第22話 汚れてもいい服

「ムカデは……どこですか、黒井戸教頭先生」


 優花が訊ねると「ムカデですって!?」と黒井戸教頭は高い声を出した。反射的に肩がびくりと跳ねる。


「さあ? そのへんで伸びているんじゃないかしら。ふふ。ほうきとちりとりで早いうちに取ってしまわないといけませんねえ。不衛生ですから」


「どうしてこんなことをなさるんですか!」


「は、どうしてって……校内の害虫駆除は私どもの仕事ですから」

「とぼけないでください! ウナギやサンショウウオのことですよっ!」


 優花が声を大きくすると黒井戸教頭は「ふふ」と愉快そうに笑って「それは」と言いながらその姿を徐々に大きく、そして黒い半透明のヌメヌメしたものに変化させていった。


「ひああっ、わわ、うわうわっ……!」

 まだ幻獣に慣れていないこの葉が悲鳴を上げた。


 にゅるにゅると何本も自在に動くのは足のようだ。長い胴体、頭の先には薄っぺらい三角が見える。


「イカ……?」


 それは巨大な黒いイカだった。巨大なの部分が天井についてもなお成長を続けてぐんなり曲がる。平穏だった校長室に一気に黒いオーラが拡がりまっ黒に塗りつぶされる。そのおぞましい光景にこの葉はもちろん、優花と涼子までが声を失った。


『それはすべてを塗りつぶしたくなったからです』


 その声は黒井戸教頭のもののようでありながら、幻獣のおそろしい叫び声のようでもあった。


『ギイエアアアアアアアーッシュ!』


 爆音のようなうめき声とともに挨拶代わりに墨液が勢いよくビシャアっ! と撒かれた。壁に飾られた歴代の校長たちの顔写真が容赦なく黒塗りされる。お習字の墨汁とはまたちがう、ひどく生臭いにおいが一気に部屋に立ち込めた。


「ひあっ、新発売のトップスに染みが!」


 言ってる場合ではないが涼子にとっては一大事だった。もう忘れそうだが今日は年度始めの授業参観。『普段より少しいい服』を着ていて当然だ。


「やだ、終われば元に戻るとしてもやだ! 汚されたくない! 早く、早く変身しましょう!」


「ええっ、青野さん本気ですか?」

「もう、山吹さんっ!」


 そんなわけでようやく初めて三人揃って変身を遂げた。バシーン! と格好よくポーズが決まったところをネイビーブルーはスマホで撮影したくてたまらなかったが誰にも頼めないので泣く泣くガマンした。


「ふう。これで安心して戦えますね!」

「ああああ……。は、はず、恥ずかしい……」


 こんなメンバーで本当に大丈夫なのだろうか、とミルキーピンクはセンターポジションとして不安になった。


 その時、閉めていたはずの校長室のドアがギイ、とひとりでに開いた。え、と三人が振り向くと更に「え!?」とその目を丸くした。


「失礼しまーす」

「失礼しますう」

「失礼しまっす」


「……ちょっと待って! なんでコモたちがここに!?」


 ミルキーピンクの声が高くなる。入ってきたのはコモと夢莉と奏都。三人の愛するこどもたちだった。


「クロイドキョートウセンセー、だいすき!」


 ぞくり、と背すじが寒くなった。


「コモ、なに言ってるの!?」


 ミルキーピンクの声にコモはまったく反応しない。


「クロイドキョートウセンセー、だいすき!」


 まるで機械のようにそう言って前だけを見て進んでゆく。その目は虚ろで、操られているかのようだった。


「夢莉!? ちょっと!」

「奏都! ねえっ」

「クロイドキョートウセンセー、だいすき!」


 夢莉も奏都も、前だけ向いてコモに続いてゆく。ネイビーブルーが夢莉の腕を掴もうと手をのばすと、バシン! と強い衝撃が走った。


「痛っ! なに!?」


 イカの足が強烈なキックをかましてくるのだ。「こどもたちの学びの妨害は親御さんでも許せません」


「なんですって!?」

「クロイドキョートウセンセー、だいすき!」


 三人のこどもたちはまっすぐに巨大イカに向かって進んでゆく。そして──


「だめ、行っちゃだめ!」


「いらっしゃい。かわいいこどもたち」

 シュルリ、とあっさりその足に絡め取られてしまった。


「ちょ、ちょっと! そんなのってズルくない!?」


 ネイビーブルーがギャンギャンと抗議するが黒井戸イカは「ふふ」と愉快そうに笑うだけだった。


 答える代わりに墨爆弾をお見舞いされてマジョンヌの三人は散り散りに飛び退いた。


 戦わなくては。こどもたちを救わなければ。だけど敵は幻獣とはいえ元はいつも大変お世話になっている教頭先生。攻撃や、まして倒すなんてしてもいいものだろうか。豪快に倒してしまって黒井戸教頭は無事で済むのか。そしてちゃんと正気に戻るのか。その場合どこまで記憶があるのか。そもそもどうやって倒せばいいのか。知りたいことが山積みだった。


 ムカデ。


 そういうことはやはりムカデにしかわからない。


 考える間も巨大イカの墨爆弾攻撃と何本もある足での猛攻が止まらない。それを必死に受けながらミルキーピンクはネイビーブルーを盾にしてうずくまって震えているキャメルブラウンに言った。


「キャメルブラウン! ムカデを! ムカデを探してください!」


「……ひえ!?」


 む、むりむり、と言いかけたそこにイカの黒い足がニュルンと迫る。「いやあああっ!」と苦し紛れに繰り出したパンチは、ミルキーピンクたちが苦戦しているイカの足をいとも簡単にスパァン、と撃破した。


 まじか。できれば戦ってほしいんだけどな、とミルキーピンクは思うが怯えるキャメルブラウンに無理はさせられない。「とにかくムカデをお願いします」と頭を下げた。



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