第23話 魔法の呪文

「ム、ムカデさあーん……います? いたら教えてくださーい……」


 キャメルブラウンはもはや自分が何をしているのかよくわからなかった。


 サンショウウオを倒した時はたしかに正義の味方になったような気分だった。けど今はどうだ。この役割ってなんなのだろう。ムカデを探し回るなんて。虫好きの息子でもムカデはさすがに欲しがらない。


 息子……。


 せっかく救った大切な奏都。なのにすぐにはぐれてまたすぐ恐ろしい敵にさらわれてしまった。約束したのに、胸に誓ったのに、守ってあげられなかった。


 ごめんね。こんなお母さんでごめん。

 どうか、無事でいて。

 お母さんもがんばるから。

 ちゃんと助けるからね。


 ぎゅっと目をつぶって決意した途端、部屋の隅にムカデがいるような気がした。そっと目を開く。ゆるりと視線を向けると、たしかに想像した通りの場所にその陰が見えた。恐る恐る近づいてみるが、動かない。死んではいないようだが。


「い、いたあっ! いました、ムカデっ! 気絶してるみたいですけど……」


「ありがとうございます! じゃ、起こしてください!」


「ええっ!?」


 そんなの無理難題が過ぎた。いくら虫好きの男の子の母親でも虫がまったく平気なわけではない。状況が状況で言い出せないが本当はこの葉はムカデが恐ろしくてたまらないのだ。


「ど、どうやってです!?」

「え……つついてみる、とか?」


 む、むりむりむり!

 ただでさえキモチワルイ巨大ムカデをつつくだなんて! いくらマジョンヌに変身していようとそこまでの勇気は出せない。


「お願いしますキャメルブラウン! あなたにしか頼めないの! 敵を倒すために、黒井戸教頭先生を助けるためにも、ムカデを起こしてください! 大丈夫、そのムカデは仲間だから!」


 そんなこと言われても、と内心思う。そもそもどうして自分はここにいて、こんな目に遭っているのか。ぶっちゃけると息子さえ取り戻せれば、もうあとは任せてさっさと帰りたい。


 ああ、そうだ。帰りたい。

 いつものソファー。美味しいミニパン。至福の時間。


 こんな状況、一刻も早く打破したい。早く帰ってひと風呂浴びて、コーヒー牛乳片手にミニパンを頬張りたい。


 平穏を取り戻したい。

 幸せを噛み締めたい。

 そのために今すべきは。


 キャメルブラウンは「よし」と心を決めて小さく頷いた。「えー、触れないの? こんなかわいいのに」とトンボ片手に言ってきた息子に今度自慢してやろう。


 お母さんね、こんな大きなムカデ触ったことあるよ。って。(危険ですので絶対絶対マネしないでね!)


「……おーい、ム、ムカデさーん。起きて。起きてください! みんなが、マジョンヌたちが困ってるんです! ムカデさんがいないと、敵もどう倒せばいいのかわかんないって!」


 さすがに直接、指で触れるのは危険と判断し、近くにあったペンの先でその身体をゆさゆさとつついてみた。ひいい、ムカデ……ムカデに触れてる、私。こんなに近づいてる。


 ムカデは「う……」と苦しそうな呻き声を出したがやはり元気に喋りだすことはなかった。


「ムカデさん。どこか痛いですか? それとも殺虫剤の成分とかのせいですか? ねえ、あの、どうしたらいいの?」


 キャメルブラウンは泣きたくなった。こんなにも頑張ってムカデに触れたというのに状況がなにも変わらないなんて。


「ムカデさんっ……」


 お願い。治って。

 精一杯願ったその時、ムカデが微かに喋りはじめた。


「か……かい、ふ、く、……カサ」


「え!? な、なんですか!?」


「回復……の、呪文……カサ」

「どんな!?」


 しかしムカデは答える気力がもうないようだった。呪文……。なんだろう、とキャメルブラウンはない脳みそをフル稼働した。しかしわからない。ここは仲間に助けを求めることにした。


「あのっ……呪文、ご存知ですか!? 回復できるようなっ!」


 仲間の二人からキョトンと見返されてキャメルブラウンは「ああ、これはダメだ」と悟った。


 わかった。こうなればもう手当り次第に試すしかない。キャメルブラウンは一か八か『呪文』と言われて最初に浮かんだものを唱えてみることにした。


 ムカデにその両手をかざす。キャメル色のロンググローブをはめた手だ。こんなのはめたのは、そう、十数年前の結婚式以来だった。たしかあの時も『腕を出したくない』とこの葉がごねた結果それを着けることになったのだ。あの時は純白のロンググローブで、もっと腕も細かった気がするが。そんなことは今はどうだっていい。


 懸命に力を込めてみると、だんだんと手のひらが熱を帯び、光ってきたような気がした。


 いける。


 キャメルブラウンは確信した。この呪文で合っているにちがいない! だって私はミセス・マジョンヌ。『お母さん』だから!


 胸いっぱいに息を吸い込み、高らかに唱えた!


「いたいの いたいの とんでゆけえええーーーっ!」


 や、それなわけなくない!? と思ったミルキーピンクの予想は良い方向に裏切られた。


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