第12話 ネイビーブルー

「え……マロン!?」


 もともと大きな目が更に大きく見開かれていた。その目線の先には一匹の茶トラ柄の猫がテトテト歩いている。『マロン』は猫の名前だろうか。


 すると涼子がよろりと立ち上がりふらふら駆け出してその猫を捕まえようとする。ミルキーピンクは思わず「危ない!」と叫んだ。二人、いや一人と一匹のすぐ近くにウナギトンが迫っていたからだ。まずい、このままでは二人とも食べられる。


 猫は涼子の声に反応したが、すぐ横から迫る大きな口に気づくとびくりと飛び上がってシャーッ! と毛を逆立てた。しかしそんな小さな威嚇で幻獣ウナギトンがひるむわけが……あった。『ギャッ』と小さく叫ぶと明らかにその大きな身を引いた。


「うわ猫すごい!」


 ミルキーピンクは思わず拍手したが涼子と猫が危険な状態であることは変わらず、ウナギトンはすぐに「あ、なんだただの猫かよ」という雰囲気を出し始めた。


 そして今度は威嚇にひるむこともなく涼子と猫を容赦なく丸飲みにかかった。鋭く尖った歯がギラギラと光って迫る。ミルキーピンクは思わずその目を伏せかけた。


 次の瞬間、「あ」と思った時にはウナギトンは口を閉じていた。猫と涼子をパクリと飲み込んだ、というわけではない。なんと猫が自らウナギトンの口に飛び込んだのだった。


「マロンちゃん!?」


 突然口に獲物が入ってウナギトンは反射的に口を閉じたらしい。そのお陰で涼子は喰われずに済んだのだった。そして猫が体内で引っ掻き回しているのかウナギトンは『ギャイイイ』と叫んでその長い身体をじたばたよじって暴れ始めた。


 まずい。このままでは辺り一帯の建物が破壊されてしまう。ちなみにもしそうなればそういった被害はどのように修繕するのだろうか。どこの誰が費用を持つのか。県や市がやってくれるのか。ニュースではどのように報道されるのか。とにかくミルキーピンクは焦った。


「やだ、やだよマロン! ……マロンっ!」


 横から悲痛な声が聴こえた。涼子だ。大切な飼い猫がまさか自分を守るために危険をかえりみずに恐ろしい怪物の口に飛び込むなんて。信じられない思い、衝撃と悲しみ。それはやがて涼子の中で、ぼ、と弾けて発火した。


 やんちゃな子猫だったあの日。

 ──モンブランみたいな色だから、この子は『マロン』!


 初めて晩ごはんのお魚を強奪した日のこと。

 ──うわあママ、マロンにお魚盗られたあ!


 初めて病気になった日のこと。

 ──大丈夫だよマロン。夢莉ゆめりがずっと一緒にいるからね。


 気持ちよさそうに眠る姿。

 膝の上でゴロゴロと喉を鳴らす姿。

 窓の外の野良猫にシャーッと威嚇する姿。


 思えばそのそばにはいつもこどもたちがいた。私とこどもたちにいつも癒しをあたえてくれる愛しい存在。かけがえのない家族の一員。


 マロンがこんなことになったって知ったら、こどもたちはどんなに悲しむだろう。


 きょうだいのように育ってきたマロンが。


 ウナギ。


 あのウナギの中に私たちのかわいいマロンちゃんがいる。


 私を守るために、その身をかえりみず。

 あんな、得体の知れないウナギに飛び込んで……。


 許せない。

 絶対許せない。

 私の手でマロンを取り戻したい。

 あの笑顔あふれる日常を、取り戻したい。


 ウナギなんかに。

 ウナギなんかにっ!


 マロンは渡さない!


「──桃山さん」


 これまでとまるで別人のような声色だった。


「やり方、教えてください!」



 キレた涼子は恥じらいがひとつもなくていっそ清々しいくらいだった。


「ミセス・マジョンヌ・ネイビーブルー!」


 高らかなその声は一際美しくよく通る。


 たちまち涼子は光に包まれてまたしてもどこからともなくBGMが聴こえた。今回はどこか涼やかでリズミカルなメロディー。例によってコスチュームはかわいいミニドレス仕様だがミルキーピンクのものと似ていながら少しずつデザインがちがう。やたらとビラビラ付いているフリルは魚のヒレをイメージしているらしい。髪は当然青くなったのだが、『ネイビーブルー(紺色)』とあってこれはほぼ黒髪に見えた。もとが明るめの茶髪だったのでなんだか黒染めをしたような感じでかえって地味になった。それを見て、え、ズルい。とミルキーピンクは密かに思う。


 びし。というわけで変身が完了するとネイビーブルーは「わあ、すごーい」と自身を眺め回した。


「マジョンヌですよね、これ」

「そうなんですよ」


 コスプレ衣装ではないということをわかってもらえてミルキーピンクは嬉しさと安堵から泣きそうになった。


「ああ、ミルキーピンクは胸のところがリボンなんですね、かわいい」

「や、かわいすぎますって、ネイビーブルーの方がデザイン大人っぽくていいじゃないですか」

「えー、地味じゃないですか? 髪もこんなのほぼ黒だし、どうせなら水色とかのほうが私はテンション上がりますよー」

「本当ですか!? まあたしかに『どうせなら』っていうのはわからないでもないかも。でも私ピンクですよ? さすがに嫌ですよ」

「えー、似合ってますよ。ピンクの髪」

「本当ですか!? 絶対ないですって」


「あの……カサ」


 ムカデがいてくれてよかった。このままこの他愛のない会話が永遠に続くのかと思ったところだ。


「お話中すみませんが、敵を倒して欲しいんだカサ」


 ああ、そうだったわね。


 ふたりはそれぞれコホン、と咳払いをしてウナギトンに向き直った。いつの間にか這いつくばってなんとこどもたちが通う小学校へと向かい始めているではないか。


「コモが──

「夢莉が──


 ──危ないじゃないの!」」


 ウナギのくせにっ!


 飛び上がったネイビーブルーの手にはショットガンが握られていた。


 バシュン! と撃ち込むとウナギトンに風穴が空いた。しかし例によって傷口はすぐに再生されてしまう。


「ミルキーピンク! ネイビーブルーが『愛のキーホルダーガン』で撃ち抜いたところを追ってカーネーションソードで切るんだカサ!」


 『カーネーションソード』も随分だが『愛のキーホルダーガン』とはまた酷いネーミングだ、とミルキーピンクは顔をしかめた。


「わかった!」と返事をして「ネイビーブルー、お願いします!」と言いながら視線を送る。それを受けてネイビーブルーはこくりと頷いて狙いを定めた。


 バシュン!


 ネイビーブルーが撃つのとほぼ同時にミルキーピンクはカーネーションソードを振り抜いた。ズパァァン、と勢いよくウナギトンが斬れてようやくその巨体が光の粒へと変わって消えてゆく。


 ああ、よかった。一時はどうなる事かと思ったがなんとか倒すことができた。


 揃って着地してふう、と息をつく。はじめは気が合わないかもとか心配していたのに嬉しさのあまりハイタッチまでして少女のように跳ねて喜んだ。微笑み合うと、身体が光って、すうっと変身が解けた。


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