第2話 迷宮対策室(※三人称)

 最悪の辞令だった。それが左遷させんなのは分かる。分かるが、その内容があまりに非現実だった。。ほとんど物置小屋とか思えない部屋の前に貼られていたのは、その不可思議な看板だった。看板の文字に使われていたフォトは、某ワープロソフトで使われている明朝体。それを可能な限りに大きくして、その上部に画鋲を突き刺しているだけだった。

 

 彼等は、その光景に溜め息をついた。「ここが、自分達の新天地だ」と思うと、(程度の差こそあれ)やはりガッカリするらしい。彼等が部屋の中に私物を運ぶ光景からは、その落ち込み具合がうかがえた。


 彼等は粗末な事務机の上に私物を置き終えると、それぞれに自分のスマホを弄ったり、椅子の背もたれに寄り掛かったりして、この離れ小島にまた溜め息をついた。

「それで、何をやりゃいいんです?」

 

 そう室長に訊いたのは、室長席から最も遠いところに座る赤羽あかべねだった。赤羽あかばねつとむは入省二年目の若手だが、新人時代の礼儀作法をすっかり忘れているようで、スーツのネクタイはもちろん、ワイシャツの色もワインレットを決めていた。


「こんな豚小屋に押し込まれて? あるのは、おんぼろパソコンと内線電話。あっちのプリンターも、年代モンだし。部屋の液晶テレビも、初期中の初期ですよ? なんて、今の奴らは知らないですって」

 

 室長は、その言葉に苦笑した。こんな若者が、「コンポーネット」を知っているのも驚きだが。それよりも、彼の言葉が尤もだったからである。こんな雑務専門の部屋に押し込まれて、普通の業務など行える筈がない。余所の部署に応援、あるいは嫌なお仕事を任されるだけである。挙げ句の果てには、「迷宮対策室」など。流石の彼も、これは「ふざけている」としか思えなかった。


 室長は赤羽の悪態を「まあまあ」と宥めつつも、内心では彼と同じ、あるいは彼以上の不満を抱いていた。「君の気持ちも、分かるが。ここは、耐えよう。上の連中も、『一応の備えだ』と言っているし。例の不安事項が消えれば」

 

 それに「他の部署に移れる?」と返したのは、室長の前に座っている青森あおもりだった。青森あおもり誠次せいじは入省一年目の新人だが、新人研修後からこの部署にすぐ配されたため、ある種の劣等感と言うか、単純な寂しさを覚えていた。同期の奴らは、それなりの部署に配されたのに。


 自分だけはこんな、得体の知れない部署に飛ばされるなんて。自尊心はそんなに強くない彼だが、この配属先だけはどうしても不服だった。彼は新品同様のスーツを震わせて、両膝の上に両手を乗せた。「空間の間にできる、『迷宮』を何とかすれば? 本来の部署に」

 

 戻れるわけないよ。そう彼に返したのは、彼の真向かいに座っている緑川みどりかわだった。緑川みどりかわりゅうは赤羽と同期だが、彼とは正反対の堅物系。着ているスーツも王道なら、そのネクタイも王道。黒縁眼鏡の裏に理性を見せる、早い話が理系男子だった。


 彼は役所支給のパソコンを立ちあげると、そこに「極秘」と書かれたUSBメモリーを差して、その中身をサッと開いた。メモリーの中には、「報」と題された文書データが入っている。「何が極秘だ、データにロックも掛けないで。これじゃ、周りに『見てくれ』と言っているような物だ」


 まったく。彼はそう、溜め息をついた。


「室長」


「うん?」


「コイツを書いたのは、内閣府ですよね? 製作者のところに」


「名前の方はあくまで、仮だよ? 責任の所在を誤魔化すためにね? 稟議書の責任分散だけでは、どうも足りないようだから。流石の御上も、未知なる物に責任は負えないからね?」


 その会話に割りこんだのは、今まで沈黙を守っていた赤羽だった。彼は上のやり方が気に入らないらしく、机の上に両脚を乗せては、不機嫌な顔でズボンのポケットに両手を突っ込んだ。「その責任転嫁に俺達を使われちゃなぁ? 堪ったもんじゃない。こちとら、安定志向でお役人になったのによぉ? これじゃ、田舎のブラック企業だぜ」


 緑川は、その言葉に吹き出した。彼の言葉もとえ、暴言が余程に面白かったらしい。が、赤羽には不愉快だったようだ。彼は同期の顔を睨むと、素早い動きで机の上から両脚を退けた。


