第11話 迷宮の放牧地(※三人称)

 迷宮の中は、静かだった。先程のような罠や、例の偽獣達が現われるわけでもなく。彼等が歩く通路には、異変の一つも見られなかった。緑川は、その光景に「ホッ」とした。「豊樹から冒険者の心得を聞かされた」とは言え、元々は現代人。「自分の周りが(とりあえずは)安全だ」と思えば、その安堵感に「ホッ」としてしまった。


 彼は穏やかな顔で、緑川の背中に目をやった。彼の背中は、その本人と同じように黙っている。「出ませんね、何も」

 

 その答えは、「ああ」だった。「今のところは、な? 怪物も、罠も見られない。だが」

 

 豊樹は自分の右手を挙げて、後ろの緑川に振りかえった。事前の打ち合わせで決めた、「止まれ」の合図を送ったのである。豊樹は自分の後ろに彼を立たせて、通路の奥をじっと見はじめた。


 通路の奥には何も見せないが、代わりに何かの音が聞えてくる。何頭もの獣が、迷宮の中を走りまわっているような。そんな足音が、いくつも響いていた。豊樹は「それ」に目を細めて、緑川の周りに防壁を作った。「足音の音が、普通じゃない。

 

 緑川は、その言葉に固まった。相手の存在が分からないだけでも怖いのに。それが、たくさんいるなんて。怖がりたくなくても、思わず怖がってしまった。緑川は防壁の中に身をかがめて、そこから外の様子を窺った。


 外の様子は普通、ではない。最初は普通だったが、緑川がそれに「ホッ」とした瞬間、迷宮の中が揺れて、その壁が崩れはじめた。緑川は、その光景に思わず叫んだ。「そ、そんな!」

 

 豊樹は、その声を無視した。「彼の身を守る意思」はあったが、それ以上にこの現象が何かを知っていたからである。彼は異世界で得た経験を活かし、自分と緑川の周りに結界を張って、頭上から降ってくる物、周りから倒れてくる物から自分達の身を守った。


「絶対に動くなよ? 結界の中から出れば、文字通りのペシャンコだ。真っ平らになる」


「なっ、くっ! 分かりました」


 緑川は自分の頭を押さえて、その場に「うううっ」とうずくまった。豊樹も結界の内側から、外側の轟音を聞きつづけた。彼等は迷宮の崩壊が落ちつくまで、その場にずっと止まりつづけた。


 迷宮の崩壊が収まったのは、それから数分後の事だった。彼等は周りの状態を確かめた上で、防壁の中から出ようとした。が、すぐに「戻ろう」と思いなおした。緑川が防壁の中から出ようとした瞬間、例の足音がまた聞えてきたからである。


 足音は迷宮の端(端の方にはまた、迷宮の壁が残っていた)に集まって、そこに複数の影が作りだした。「アレは?」

 

 豊樹は鋭い目で、影の正体を見つめた。影の正体は、牛だった。後ろの姿に似た、茶色の偽獣。それらが一列に並んで、豊樹達の方を睨んでいた。豊樹は、その眼光を睨みかえした。「それに怯めば、相手に舐められる」と、そう内心で思ったらしい。


 背中の鞘から剣を抜く動きからも、それに対する殺気らしき物が感じられた。彼は最前列の向こう側にも偽獣がいる事を知って、そのふざけた仕掛けに思わず笑ってしまった。


「まったく。? 迷宮の中に牛が放たれている。ここは、魔族の牧場か?」


「そ、そんな冗談を言っている場合じゃないでしょう? アレは、どう見ても危ない。ここは、撤退を第一に考えるべきだ!」


「撤退、か……」


 それがきっと、最善策だろう。数の上で不利(それも、圧倒的な不利)なら、即時撤退が定石だ。迷宮の攻略を考えても、ここは一度帰った方がいいだろう。


 が、それでは救えない。


 自分達の命は助かっても、肝心の被害者を助けられないのだ。肝心の被害者を助けられないなら、この危険を冒している意味もない。豊樹はそう考えて、緑川の方を向きなおった。


「確かに。でも、大丈夫だ」


「え?」


「敵の数は、多くても。あれくらいの数なら、俺でも充分に」

 

 緑川は、その続きを聞かなかった。それが本当でも、やはり不安に思ってしまう。豊樹の方はまだ、「大丈夫だ」と言っているが。それにどうしてもうなずけなかった。


 緑川は真剣な顔で、彼にまた撤退を訴えた。「貴方は大丈夫でも、僕が大丈夫とは限らない。あんな数の敵に攻められれば、貴方の防壁でも壊されると思います」

 

 豊樹は、その言葉に眉を潜めた。それに苛立ったわけではないようだが、その提案に対して反論らしき物は抱いたようである。豊樹は鞄の中か玉らしき物を出して、緑川の前にそれを転がした。


