5 聖獣……?

「──……ナ、ニナ!」


 声が、聞こえる。大切なひとの声。


「ん……うん……?」

「ニナ! 目が覚めたか! 大丈夫か?!」


 目の前に、金の瞳のオオカミ……。


「っミーティオル! だっ!」

「いだっ!」


 うおお……痛い……勢いで起きようとして、ミーティオルの鼻とごっつんこしてしまった……。


「ごめん……ミーティオル……大丈夫……?」

「いや、お前、ニナこそ……」


 おでこを押さえながら聞けば、ミーティオルは顔を横に向けて、鼻を押さえて、でも安心したように、


「泣きつかれて寝たのかと思ったら、一向に起きないから……もしかしてこのまま起きないかと……」


 ふぅ、と息を吐いて、鼻から手を離し、ミーティオルがこっちを向く。


「でも、安心した。ちゃんと起きたから」


 本当に安心した、そんな顔をされて……されて……正気でいられると思いますか?!


「目が潰れる……!」

「えっ?! なんで?!」

「ミーティオルが眩しい……」

「俺が眩しい……??」


 ……あっ! 背中の傷!


「ミーティオル! 背中、背中見せて!」


 私を抱きかかえて座っていたミーティオルの腕から抜け出すと、その背中側に回る。バツ印は──


「無い……」


 綺麗さっぱり消えていて、毛並もさらりと、首から腰まで引き攣れもなく流れていた。


「無い……なくなってるよ……良かった……」


 背中を手で触って、皮膚の引き攣れが本当に跡形も無くなってるか確かめてると、


「に、ニナ……もう、そのくらいでいい……」

「あ、ごめん」


 触りすぎるのも失礼だもんね。


「……あの、さ。ミーティオル」

「なんだ?」


 ミーティオルの前に回って、体育座りして聞く。


「あの傷……どこで……? あ、言いたくないならいいよ!」

「──あれは、仲間だと思ってた奴らにやられた」


 ミーティオルが苦笑して言う。


「里──縄張りでな、ちょっとした諍いがあったんだ。俺は中立の立場だったんだが、中立だからこそか、双方から怒りを買ったらしい」


『お前が生贄だ』

『これで丸く収まる』


「ってんで、背中にバツ印──罪人の印をつけられて、里を放り出されて、……最終的に死にかけて、お前を……すまん」


 ミーティオルが頭を下げた。


「誰だって死にたくないもん。そこは気にしてない。ベーコンと魚とカニで事なきを得たし」

「だが……」


 そろりと上げられる顔は、不安が見て取れた。


「私はミーティオルに生きててほしい。それだけ。だから、なんの心配もいらない」


 ミーティオルの首に抱きついて、言う。


「どうしていつも、俺に生きてて欲しいって言うんだ」

「好きだから」


 最初はオオカミが好きだったから。でも、今は、ミーティオルが好きだから。


「ミーティオルが好き」

「……そっか」


 ミーティオルは私を抱き上げ、膝の上に横向きに乗せた。そして、抱え込むように、背中を撫でてくれる。

 ……まあ、八歳の言葉ですし? ガチ恋だとは思われてないでしょうね、確実に。いいもん。年を追う毎にガチだって思い知らせてやるもん。

 ……あれ、そういえば。


「ミーティオルって、何歳?」

「十五」

「じゅうご?!」

「うわっ?! っんだよびっくりさせんな」

「だ、だって、もっといってると思ってたから……。あれ? でも、ライカンスロープの十五って、人間の何歳?」

「ほぼ同じ換算なはずだ」


 ガチの十五……十五引く八で七……七歳差か……あ、でも、私が二十歳になったらミーティオルは二十七か。現代日本で考えると、そんなに変でもないかも……?


「ライカンスロープって、婚約とかするの?」

「え? ああ。するぞ。互いの毛で作った装飾品を渡して、身に付ける」


 互いの……私だったら髪の毛になるのかな。


「ちなみに、ミーティオルはどんなものを身に着けたいですか?」

「どんなもの……」


 と、横の方で「ん゛ん゛ん゛……ん゛?!」という声がした。キリナが起きたっぽい。

 チッ。話してる時に。

 キリナはすぐに縛られていることに気づき、次に私たちに気づき、嫌悪と警戒の表情を向けてきた。


「……なあ、キリナ」


 ミーティオルが口を開く。


「今後一切関わらないでくれないか。お前も、カーラナンも。それを約束してくれるなら、お前に何もしないで逃がす。どうだ?」


 キリナは余計睨んできた。


「どうする?」


 ミーティオルは私に聞いてくる。


「人殺しはしたくない。けどこいつを野放しにもできない。説得する」


 と、キイィィィン! と耳障りな音がして、ブチブチッ、とキリナの手と足を縛っていた蔓が千切れた。うそっ?! 取ってきたばっかの、太い野ぶどうの蔓だよ?!

