第8話 新しい案件(※三人称)

 迷宮の中から帰ってきた。それだけでも驚きだが、それを成し遂げた一人が青森である事も驚きだった。こんなに大人しい青年がまさか、未知なる場所を旅してくれるなんて。彼の事を知らない人間が聞けば、それに「まさか?」と驚いてしまうだろう。この話を聞いた赤羽達が、「マジか?」と驚いているように。彼への認識をすっかり変えてしまう筈である。

 

 彼等は新人の帰還に喜びを感じる一方で、それに僅かな劣等感を覚えてしまった。が、それを隠すのが人間。特に「緑川流」と言う人間だった。彼は青森の事を素直に褒める赤羽と違って、青葉にある種の批判意識を見せた。「だが、何もできなかったんだろう? 豊樹さんの力に守られて、内部の撮影と試料の採集しかできなかった」

 

 豊樹は、その言葉を遮った。それは冒険者への無礼、「勇気ある者への罵倒」と思ったからである。豊樹は緑川の目を睨むと、今度は冷静な顔で彼の目から視線を逸らした。「それだけで、充分だろう? 青森君は、冒険者じゃない。文字通りの素人だ。素人が怪物とやり合うのは、どう考えても危険すぎる。正直、帰ってこられただけでも優秀だよ。冒険の初歩は、生きて帰る事だからな。その意味で」


「優秀、ですか?」と、緑川。「自分の仕事を果たせた意味でも?」


 豊樹は、それに「ああ」と応えた。緑川の感想を否めるわけではなく、本当の意味で青葉を認めたのである。青森は初心者で一番大事な、「生還」をやり遂げたのだ。彼はその意味でも、優秀な人間なのである。「集めた情報はみんな、国に持って行かれてしまったが」


 緑川はまた、彼の言葉に苦笑した。今度は、「国」の部分に応えて。


「まあ、仕方ないでしょう? そもそもは、国の仕事ですし。僕達が」


「口は、出せよ? 


 それに緑川が黙ったのは、たんに苛立っただけなのか? 彼は机のペン立てに手を伸ばすと、そこからボールペンを取って、お得意のペン回しをしはじめた。


「同じじゃありませんよ、今はね? 僕達は言わば、。それが安全かどうかを確かめる、実験台。国の都合で、いつでも消せる捨て駒。僕達は……どう言う基準かは分かりませんが、それに選ばれたんです。こんな豚小屋に押しこめられて、今回の事も」


「国の都合、か?」


「そう言う事です。青森君のった試料は、研究所に。恐らくは、科学関係の独立法人に渡されるでしょう。そう言うところには、専門の機械が揃っている。現代科学が異世界の真理に迫れるかは分かりませんが、公安も『それ』に関わっている以上」


「ある程度の期待は、持てるか?」


 その答えは、「分かりません」だった。「公安は治安の観点から関わるでしょうが、研究所の方はそうとも限らない。異世界の真理は言わば、科学の規格外品です。科学の外側にある、異能力。それをもし、現代科学が解きあかしたなら?」


 豊樹は、その言葉に目を細めた。彼が言わんとする事をすぐに察したからである。「そこまでは、愚かではないだろう? 


「確かに」と、緑川もうなずく。が、そこから先は違うらしい。緑川はペン立ての中にボールペンを戻すと、挑むような顔で豊樹の目を見かえした。


 「だが、それは一般世界での話だ。表面上では戦わなくても、余所に『それ』を渡す者も居る。間接的な武力として、この国に災いをもたらす者も居る。『戦争』に得がある限り、その闇も無くならない。この国にも、スパイが入っていますからね?」


 豊樹は、その言葉に眉を上げた。彼も創作物や情報番組などでスパイの存在は知っていたが、国の関係者から実際にそう言う事を聞くと、それが架空の世界ではない、「現実の物事」として感じたらしい。


 緑川が彼に「スパイが今回の事に感づく可能性も」と言った時も、それに言いようのない不安感を覚えてしまった。豊樹は冷静な態度を装う裏で、その表情には「不安」を浮かべはじめた。「そうなれば、最悪」


「そう、戦争もありえる」と、緑川。「あくまで可能性の話ですが。未知なる力は、人間の科学力を上げる。科学力の向上は、軍事力の向上。軍事力の向上は、世界平和の鉄則。人間が科学の進歩に頼って、戦争の駒を進める事も……まあ、あくまで想像の話ですが。それでも、『ノー』とは言いきれない。人間は、『強い力』に惹かれます。石器時代には、石器に。戦国時代には、鉄砲に。世界大戦には……」


