4 聖女?
板は、空気に溶けるように消えてしまった。
「それはこちらが説明願いたいですね。これは世界の宗教の祖となるカーラナンの紋章の防御壁。しかもこんな大きく頑強なもの、枢機卿ですら出せるか……」
銃口を下に向けていたキリナはそう言って、また、その銃口をこちらに向ける。カチャリ、と音がした。そして人差し指が引き金にかかる。また来る!
「駄目!」
バキャアッ!
「なっ!」「は」「……え?」
銃が、空中分解した。部品はバラバラと、キリナが握ってる部分を除いて、河原に落ちて広がった。
「……あなた、聖女ですか?」
キリナが、目を眇めて私を見る。聖女?
「……知らない。そんなの、聞いたことない」
「では、この紋様も見たことがないと?」
キリナが、コートの模様の一部を触る。
「知らない。見たことない」
「……では、こちらの、紋章も知らないと?」
キリナは腰に下げているポーチみたいなものから、銀色に光る、子供の拳サイズの平たい板を取り出し、見せてきた。
その板には、あの、半透明の板に浮き出ていたものと似た模様が刻印されている。
「知らない」
「そもそも、カーラナンという言葉を知っていますか?」
「知らない。さっきからなんなの」
「確かめているのです。あなたの親御さんは?」
「今それ関係ある?」
「大いに。聖女の話どころか、カーラナンを知らない子供。あなたは隠され育てられていた可能性がある。もしそれが本当なら……」
「なら?」
「僕はあなたを神殿に連れて行かなければなりません。そして、そのワーウルフを処分する」
「だから駄目!」
「あぐっ?!」
「えっ?」
キリナが頭を押さえて顔をしかめて、ふらついたかと思うと倒れた。……倒れた?!
「えっ、ええ?! ちょ、急になんなの?! なんなんですか?! 持病ですか?!」
思わずキリナに駆け寄って、脈と呼吸を確認する。うん、これは正常。でもどうしよう。
「……ミーティオル、どうしよう」
ミーティオルを見れば、何か考えている顔で。
「……ニナ。そいつが倒れたのは、たぶん、……お前の力によるものだ。ただ気絶しただけだろうと思う」
「気絶……なら良かっ……良くないよ?! 私こうなって欲しいなんて思ってないよ?! てか、力とか、この人も聖女とか、なに?!」
「……まず、念のためこいつを縛ろう。いいか?」
「分かった」
「潔いな」
「またミーティオルが殺されそうになるの、やだもん」
「……そうか」
そして、野ぶどうの蔓でキリナの手を後ろ手に縛って、足も縛る。口にも念のため、ハンカチを咬ませる。
そこまでしたら、ミーティオルが話をし始めた。
「カーラナンってのはな、こいつが言ってた通り、世界中で信仰されてる宗教だ。そんで、カーラナンは、異教徒に厳しい」
座り込んだミーティオルが、キリナへ目を向けながら言う。
「異教徒……ミーティオルは、異教徒なの?」
私はその隣に座る。
「ライカンスロープ……ワーウルフだからな。カーラナンの教皇は、人間と妖精と精霊、そして聖獣以外の、意思疎通が出来る全ての生き物を異教徒と見なす。ライカンスロープも然りだ。……ああ、ライカンスロープってのは、」
「オオカミ男のこと……?」
「なんだ、知ってたのか。そうだよ。俺は、人間の昔の言い方で『オオカミ男』。魔獣って呼ばれて、人間からは忌み嫌われてる」
「なんで嫌われてるの……?」
「さあ、分からん。大昔に人間と戦争した記録もあるが、それはライカンスロープに限らない。他の魔獣も、人間同士だって争ってる。……争いなんて、憎しみと悲しみしか生まないのに」
ミーティオルが何か、感情を抑えた声で言った。
「……聖女は?」
「カーラナンの聖女のことだろうな。神から分け与えられた力を使い、世界に幸福をもたらすとかなんとか。俺は、カーラナンについてそんなに詳しくないからな。それくらいしか知らん」
「ライカンスロープは、カーラナンを信仰してないの?」
「元を辿れば同じものに行き着くと思う。けど、ライカンスロープは『ユラカマオ』っていう神の国に住む、ライカンスロープの神『ロープスォモ』って神を崇めてる。……なあ、ニナ」
「なに?」
「ちょっと試したいことがあるんだけど、良いか」
「試したいこと?」
「俺の背中のバツ印みたいな傷、気づいてたか?」
「うん、痛そうだなぁって」
「あの傷、聖女の力で治せないか」
………聖女の力で?
「えっ、分かんないよ! 私が聖女かも分かんないんだし……」
「試しでいい。やってみてくれないか。……頼む」
真剣な顔を向けられて、私は、それに応えたいと思ってしまった。
「……や、やって、みる……出来なかったらごめんなさい……」
「ありがとう。駄目でもニナのせいじゃない。気にしなくていい」
そう言って、ミーティオルは服を脱いで……脱いで?! あ、そっか、背中の傷だもんね?! じょ、上半身だしセーフだよね?! あああ体毛に覆われていても分かる腹筋! 胸筋! いや、毛が覆っているからこそのエロさ!
「ニナ。やってみてくれ。……ニナ?」
「う、は、はい……」
ミーティオルが背中を向けて座る。背中も逞しいんだよなぁ! お腹側の毛はグレーが多くて、背中側の毛は黒が多い……。……じっくり堪能したい……でも傷治さなきゃ……。
よく分からないなりに、体毛が剥げてしまって傷口がグチャ、て引き攣るように塞がっているそこに手を当てる。
……神様。力を貸してください。私がこの傷を癒せるなら、ミーティオルの背中を元に戻せるなら、
「傷を、綺麗さっぱり無くして! ぅわあっ?!」
パアアッ! て背中が光った?! 光ってるよ?! 大丈夫これ?!
「み、ミーティオル?! 大丈夫?! これ大丈夫?!」
「……痛みが……引いていってる……」
「え?」
「この傷、呪いが刻まれてて、ずっと神経が削られるみたいに痛みが走ってたんだ。……それが、無くなってく……」
「呪い?!」
そういうのは先に言ってね?!
「呪いも消えて! ミーティオルに付いてる悪いものは全部消えて!」
ひ、光が強くなったぁ!
「体の痺れが消えてく……」
痺れてたんだ?! 言ってよ?!
「ニナ……お前、すごいな」
「そんなこと言ってる場合じゃない! 体がそんな大変なことになってたなら言ってよ! 今まで知らずに、そんな、の、知らないで……! いたなんて……!」
「に、ニナ?!」
「ミーティオルのバカぁ……!」
涙がぼろぼろ出てくるよお! 止まんないよお!
「わ、悪い。言うもんじゃないと思ってたから……」
ミーティオルが振り向いて頭を撫でてくれる。撫でてくれるたびに、もっと泣けてくる。
「うううう!」
私は衝動的にミーティオルに抱きついて、わんわん泣いた。ミーティオルはそんな私を、そっと抱きしめてくれた。
神様、神様。
ミーティオルがもう苦しまないようにしてください。もう二度とこんなこと起こらないようにしてください。これが、この願いが私の聖女の力で叶うなら、聖女の力を使い切ってもいいから、叶えて────!
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