「時間制限は、あるが。しばらくは、それがお前の身代わりになる。お前への攻撃を肩代わりする、守玉だ。敵の意識も、その守玉に移される」


「で、でも!」と、緑川。「百パーセント、安全ではない」


 豊樹は、その言葉に溜め息をついた。彼の気持ちは分かるが、それは少々甘い。ここがどう言う場所かを分かっていれば、そう言う言葉はでてこない筈だ。「自分の命を守る。それは、当然の事だ。自分の命を守らなければ、肝心の依頼も果たせなくなる。お前に言った冒険者の心得も、その精神から来ているが……。それでも」

 

 緑川は、その続きを推しはかった。今の話を聞けば、その続きもすぐに分かるからだ。現に豊樹もそれを察しているようだし。ここが魔王の領域ならば、その危険性もまた受けいれなければならなかった。


 緑川は地面の玉をしばらく見て、豊樹の背中に視線を戻した。彼の背中は、自分の前に堂々と立っている。


「分かり、ました。僕も一応、公務員ですし。そう言う事もまた」


「仕方ない。だが、本当に『ヤバイ』と感じたら逃がす。俺はお前だけじゃない、被害者の事も含めて」


「考えたんですか? これが『現時点では、最善の手だ』と?」


 その答えは、「まあな」だった。「救出の時間が遅れれば、それだけ被害者の命も危なくなる。お前の命を軽んじているわけではないが、ここは被害者の救出を重んじよう」


 緑川は、その言葉にうなずいた。本当は「嫌です」と返したかったが、豊樹の考えも分かるので、それを発する事はできなかった。彼は撮影用のアクションカメラに触れて、目の前の青年に頭を下げた。


「豊樹さん」


「うん?」


「これはただの、ワガママですが。できるだけ早く……」


「ああ、分かっているよ。俺も当然、そのつもりだ。こんなところで、足止めを食らうわけにはいかない」


 豊樹は「ニコッ」と笑って、自分の正面に向きなおった。彼の正面には、例の牛達が迫っている。彼は自分の剣を構えなおして、牛達の大群に突っ込んで行った。「みんなまとめて、倒してやる。お前等に大切な命を奪わせはしない!」


 牛達は、その声を無視した。声の意味はもちろん、その意図も分からなかったらしい。彼等は豊樹の誘導に従って、その体に突っ込みはじめた。


 が、それでやられる豊樹ではない。異世界最強の魔王を倒した豊樹には、それらすべてがのろまに見えていた。牛達は「敵は二体しかない」と思って、その攻撃にも余裕を見せた。「う、うううん!」


 豊樹は、その声を聞きながした。それが威嚇であるのは分かったが、別に怯える程でもなかったので、最初の一体目も「邪魔だ」と倒してしまった。彼は牛の手足から攻め、次に体を切って、最後に首を切りおとした。「ふん! これじゃ、牛の解体だ。牛肉が、『嫌』と言う程に取れる」

 

 牛達は、その声に唸った。言葉の意味はもちろん、分からない。それがどう言う比喩で、どう言う揶揄なのかも。彼等が感じたのはただ、自分達に対する侮辱だけだった。牛達は本能から感じた侮辱に怒って、豊樹の命を「何としても、奪おう」とした。


 が、やはり敵わない。攻撃の一つ一つ、反応の一つ一つは凄かったが、豊樹の力がそれを上まわっていたせいで、相手に突っ込んではやられ、を繰りかえしてしまった。牛達は「それ」に怯んで、豊樹の前から逃げだそうとした。


 が、それも無意味。彼等を「狩れる」と信じていた豊樹には、文字通りの無駄だった。牛達は通路の奥に逃げてもなお、豊樹の追撃に遭って、その数を一体、また一体と減らしてしまった。「ぐ、ううううん!」

 

 豊樹は、その声に「ニヤリ」とした。敵はもう、戦意消失。数の優位から覚えていた優越感も、彼の力に「ご、おおおっ」と怯えていた。豊樹は最後の一体に斬りかかって、その体を吹き飛ばしてしまった。「

 

 敵は、その声を聞けなかった。それを聞こうとした瞬間、豊樹に体を壊されてしまったからである。敵は当たりの空間に肉片を飛ばして、その命を閉ざしてしまった。豊樹はまた、その光景に「ニヤリ」とした。ある種の満足感と、達成感を覚えて。緑川の方にまた、向きなおったのである。


 豊樹は緑川の方に戻ろうとしたが、今の場所から歩き出そうとした瞬間、迷宮の中がまた揺れはじめてしまった。「これは?」


 迷宮の崩壊? でも、この規模は……。


「さっきの揺れとは、ぜんぜん違う。迷宮全体が震えているようだ」


 まるでそう、何かがこれから現われるように。その不気味な気配を感じてしまった。豊樹は豊樹の顔を睨んで、彼に「気を付けろ!」と叫んだ。「そこから絶対に動くな!」


 緑川は、その言葉にうなずいた。彼の言葉から危機感を覚えるように。彼は防壁の中にうずくまって、迷宮の揺れに頼ろうとしたが。彼が両手で自分の頭を覆った瞬間、それを妨げる何かが現われてしまった。緑川は空間の圧迫感に負けて、防壁の中から顔を出してしまった。「こ、こいつは?」


 豊樹も、その声に目を細めた。豊樹は不満げな顔で、目の前の獲物を睨んだ。今までの敵とは比べ物にならない、

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