「そう、だな」と、豊樹。「だが、同時に『賢い』とも思っている。自分達の作った物と向き合って、そこから何かを学べるくらいには。人間は『愚者』と『賢者』の両方を持って、その文明を築いてきたから。


 緑川は、その言葉に眉を細めた。そこから続きは、「言わなくても分かる」と思ったらしい。「弱かったんですね? 彼、ですか? 彼がどんな人生を送ってきたのかは、分かりませんが。彼は自分の不満に負けて、自分の本能を解きはなった。神様からもらった力を使って、自分が思うままに振る舞った。それが多くの人を苦しめる事になっても、その快感から逃れられなかったんです。『自分は何でもできる』と言う、万能感から。万能感は、人間の本能を満たしますからね。人間の本能は、人間が思う以上に幼稚ですから。それゆえに強い。大人が子どもに手を焼くようにね。理性ある大人は、本能第一の子どもに敵わないんです」


 豊樹はまた、彼の言葉に黙った。確かにその通りだ。高度な機械は、単純な事故に弱い。どんなに作りこんだ物も、たった一撃の衝撃で壊れてしまう。だから、愚かな者に敵わない。高度な正論を持つ者では、下等な邪論を持つ者に敵わないのだ。「でも」

 

 緑川は、その「でも」に眉を上げた。「でも」の言い方が、妙に引っ掛かったらしい。


「なんです?」


「結局は、負ける。一時の成功は掴めても、やがては身を滅ぼす。『業』の果てに掴んだ栄光は、自分の人生に影を当てるんだ」


 それを聞いた緑川が黙ったのは、何かに苛立ったからか? 彼は経質な態度で、椅子の背もたれに寄りかかった。「詭弁きべんですね、大人が好きそうな説教だ」

 

 豊樹は、その言葉に溜め息をついた。こんなのを「説教」と言うなんて、彼の倫理が疑われる。彼はきっと、「大人は、汚いもの」と思っているのだろう。「汚い事を極めたのが、大人。それを見破られないのが、一流」と考えているに違いない。


 そう思うと、何故か悲しくなってしまった。現実主義も、行きすぎたら不幸になる。豊樹はそんな事を考えたが、森口が対策室の中に入ってくると、周りの面々に倣って、彼の顔の視線を移した。彼の顔は、例の笑みを浮かべている。


「どうしだ?」



 彼は「ニコッ」と笑って、豊樹達にタブレットの画面を見せた。タブレットの画面には、何処かの地図が映り、地図の中には矢印らしき物が表れている。


「今回の一件で、余所にも対策室の事が広まりましてね? 『ここに力を貸したい』と言う方々が」


「ぶん投げただけだろう? 『人の命に関わる事』となれば、その責任も重くなるからな? 余計な業務は、増やしたくない。安全地帯から問題の解決を頼む。俺が前にいたところも……まあ、そんなところだった。そこに住む全員が、そうではなかったけど。『責任』って言うのは、どの世界でも取りたくないものだ」


 対策室の面々は、その言葉に押しだまった。それが伝える本質も辛かったが、「新しい仕事が舞い込んだ」と事にも「ムッ」としているようだった。彼等はそれぞれの顔を見合って、森口の顔にまた視線を戻した。森口の顔はまだ、あの笑顔を浮かべている。


「それで?」


 そう森口に聞いたのは、室長の黄木である。黄木は自分の席に座ったままで、森口の目を見かえした。「今度は、誰が捕まったんだい?」


 森口は、その質問に笑みを消した。「ここから先は、おふざけ無し」と言わんばかりに。「男子高校生です、学校の下校途中に吸いこまれたようで。彼の友人等には一応、口止め料を払っておきましたが。それもいつまで続くか、分かりません。今は、SNSがありますし。口止め料が却って、確たる証拠になるかも知れない。『我々の社会は今、危険に晒されている』と。政府が公式発表に移るのも、時間の問題です」


 豊樹は、その情報に頭を抱えた。そうなるのは、前々から察していたが。これは、流石に「速い」と思ったからである。現代社会に迷宮なんて物が現われれば、文字通りのパニックになる。豊樹はその光景を思って、また「う、ううう」と唸った。「仕方ない、やるか」


 黄木は、その言葉に苦笑した。恐らくは、彼の苦悩にうなずいて。


「緑川君」


「はい?」


「今回は、君が付いて行きなさい。流石に二連続は、青森君も疲れるだろう?」


 緑川は「それ」に何やら考えたが、やがて「分かりました」とうなずいた。「

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