第4話 ミルキーピンク
「マジョンヌ!?」
反応したのは優花、ではなく娘のコモだった。その目をキラキラと輝かせてムカデを見つめる。
「そうカサ! 伝説の戦士マジョンヌ! その案内人がこのワタクシというわけなのカサ!」
自信満々にその肩書きを明かして胸を張ったが、先程までキラキラした目で見ていたはずのコモの目がどこか怪訝なものとなっていてムカデはたじろいだ。
「マジョンヌの案内人はうさぎのピョンチとくまのガオタンでしょ? カサカサみたいなムカデなわけないよ」
『マジョンヌ』といえば業界屈指の幼児向け魔法少女アニメ。可愛らしいキャラクターが活躍するのがお決まりのアニメに、敵役ならまだしも仲間、それもこんな毎話登場するような重要な役でムカデなんかが出てくることはまず有り得ない。
「それはアニメの話でこの世界の話とは別物カサ。この世界は今守られていないんだカサ。それはこの世界を守るはずのミセス・マジョンヌたちがまだ目覚めていないからなんだカサ!」
「はいそこどいて。晩ごはん運ぶから。コモちゃんも手伝って」
「あーい」
「お願いだからちゃんと聞いてほしいんだカサ! 地球を救えるのはユウカなんだカサ!」
「ムカデさん」
「……はいカサ」
「外へ」
「えっ、ちょっ」
「外へ」
「いやあの」
「そとっ!」
開け放たれたベランダに通じる窓をあごで示した。優花の無言の圧がじりじりとムカデを窓辺へと追いやる。しかしムカデもこのまま追い出されるわけにはいかない。というせめぎ合いの最中でのことだった。
ベランダの外でピカッと閃光が走った。かと思うとその途端部屋の照明がすとんと落ちた。突然暗闇に包まれて「え、なに!?」と慌てる優花と「ていでんー? ほかのおうちは
暗闇に目が慣れてくると、外からの薄明かりを頼りに優花は部屋の隅に移動した。照明のスイッチをカチカチ試すが意味はないようだ。
開け放たれた窓から生ぬるい風が吹き込みカーテンを揺らす。その隣で巨大ムカデが黒い影を不気味に伸ばして佇んでいた。まるで敵キャラだがたしかこいつは味方のはずだ。
「まずいカサ! 幻獣が……敵が来るカサ!」
言うや否や再び稲妻のような閃光がベランダにバシンと走ってぬっと巨大な影が見えた。ぬめる球体。かなり大きいが頭のようだ。丸い目が光り、裂けたように大きな口がにいと不気味に笑う。決め手は二本の長いヒゲ……。
ナマズ?
まさかとは思うがナマズだった。「ナマズの幻獣【ナマズヌス】カサ!」とムカデが叫ぶ。その身体は黒光りしていて得体の知れないぬるぬるした液体で覆われていた。開いた口からそれが糸を引いて垂れている。これは非常に気持ちが悪い。
しばし呆然としていたが窓辺で尻もちをついているコモに気がつくと必死でその手を引いた。カウンターキッチンに避難させるとナマズヌスが耳をつんざくような声で『ギャイイイイ』とほえる。なんと恐ろしい声か。ムカデと遭遇した時の何倍もの恐怖が優花を襲う。あまりのことにもはや全身が粟立ち震えた。
「ユウカ! 変身するカサ!」
……いやいやムカデ。なにを言い出す。冗談はよしこさん。は? 変身ですって!? 返信ならタップひとつで出来ますが!
「早く! 攻撃が来るカサ!」
攻撃……! 優花は咄嗟に恐怖よりも部屋のローンが気になった。この部屋だけでなく上下左右の部屋にも被害があったら? まさかうちが負担するなんて理不尽なことにはならないでしょうね。保険はどうなっていたっけ。そもそもこれは災害なの? 瞬時にいろいろな心配事が脳内を駆け巡る。
「ど、どうすればいいの、ムカデ!」
「そこのカーネーションを使うんだカサ!」
「……はあ?」
なにふざけてんの? と優花は思う。それは母の日にコモが遊びで作った画用紙と針金で出来た造花のカーネーションだった。王道の赤色ではなく淡いピンク色を選ぶところがマジョンヌ好きのコモらしいな、と優花は微笑んだのだった。
「コモにもらったやつカサ! それを掲げて『ミセス・マジョンヌ・ミルキーピンク!』って叫ぶんだカサ!」
恥ずかしすぎて死ぬのではないかと思った。幼児がやるのならわかる。そういうの動画におさめて投稿してバズっているのを見たことがあった。
しかしおわかりの通り優花は幼児ではなく三十路もとうに超えた身だ。オバサンではなくオネエサン、と本人は強く主張するが。
「無理だよそんなバカみたいなこと!」
「迷うなカサ! 思い切るんだカサ!
たしかナマズヌスはこどもを食べる幻獣なんだカサ! コモが危ないカサ!」
は──なんですって!? 早く言えよムカデ!
見るとカウンターキッチンの脇からコモが目を輝かせて優花を見ていた。ママ、変身するの? マジョンヌになるの? 期待に満ちた目。キラキラまぶしい。今年10歳になるコモ。いろいろあった10年。このお腹にその命が宿ってから、私はずっとあなたのために生きてきた。これまでも、そしてこれからも。あなたはずっと私の宝物。
こどもを食べる……。
コモの笑顔を奪うナマズなんて、私は絶対に許さない。なにがあっても、コモは私が守る。
ナマズなんかに
ナマズなんかにっ!
負けないんだからっ!
勢いそのまま、リビングの棚に飾ってあったカーネーションを手に取った。するとそれは優花の手の中でぼう、と淡く光った、ような気がした。
「わかった。やる! ミセス……なんだっけ!? ムカデさん!」
「『ミセス・マジョンヌ・ミルキーピンク!』だカサ!」
こくりと頷いてそのアイテムを掲げ、優花は高らかに叫んだ。
「ミセス・マジョンヌ・ミルキーピンクー!」
やだ、バカみたい、私。
途端に眩しい光に包まれたかと思うとどこからともなく優花好みの落ち着いたBGMが流れ始めた。着ていた服が光って変形し、一瞬下着姿に近くなり慌てたがすぐに新たな服が勝手にその身を包んでゆく。胸元こそ詰まっていたが腕も足も露出し、処理が行き届いていないムダ毛がとても気になる。可愛すぎる淡いピンク色のミニドレスはフリルやレースでボリュームがあり過ぎて戦闘には向かないのではないかと思えた。なによりデザインが若すぎて恥ずかしい。そう、恥ずかしいのだ。なにこのデカいリボン。そしてなぜ髪までピンク色にならなくてはならないのか理解が出来ない。可愛いの? 可愛いか? こういうのが似合う人ならよいのでしょうが!
「ミセス・マジョンヌ! ミルキーピンク!」
びし、とキメた自分が恥ずかしすぎた。
そう自覚した途端優花……いやミルキーピンクにこれまでにないほどの力が漲った。
「待ってなさい! すぐに片付けてやるわ!」
この恥ずかしい変身を一刻も早く解きたい。その一心だった。
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