第4章 給食がイカスミパスタ!? 先生だってたったひとりのママなんです

第20話 イカスミパスタ

 黒井戸くろいど教頭といえば美人で優しく、仕事もよくできる。保護者や児童はもちろん、先生方からも信頼の厚い敏腕教師だった。


 しかし廊下で不敵に微笑んですらりと佇むその姿は普段の雰囲気とは少しちがう。


 禍々しい黒いオーラを纏って優花たちをひんやりと眺めるその姿は、まさに【悪役】だった。


「黒井戸教頭先生……? なにを仰ってるんです?」


「ふふ。校長先生が黒幕だとお思いになるなんて。あっはは、本当に面白かったです。ミセス・マジョンヌのみなさん」


 ゆらりと見下ろす目線の先には未だに伸びたままの校長の姿があった。


「そう。ナマズもウナギも、先程のサンショウウオも、すべてこの私が呼び出しました」


「ええっ!?」


「世界を、黒い闇に。仕事も、プライベートも、全部黒く、真っ黒く。私が塗りつぶしてあげましょう」


 不気味に微笑み、優花たちに軽く手を振りながらどこかへ立ち去ってしまった。それと同時に教室がすうっと再び闇に包まれ、上下左右、誰がどこにいるのか、なにもわからなくなった。



 はっと気がつくと優花は明るい教室での授業参観に戻っていた。避難したはずの児童たちも保護者も何事もなく元通り教室におさまっている。先ほどまで優花の陰にしがみついていたはずのコモも、意識を失っていたはずの奏都くんも、ちゃんとそれぞれの席についていた。


「どういうこと……?」


 不審げにあたりを見回す優花のほうが不審だった。


 その時、4年3組の担任の長谷はせ先生がいきなり「それじゃあ給食の時間でーす」と手をポンと打つ。


「な、なに?」


 あれよあれよという間に全員にお皿が配膳された。戸惑う優花の手にもどこからかほいとお皿が手渡される。中には真っ黒の麺が。……これって。


「イカスミパスタ?」


 途端に教室内の、いや、校内の様子がおかしくなる。どこからともなく黒い煙のような空気が立ち込めて息をするのも苦しい。つん、と鼻をくすぐるこれは……お習字の時の、墨汁のにおい?


 周りを見ると、黒い煙はパスタを食べた人の身体から出ているもののようだった。


『もう仕事やめたいな』

『ピアノなんて本当はやりたくない』

『私ばっかりガマンしてるの』

『仕事に育児にもう疲れた』

『学校も友達もめんどくさいよ』


 聴こえてくるのはそんなネガティブな言葉ばかり。どうやらこのイカスミパスタを食べると感情まで黒くなるようだ。


 コモ、コモはどこだろう。お願い、そのパスタを食べちゃだめ!


 優花は慌ててコモの姿を探すが見つけられない。パスタを食べてしまう前に、なんとかコモと出会わなければ。


「コモちゃん、どこーっ!?」


「桃山さんっ!」


 呼ばれてはっとするとそこには涼子がいた。ああ、よかった。夢莉ちゃんは無事だろうか。


「これはおそらく黒井戸教頭先生が見せてるマボロシです! のまれないで!」


「えっ……あ、そういうこと?」


 言われてみれば給食でイカスミパスタなんてたしかにおかしい。そもそも今日はただの授業参観で給食試食会じゃない。


 優花は振り切るようにぶんぶんと首を左右に振ってから「しっかりしろ、私」と心で言って頷いた。


「桃山さん、変身しましょう!」

「はい!」


 こうして二人は再びマジョンヌとなった……が。


「一日に何度もだなんて聞いてないですぅ、ていうか無理ですよ、お腹もすいてきたしぃ」


 この葉が再びトイレにこもってしまった。


「……うう、仕方ない。とにかく二人で行きましょう。だけど山吹さん、最後は力かしてくださいね? こういうのは最後はトリプル技で仕留めるのがお約束なんです」


 言い残してミルキーピンクとネイビーブルーは教室に戻る。するとそこは一層黒いオーラで満ちていた。


「うわっ……このにおい、なんだっけ」

「墨汁……ですよね?」

「あ、お習字の?」

「そうですそうです」

「うわ、ほんとだ懐かしい」

「ね。私もちょっと思ってました」

「お習字ヘタだったけどちょっと好きだったな」

「あ、わかりますそれ」

「ですよね。筆とか持つとテンション上がって」

「あはは、そうそう。たまに習字やってる子とかいてめっちゃ上手かったりしましたよね」

「そうそう!」


 その時、続き過ぎる会話を割るべくしてかシュルリとヌメヌメした何かがミルキーピンクの腕に絡みつき、次の瞬間ぐっと強く引っ張った。「えっ!?」



 気がつくとミルキーピンクは6つの机をテーブル状に組み合わせた座席のひとつに座っていた。向かいの席には、黒いオーラを纏う担任の長谷先生が。


「えっ、なにこれ……」


 教室にはほかに誰もいない。先ほどと打って変わって日の光が明るくカーテンを透かしており、開いた窓からはのどかなハトのさえずりが聴こえる。平和で、のんびりとした暖かな空間。


 この感じ。知っている。ミルキーピンクはああ、そうだ、と思い出した。


 これは、夏休み前の個人面談だ。




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