「なぁんだよ? 役所に入る理由なんて、大抵がそんなモンじゃん? 国民の皆様に奉仕する。そんなのは、面接官に言う冗談だよ?」


 なぁ? と、青葉にも訊いた。青葉は、その質問に困っている。室長も今の会話を聞いている以上、流石に「そうです」とは言えないようだ。


「チッ」


 つまらねぇ奴。青葉にそう、悪態をついた。赤羽は椅子の背もたれに寄り掛かって、同期の目をまた睨みつけた。「そう言うお前は、どうして入ったのさ?」


 緑川は、その言葉に口元を上げた。今の質問に呆れているのか? それとも、単純に「つまらないな」と思っているのか? とにかく、「やれやれ」とは思ったようだった。緑川は机の上に頬杖を突いて、パソコンのマウスを弄くった。


「それはもちろん、安定して出世するためだよ? 福利厚生のしっかりした公務員で、安定した社会的地位を手に入れる。今は民間も不景気だから、安全なルートで出世するには公務員が一番なんだ。でも」


「ああん?」


「それも今日も、終わりだ。こんな部署に飛ばされて、出世もクソもない。精々、定時上がりを楽しみにするしかないよ。五時半終わりのタイムカードを切ってさ?」


 赤羽は、その言葉に黙った。言っている内容はアレだが、その内容には「同感」と思ったらしい。それを見ていた室長には苦笑されたが、その反応にも「黄木おうぎさんも同じでしょう?」と笑っていた。「部署の出世頭だったのに、こんな場所に飛ばされて。アンタの事は、俺の部署でも知られていたし。内心じゃ、ウンザリしている筈だ」

 

 室長こと、黄木おうぎ紀夫のりおは、その質問に笑みを消した。「嫌な事を言われたな」と思ったらしい。赤羽からまた「昇進の噂もあったのに?」と訊かれた時も、その答えに「う、ううん」と言いよどんでしまった。


 彼はパソコンのキーボードに目を落として、その仮名表記に眉を寄せた。「俺は、組織の人間だ。組織の人間なら、その命令に従わなきゃならない。出世はあくまで、それに従ったご褒美だよ」

 

 赤羽は、その言葉に吹き出した。彼の意見を笑うつもりはない。でも、その答えにはどうしても耐えられなかったようだ。「この人も所詮、組織の一部でしかない」と、そう内心で思ったようである。


 彼は黄木の目を見て、その奥に潜む鬱屈を見抜いた。「ご褒美、か? ふん! こんなところにいたって、そのご褒美は貰えそうにないし。肝心の業務内容も、ほら?」

 

 そう彼の指差す先には、不機嫌顔の緑川が座っていた。


「わけ分からんし。調、なんて。そもそも、迷宮なんてあるのか? 漫画やアニメじゃあるまいし。この現実世界にそんなオカルトがあるなんて」


「僕も、信じられないよ。『迷宮の中に人が飲みこまれる』なんてさ? 普通ならありえない。科学の信奉者なら、鼻で笑われる事象だ」


「確かに!」


 二人は、互いの意見にうなずき合った。根本の部分が異なる二人だが、これに関しては意見が合うらしい。二人は青葉から「で、でも!」と言われるまで、互いの意見に「ニヤニヤ」と笑いつづけた。「どした?」


 青葉は、二人の顔を見わたした。それらの顔がどんなに訝しげでも。「書類の内容がもし、本当だったら? 異世界の魔王が犯人で、この世界に迷宮を作っていたら? 世の中は、大混乱になる。今までの常識が壊れて、世界中が大パニックになります。いつ現われるかも分からない迷宮の中に捕らわれてしまうなんて。普通に考えたら、恐ろしいですよ? 見えない怪物が、見えないところから襲ってくるわけですから」


 意外な者の言う正論は、普段強気な者達を黙らせる効果があるらしい。赤羽達は(一見すると)気弱そうな印象の青葉がそう述べた事に対して、ある種の驚きを覚えてしまった。この新人君は、その内側に「普通ではない何か」を持っている。彼等は青葉への畏怖、ある種の尊敬を隠して、彼の目をまじまじと見はじめた。

 

 青葉は、その視線におどおどした。思考の強みも、多くの視線には耐えられないらしい。「と、とにかく! やりましょう。書類の中にも、ほら? 一応のプロは、呼んでくれたようですし。その人に頼れば、『とりあえずは何とかなる』と思います。この、『豊樹とよき令一れいいち』って人に頼めば」

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