第5話 ママはすごいが忙しい
ベランダに向かって走り出すと思いのほか身体が軽かった。いける。感覚でそう思った。
「ミルキーピンク、右手のカーネーションソードで戦うんだカサ!」
ムカデの声を受けて右手を確かめるとたしかに剣を握っていた。これって……。あのカーネーションにちがいなかった。コモの作品。それがまさかこんな魔法の武器になるなんて。それも精神的な意味でなく、こんな現実的に。
「まかせて!」
自分はこんなに頼もしい性格だったかしら、と頭の隅で考えながら、巨大ナマズに斬りかかっていた。
──バシュン!
切り裂いた口から光が溢れ出た。血とか内蔵のようなどろどろしたものじゃなくて本当に良かったと内心ほっとする。斬られた衝撃でナマズはまた大声で叫んで暴れはじめた。やばい。このままではマンションが破壊されてしまう! ローンは! 他への被害は!
ミルキーピンクはマンションの外壁を強く蹴って勢いをつけ、再びナマズのヌメヌメとした体に斬りかかった。
──バシュン!
光の粒が更に飛び散る。それは闇夜の中をキラキラまぶしく輝いて、やがて地面や壁につくとすうっと消えてなくなった。
一体どんな成分なのか。気になったがあまりあれこれ気にするのはやめておくことにした。
ナマズは切り口から光の粒を撒き散らすと巨体の割に手応えもなくまるで風船のようにあっさりとやられてやがてその全てが光の粒となり闇に消えた。
斬りかかった勢いで六階の自宅から地上の駐車場へ降り立っていたミルキーピンクは地面を蹴って軽々と自宅のベランダへと飛び戻った。身が軽い。最近気になっていたお腹まわりの肉がまるでなくなったみたいだ。
「ママすごい! やばい! かぁっこいいーっ!」
興奮するコモに「ベランダから乗り出しちゃダメでしょ! あぶない」といつものお説教をするとその姿は普段の優花へと戻っていった。同時にお腹まわりの肉もいつも通りに戻った。
「お見事ですカサ! ユウカ!」
足元でムカデの声がした。
「あ、まだいたんだ」
「お、おります! おりますとも。ユウカ、これからユウカはワタクシと共に地球を守るのですカサ! ミセス・マジョンヌの仲間はおそらく近くにいるカサ。その仲間を集めて、今地球を脅かしている『悪』のボスに打ち勝つんだカサ!」
「お断りします」
「えっ……」
「嫌だよ、ムリ。パートと役員で忙しいし、ほかにも家事とかいっぱいやることあるからムリです。できません」
この春の懇談会で見事役員の当たりくじを引いたところだった。その上勤め先のスーパーでは品出しだけでなくレジ打ちもそろそろ覚えてほしいとやんわり圧をかけられている。ついでに今週は町内の当番でゴミ置き場の掃除も毎日優花がしなくてはならない。
「いや、その、でも地球が」
「他にもいるんでしょ? ならその人たちにお任せします。私はできません」
「コモが危ない目に遭うかもしれないカサよ?」
「その時は全力で守るよ」
「だったら──「生身で守る」
立ち上がった優花は決意に満ちた頼もしい目をしていた。娘のコモをぎゅ、と自身のお腹に引き寄せる。
「『お母さん』っていうのはね、強いの。だからマジョンヌになんてならなくても───
優花のちょっといい話を「ええー!」というブーイングで遮ったのはその腕に抱かれたコモだった。
「ママ、マジョンヌやんないの!? うそでしょ? 有り得ない! それじゃお話つづかないじゃん!」
「つ、続かないってなに」
「マジョンヌやって。ね、やって。やってやってやってやってやって!」
「ち、ちょっと!」
「どうしてチャンスをものにしないの? 他の人はやりたくても出来ないんだよ? わたしだってやりたいんだよ? だけどママなの。選ばれたのはママなの! 選ばれたんだよ? すごいんだよ? それを断るなんて、選ばれなかった人たちに失礼だよ! そんなのわたし、絶対許さない!」
「え……ええ? ええと……」
「やって! ね、やろ? やろう! やります! ムカデさん、マジョンヌやります!」
かくしてマジョンヌ・ミルキーピンクこと
「よろしくお願いしますカサ! ユウカ」
「部屋には入らないで。じゃ」
バシン、と虚しくベランダの窓が叩き締められた。
その様子を遠くから眺める黒い影があった。
「ふ、ついに現れたか。ミセス・マジョンヌ」
キャキャキャキャ……と数羽のコウモリがその頭上を飛んだ。
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