない。俺が仕掛けた挑発にただ、乗っただけだった。牛は緑川の事をすっかり忘れて、俺との戦いしか考えなくなった。俺はまた、その様子に「ニヤリ」とした。敵の意識が俺にだけ向けば、俺もそれだけ戦いやすくなる。緑川にも「安全なところにいろ」とだけ言えばいい。俺はそう考えて、牛の体に剣を振るいつづけた。

 

 牛は、その攻撃に怯んだ。一つ一つは小さい攻撃でも、それが集まれば大きい力になる。体の傷口から溢れる血も、その数に応じて多くなった。牛は体の痛みに悶えて、最初は俺の攻撃に抗っていたが、俺が首の根元辺りに飛び乗ると、それに理性らしき物を失って、苦しそうに暴れはじめてしまった。「ぶぅおおおん!」

 

 凄まじい声。現実の牛よりも、荒っぽく聞えた。体の上から俺を振りおとそうとする動きにも、激しい怒りが感じられたし。俺が牛の上から降りた時も、俺の事をすぐに踏み潰そうとした。牛は俺がそれから逃げてもなお、怖い顔で俺の事を襲いつづけた。

 

 が、そんな物など通じるわけがない。相手の攻撃は確かに大きいが、その速さがどうしても遅かった。攻撃の速度が遅いなら、それにもすぐに応じられる。相手がそれに苛立っても、相手の足から逃げる事ができた。


 俺は相手の足をひょいひょいと躱して、相手の体に剣を突き刺しつづけた。相手は、その痛みに叫んだ。傷口から溢れる血に悶えて、けたたましい声を上げたのである。牛は俺の剣に転んでもなお、フラつく体で今の攻撃をつづけようとした。

 

 俺は、それに溜め息をついた。その戦意は認めるが、これ以上は流石に辛いだろう。事実、体の痛みにフラフラしていた。俺は相手の状態を思って、相手に「もう、止めろ」と言った。「お前はもう、限界だ。目の焦点も、合っていない。それ以上は、お前も苦しいだけだ。そろそろ、楽になれ?」

 

 牛は、その声を無視した。声の意味が分かったどうかは、分からない。でも、それに苛立ったのは確かだった。牛は闘牛さながらに鼻息を荒くすると、地面の上を何度か蹴って、俺の方にまた突っ込みはじめた。


 俺は、それに苛立った。「そう言う風に仕掛けられている」とは言え、この強情さに思わず呆れてしまったからである。俺は相手の戦意に免じて、最後の一撃は静かに、でも確実に「殺してやろう」と決めた。「その方が、お前もいいだろう?」

 

 相手は、それに応えなかった。それに応えようとする意思すら見せなかった。相手は「最後の抵抗」と言わんばかりに唸って、俺の体に角を振り下ろした。俺も、相手の角に剣を振り上げた。俺達は互いの信じる一撃、己が極めし一撃をぶつけ合った。

 

 その結果は、緑川が驚いた通り。牛の悲鳴から始める、俺の勝利だった。牛は地面の上に倒れると、やがて動かなくなった。俺は剣の血を払って、緑川の顔に視線を移した。緑川の顔は、(理解がまだ、追いついていないのか)その表情を忘れている。「?」


 それを聞いて、「ハッ」とする緑川。どうやら、我に返ったようである。緑川は防壁の中から出ると、不安な顔で俺の横に歩みよった。「倒したんですか?」

 

 俺は、その質問にうなずいた。敵の残骸はまだ転がっているが、それを倒した事に変わりはない。俺が自分の前に緑川を呼んだ時も、地面の上にずっと横たわっていた。俺は緑川の不安をなだめて、敵の体をまた指差した。


「ずっと動かないだろう? 雑魚の時もそうだったが、自分の命を失うと」


「血の色が変わるんですね? 緑色から赤色に?」


「そうだ。偽獣の場合は、赤色に変わる。本物の場合はずっと赤色だが、偽獣の場合は死なないと変わらない。それが本物と偽物を見わける、印にもなっている」


「な、なるほど。それじゃ、これから先も」


「これから先?」


「あ、いえ、何でもありません。貴方と組む時には、『一つの目安にしよう』と」


 俺は、その言葉に苦笑した。彼のそう言う、素直でないところに。彼は(自分では気づいていないようだが)、俺が思っている以上に青年であるしかった。俺は彼の顔から視線を逸らして、迷宮の先にまた視線を戻した。


 ……主の上に触手が現われたのは、それからすぐの事だった。主の体に巻き付く触手。触手は主の体を吸いとると、今度は自分の捕らえた獲物を下げて、その首元に触手を伸ばした。俺は、その動きに怒りを覚えた。


 それはどう見ても威嚇行為、「獲物の命がどうなってもいいのか?」と言う脅しだったからである。俺は「それ」に舌打ちして、目の前の触手を睨みつづけた。「どこまでも陰険な奴だ」


 緑川も、「そうですね」と唸った。彼は俺の隣に立って、獲物に右手のカメラを向けた。「どうしますか?」


 俺は、その質問に答えなかった。質問の答えは分かっていても、触手に「それ」を知られたくなったからである。俺は緑川に「分からない」、触手にも「お手上げだ」と言って、両者に偽の情報を与えた。「万策尽きたよ」


 緑川は、その言葉に愕然とした。今の言葉が、相当にショックだったようである。彼は地面の上に崩れると、真っ暗な目で自分の頭を押さえた。「そ、そんな、ここまで来たのに!」


 俺は、その言葉を無視した。それを聞いた触手が、一瞬の隙を見せたからである。俺は相手が見せた隙を狙って、触手の体をバラバラに切り裂いた。緑川は、それに驚いた。触手も、自分の痛覚に悶えた。彼等は俺の攻撃を読めないまま、一方は希望の天を仰ぎ、もう一方は絶望の上に倒れてしまった。


 俺は黙って、獲物の少年を助けた。触手の支えを失った事で、少年の体が宙に放られたからである。あの高さから落ちれば、流石に危ない。最悪、死ぬ可能性もある。被害者の死は、絶対に避けなければならない。


 俺は今の場所から飛び上がると、少年の体を捕まえて、地面の上にゆっくりと降り、彼の心臓に耳を当てて、それが動いているかを確かめた。


「心臓は、大丈夫だ。動いている。呼吸の方もまだ、止まっていないようだ」


 緑川! そう言って、彼の意識を戻した。「急いで出るぞ? 迷宮から出たら、すぐに救急車だ。触手に栄養を盗られて、危ない状態にある!」


 緑川は、その言葉にうなずいた。まだ蘇ってない思考を何とか蘇らせるように。「分かりました!」

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