第25話 黒井戸教頭

「二週間前の木曜日。小学6年で。なんの行事も最後になる学年ですから、今回の授業参観も絶対来てって言われていて」


 イカではその表情はよくわからないがとても悲しい様子の声だった。


「行けなかったんですか?」

 ネイビーブルーが訊ねるとイカの黒井戸教頭はこくりと頷いた。


「教頭は二人おりますから。はじめはもうひとりの佐竹さたけ教頭にお願いしていたんです。だけど当日に」


 ──すみません、こどもの風邪をもらったみたいで。げえっほごほ。


「咎めません。仕方のないことですから」


「教頭先生っていないといけないものなんですか? 学校にはほかの先生方だってたくさんいるわけだし、授業参観なんて数時間だけのことなんだから、少しくらい抜けて行っても……」


 ネイビーブルーの意見にあとの二人もこくこくと頷く。


「私用で抜けることは簡単にはできません。それにただでさえ仕事は山積み。加えてあの頃は、今度の校外学習に関しての準備などで普段よりもかなり慌ただしくしていて」


 忙しく駆け回る黒井戸教頭の姿が目に浮かんだ。


「だけど……。間違えてしまったのでしょうね。私は、母親として大きな間違いをしたのです」


 ──ママはわたしより学校のほうが大切なんだね? やっぱりそうなんだね!?


 ──もういい! 大嫌い! そんなに好きなら学校に住めば!? もう帰って来なくていい!


「教師の仕事は、娘のために頑張っていたはずだったんです」


 黒井戸教頭はイカのままぐんなり寝返りを打って天井を見上げた。


「低学年の時の作文で『はたらくママがすき』って、『わたしのあこがれです』って、そう書いてあって。それをかてにして私、ずっと走ってきた。なのに……」


 巨大イカの目から流れる墨液まじりの涙は黒井戸教頭のものだろう。大粒のそれはとめどなく流れ落ち、醤油まみれの床を濡らした。


「なのに……どうしてあの子を泣かすことになるの? 私が悪いの? ねえ! 私が悪かった? 間違えた? なんで!? なんでよ! ねえっ! じゃあどうすればよかったの!?」


 語気が強まると共にその目が赤く光り始める。同時にイカの体が更に大きくなり始めた。


「ま、まずいカサ! 必殺技の【キョダ】を出されたら、校長室ごと破壊されるカサ!」


 あっという間にその体は壁や天井に届いて、マジョンヌや床で眠るこどもたちにも太くなったイカの足がぐ、ぐ、と迫る。このままでは壁とイカに挟まれ潰されるのは時間の問題だ。


「く、黒井戸教頭先生! 聞いてください! あなたは悪くないです! 間違ってもないです!」


 ミルキーピンクが必死に言うと、ネイビーブルーも続いた。


「小6って、難しい年頃ですから。お母さんのせいっていうより、反抗期なんですよ。思ってることと反対を言っちゃったり、しちゃうものでしょう?」


 うんうん、とキャメルブラウンも頷いた。

 しかし黒井戸イカは認めようとしない。


「ちがう! 私が悪い! ぜんぶ私が悪かった。低学年のころの、本人が記憶にもない作文を都合よくいつまでも心の頼りにして。今のあの子とちゃんと向き合えていなかった。もうなんでもできる歳だって、甘えて、ひとりにして、仕事にかまけて……」


「ママは悪くなあああーいっ!」


 ピシャリ、と言いはなった叫び声は、マジョンヌの三人の誰のものでもなかった。


「コ、コモ……?」


 それはミルキーピンクの、優花の娘、寝ていたはずのコモの声だった。


 ミルキーピンクをはじめ、全員が驚いたが静かに続きを見守った。そのあまにの気迫に巨大イカの【キョダイカ】もピタリと止まった。


「黒井戸教頭先生のばか! 先生はなんにもわかってないよ! こどもは、なにがあってもママが大好きなんだよ!? 好きに決まってるじゃん! キライって言っちゃうことがあっても、ホントじゃないもん! キライなのは、『ごめんね』って言ってくるママだよ!」


「ど、どういうこと?」


 つまり、ママは嫌いじゃないが謝ってくるママは嫌い、と?


「悪くなんかない。だってわたしたちのために頑張ってくれてるの、ちゃんとわかってるもん! そりゃあさびしいな、もっと甘えたいのになって時もあるけど、だけどいつだっていちばん応援してるんだもん! それなのに『ガマンさせてる』とか、『ママのせいで』とか悲しい顔して言われるの、すんごくイヤ! わたしたちこどもが言われたいのはね、にっこり笑顔で『応援ありがとう』って、『大好きだよ』って、それだけだよ! だってママたちは、ママは、こどもにとって、スーパー戦士なんだもんっ!」


 ボロボロと泣きながら叫ぶコモを前に、同じようにボロボロと泣いたのは巨大イカの黒井戸教頭、そしてもちろんコモのママであるミルキーピンクもだった。


「い、今カサ! 三人で力を合わせて【トリプル・ペアレンツ・アタック】を出すんだカサ!」


 相変わらずダサいネーミングだわね。と思いながらも、マジョンヌたちは頷き合って立ち上がった。


「黒井戸教頭先生、あなたは立派な母親です! 頑張ってる母親は、それだけで花丸満点。自己採点なんてしなくていいの。だって採点するのはあなたじゃなくて、あなたのこどもなんだから!」


 みんな、いきますよ。

 はいっ!


「トリプル・ペアレンツ・アターーーック!」


 スパアアアアアーン……!


 まばゆい光が巨大イカを包んで、その黒くヌメヌメしていた巨体の足の先からの端まで、すべて真っ白に浄化した。










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