 キリナは自由になった手で、ハンカチも外して、


「貴方がたに説得なんかされたくないですねぇ!」

「ニナ、俺の後ろに」

「駄目だよミーティオル死んじゃうよ!」

「今はもう、大丈夫だ。お前が印を消してくれたからな」

「何の話か知りませんが、武器をあれ一つだと思わないことですね!」


 立ち上がったキリナの手には、また大きな拳銃。

 それをこっちに向けて、キリナは引き金をすかさず引いた。


 カチン


「?!」


 なのに。


 カチン、カチン!


「な、なぜ反応しない?!」


 どうやら不発に終わったらしい。


「……ビビらせないでよ……」


 キリナはキッ! と私を睨む。


「……またあなたですか。聖女もどきさん」

「私なんにもしてないもん」

「ならなぜ! 神のご加護が何重にも付与され、悪を滅するまで弾切れのしないこの銃が、正常に作動しないのです」

「そんなの知らない。……ミーティオル何かした?」

「いや……」


 ミーティオルは私を膝から下ろすと、何かを考えている顔で、キリナに向かってく。


「ミーティオル?!」

「大丈夫だ」

「大丈夫じゃないよ!」


 キリナが拳銃をミーティオルへ投げ飛ばす。


「ミーティオル! え?」


 拳銃が、ガキンって、弾かれた。


「っ!」


 目を見開いたキリナは、大ぶりのナイフを取り出して、素早くミーティオルと対峙する。そして、ミーティオルへ飛びかかった。


「クソッ!」「え?」


 だけど、その刃はミーティオルに到達する前に止まり、ミーティオルを傷つけない。キリナが何度斬りつけようとしても、ミーティオルにその刃は届かない。


「なあ、キリナ」

「名前を呼ばないでくれませんかね!」

「俺は今、力を使ってない。まあ、使っても、防げるもんでもないらしいが」


 その言葉に、キリナが悔しそうな顔をした。


「お前も、もう、気づいてんだろ」

「っ……!」


 キリナは顔を歪めて、ミーティオルから距離を取る。


「……なぜ」


 キリナは、あり得ないというように、


「なぜワーウルフが聖獣になっているんです?! 貴方がた、何をしたんですか!」


 そう叫んだ。……ワーウルフが、聖獣に?


「……そもそも、聖獣ってなんなの」

「あぁもういちいち面倒ですね! 聖獣というのは! 神の加護を賜り! 聖女を護る役目を天から任された生物です!」

「へー」

「それが! 異教徒であるワーウルフだなどと! あり得ない!」

「へー」

「へえじゃないんですよお嬢さん! これは一大事だ! あり得てはならないことだ!!」


 叫び終えたキリナは、肩で息をする。


「あり得ないあり得ないってうるさい。つまり、あなたが信仰する神様は、ミーティオルをあなたの……同僚? みたいなものだって決めたってことでしょ? 素直に認めたら?」


 この世界の神様が、どんな神様かは知らない。一人か複数かも知らない。でも、


「……神様。……たぶん、神様。聖女とか聖獣とか分からないけど、ミーティオルが傷つかないようにしてくれたのなら、ありがとうございます」


 そしたら、今度は私が光った。……はい?


「! ニナ!」


 ミーティオルが駆け寄ってきてくれる。


「あっ! 待ちなさい!」


 キリナは別にいらないんだけど。


「ニナ……! そんなにぽんぽん力を使うな! また倒れるかもしれない!」

「倒れる?! 聖女もどきさんは倒れたのですか?! 外傷は?! 精神は?!」

「あなたに心配されたくなぁい……」

「聖女の可能性がある子女を保護し、神殿に連れて行く。僕の仕事の一つです。嫌がってもどうしようもないんですよ」

「さっき拳銃向けてきたくせに」

「だからあれは悪にしか効果が無いので……いえ……もういいです……」


 キリナは大仰にため息を吐き、ドサリと座って、光が収まってきた私へまた顔を向けた。


「なんにしろ、親御さんに会わせてください。聖女候補になるだろうあなたを、神殿へ連れて行く話をしなければ」

「そんなとこ行きたくない」

「今より良い暮らしができますよ」

「今、幸せだもん」

「あなただけでなく、あなたの親御さんも良い暮らしができる、と言っているのです」

「だとしても、あなたについて行きたくない」

「では、別の者を派遣しましょう」


 ……。


「どうしてそこまでこだわるの? 私一人置いていったって、特に何も変わらないでしょ?」


 するとキリナは目を見開き、額に手を当て深くため息を吐き、


「これも教わってないのか……」

「なんの話」

「五百年戦争ですよ。ミーティオルとかいうあなた、あなたは流石に知っていますよね?」


 問われたミーティオルは、しゃがんだ状態のまま、


「五百年に一度、漆黒の闇が世界を包む。世界には悪が溢れ、人々は滅ぶ。ていう予言だろ」



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