第7話 嫌な勝利(※一人称)

 。現実世界で何かしらの力、魔力などを使おうとすると、不思議な制限が掛かって、(分かりやすく言えば)普通の人間に戻ってしまう。


 年相応の力、知力、技術などはそのままだが、それ以外は一般男性のそれと変わらなかった。最強の力は、世界の調和を乱す。だから、一定の空間でしか使えない。俺が迷宮の中で感じたのは、その当たり前な制限だった。

 

 俺は、それに驚かなかった。現実の物理法則を破る力があったら、今度は自分が第二の魔王になってしまう。目の前の前任者を倒して、自分が新しい支配者になってしまう。この世の誰も敵わない力を使って、それを壊す破壊神になってしまうのだ。自分の自制心をどんなに働かせても、それを使った神になってしまうのである。

 

 俺は、その可能性に震えた。震えた上で、神の制約に微笑んだ。この制約さえあれば、俺も狂わなくて済む。迷宮の中で最強になっても、現実世界には何の影響もないからだ。人知を超えた力は、人の居ない場所で使われなければならない。


 俺はそんな事をしばらく考えたが、目の前の化け物がいる事を思いだして、化け物の方にまた意識を戻した。化け物は今も、俺の事を睨んでいる。「る気、満々だな。両目のそれが、完全にかれている」


 化け物こと、大鼠おおねずみは、その声にこたえなかった。俺の言った意味が分からなかったのか? それとも、ただ無視しただけなのか? その真意は分からなかったが、俺が向けている敵意には、ちゃんと気づいているようだった。


 大鼠は青葉君の顔をチラッと見ると、そちらに攻撃を仕掛けようとしたが、俺がそれを阻んだ事と、青葉君の周りにある防壁が働いたお陰で、その攻撃も無駄に終ってしまった。「キィイイイイ!」

 

 凄まじい声。これは、相当に怒っている。口の中から出ている前歯には、その凄まじい怒りが感じられた。大鼠は今の場所から走りだすと、ご自慢の前歯を光らせて、侵入者の俺を噛み殺そうとした。


 だが、そんな攻撃など通じるわけがない。相手がどんなに速く動いても、異世界でそれ以上の敵と戦ってきた俺には、最初の噛み付きはもちろん、次の体当たりも、難なくかわす事ができた。

 

 相手は、その光景に苛立った。「ここの守り手」とは言え、所詮は偽獣の大ボス。通常の大ボスよりは、ずっと弱かった。相手は俺と自分の実力差に怒ったのか、大ボス特有の能力、つまりは特殊能力を使いはじめた。「自分の子どもを生みだす」と言う特殊能力を、惜しげもなく使いはじめたのである。


 大鼠は自分の子どもを使って、俺の周りを囲いはじめた。恐らくはそれで、「俺の逃げ道を塞ごう」と思ったのだろう。大量の敵に囲まれれば、「俺も参るだろう」と思ったに違いない。だが、それは「甘い」と言うもの。相手の力を見誤った、文字通りの慢心だった。相手は自分の子ども達に指示(と思う)を出して、俺の身体に次々と襲いかからせた。


 だがそれも、「無駄」の一言に尽きる。大ボスよりも弱い敵がどんなに増えたところで、その勝敗が覆るわけもなかった。相手は、子どもの死に苛立った。俺も、その弱さに呆れはてた。俺達は立場の違いこそあれ、それぞれに戦いの虚しさを覚えていた。「とどめだ!」

 

 そう叫んだのは、俺だった。俺は今も大鼠がこちらを睨む中、自分の剣を構えなおして、目の前の敵に斬りかかった。敵は、その一撃に敗れた。包丁でスーパーの刺身を切るように。敵もまた、その身体を卸されてしまった。


 敵は地面の上に倒れて、しばらくは身体の痛みに震えていたが、やがては「それ」も収まって、電池が切れた機械のように動かなくなった。

 

 俺は敵の身体から視線を逸らして、自分の後ろを振りかえった。俺の後ろでは、青森君がブルブルと震えている。「終ったぞ?」

 

 それを聞いてもなお、なかなか動かない青森君。彼は防壁の中から出て来てこそしたが、しばらくは自分の周りを窺って、俺の所に近づこうとしなかった。


「だいじょうぶ、ですか? 突然、蘇ったりして?」


「それは、ない」


 見てみろ。そう言って、大鼠の死骸を指差した。死骸の中には、真二つにされた心臓が見える。


「心臓は、化け物の急所だ。本物、偽物を問わず。そこを狙えば、大抵の奴は死ぬ。冒険者は戦う相手にもよるが、できるだけ短く、相手の急所を狙うのが基本だ。創作物のように無駄な引き伸ばしはしない。戦いの基本は、可能な限りに速く済ませる、だ」


「な、なるほど。今回もまた、その基本にのっとったんですか?」


「まあね。お前もいるし、『より短い方がいい』と思って」


「そうですか、それは」


 ありがとうございます。彼はそう、俺に微笑んだ。「僕の事を気遣ってくれて」

 俺は、その言葉に首を振った。そんなのは、気遣いに入らない。非戦闘員の命を守るのは、冒険者として当然の事だった。


 俺は青森の笑顔に応えて、自分の正面にまた向きなおった。俺の正面には今も、件の獲物が捕らわれている。動きの止まった触手に絡まって、その身体をブラブラと下げていた。

 

 俺は、獲物の前に歩みよった。意識の方は失っているようだが、その命自体は失っていないようだから。一応の期待を込めて、獲物のところに近づいたのである。俺は獲物の身体に絡みついている触手を切ると、それが空中に放りだされたところで、その身体を静かに抱えた。


 獲物の身体は、思ったよりも軽かった。体型のそれから考えて、「それなりに重いだろう」とは思っていたが。実際に抱えてみると、まるで綿でも抱えているように軽かった。

 

 俺は地面の上に獲物を寝かせると、獲物の息を確かめて(呼吸は弱いが、まだ生きている)、獲物に簡単な回復魔法を掛けた。「魔道士のようには、いかないが。とりあえずの応急処置だ。ちゃんとした治療は、病院で」

 

 受けた方がいい。そう言った瞬間、迷宮の中が揺れはじめた。恐らくは、(守り手が失った事で)迷宮の中が崩れはじめたのだろう。それを確かめる証拠は無かったが、今は二人の命が大事だったし、何よりも帰れなければ、文字通りの「無駄死に、だ」と思った。


 こんなところで死ぬほど、俺も暇ではない。俺は獲物の身体を抱え、青葉君にも「走れ」と言って、今の場所から走りだした。青葉君も、それにつづいた。俺達は崩れ行く迷宮の中で、その通路を必死に走りつづけた。

 

 通路の先に出入り口が見えたのは、走る事に飽きはじめた時だった。俺は青森君から先に迷宮の中から出し、俺もそれにつづいて迷宮の中から出た。


 俺達は現実世界の、その地面の上に倒れた。迷宮の中から抜けだした時、そこから飛びだした時の勢いが思ったよりも強かったらしい。俺達はそれぞれに自分の頭を押せたり、腰を摩ったりしたが、目の前の広がる景色が見なれた景色である事に心から喜んだ。「助かったんだ」


 青森君はまた、「助かったんだ」と繰りかえした。まるでそう、「生」の実感を味わうように。俺が彼に「そうだ」と応えた時も、その言葉に「やったぁ!」と叫んでいた。青森君は背中の荷物を背負ったまま、嬉しそうな顔で俺の肩を掴んだ。


「豊樹さん! ぼく達、助かったんですよ!」


「ああ」


 本当に良かった。そう応えたのは、俺ではなかった。あの対策室に俺を導いた人間、森口が青森君にそう言ったのである。森口は何人かの同伴者を連れて、俺達のところにやって来ていた。「任務の方、上手く行ったようですね?」


 俺は、その言葉に目を細めた。何となく嫌な言い方だったからである。


「見たとおりに。囚われの王子も、何とか無事だよ。ちゃんとした治療は、受ける必要はあるが。それよりも」


「はい?」


「そいつ等は、何者だ? アンタが連れてきた以上、普通の人間じゃないんだろう?」


 森口は、その質問に微笑んだ。まるで、俺の質問を分かっていたかのように。


「元々は、公安の案件ですからね。公安に引き渡すのは、当然でしょう? それに迷宮の事を調べるのも、専門機関の方が」


「良いだろう。が、それだとなおさら」


 迷宮対策室が、「生贄」に思える。すべての利権に関わる、公の生贄に。


「クソだな」


「確かに。でも、それが現実です。我々はどんな手を使っても、魔王の侵略を防がなければならない。この世界を統べる種族として、それは当然の責務でしょう?」


 森口は「ニコッ」と笑って、青森君には試料の提供を、俺には王子の引き渡しを求めた。俺達は、その要求に応えた。

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