3 ライカンスロープ

 次の日。もしかしたらいないかも知れない、そう思いながら、私はあの藪の前に来た。


「……オオカミさん……?」


 小声で呼びかける。


「オオカミさん、いる……? いない……?」


 呼びかけても反応なし。今、昨日会ったのと同じくらいの時間なのに。


「……」


 周りに足跡がないか、地面を観察しながら藪の周りを回ろうとして。


「ハァ……いるよ……」

「!」


 オオカミさんがまた、藪を割りながら出てきてくれた。なんだか疲れた顔をしてる。


「オオカミさん、お疲れ?」

「……誰かさんのせいでな」

「私ね、今日はオオカミさんに会うために来たの。それとお礼も言いに来たの」

「お礼?」

「お魚の仕掛け、元に戻しておいてくれたんでしょう? またかかってたの。オオカミさんのおかげ。しかも今度は四匹! 昨日、お父さんとお母さんと一緒に三匹食べちゃったけどね。一匹残して持ってきたの。だから、また、食べて?」


 そう言ったら、オオカミさんはため息を吐いた。


「お嬢さん。それは俺にとっては有り難い話だが、アンタばかりが苦労してる。……もう、俺には関わらないほうがいい」


 オオカミさんは、赤いずきんの上から私の頭を撫でると、


「アンタは、見ず知らずの俺にこれだけ世話を焼いてくれる子だ。世間の危険性についてはもっと知ってほしいが、そのまままっすぐ育ってくれ。……俺はこの山を下りる。さよならだ」


 そう言って、笑った。何か覚悟を決めた笑顔だった。

 ……さよなら?


「さ、さよなら嫌! やだ! 行かないで!」


 オオカミさんの足にすがって、腕を回して抱きしめて、ギュッと力を込めた。顔もグリグリ押し付ける。


「ちょ、」

「行っちゃやだ……行くなら一緒に行く……」

「何言ってんだよ」

「行く……」


 そのままずっと足を掴んでいたら、ぽん、と頭に手を乗せられた。


「あのな、お嬢さん」

「ニナ」

「ニナ?」

「私の名前。私、ニナって言うの。ニナって呼んで」


 上から、息を吐く音が聞こえて。


「……ニナ。俺みたいなヤツなんかに、名前を教えちゃいけない」

「オオカミさんだから教えたの。オオカミさんに呼んでほしかったの。他の人にはこんなこと言わないもん」

「……お前なぁ……」

「……オオカミさんの、お名前、は?」

「……」

「言えない? 言っちゃだめなの? 私、誰にも言わないって約束する。……ダメ?」

「……。……ミーティオル。秘密にしろとかは、ないから」

「ミーティオル、さん」

「さん付けなんかいらねぇよ。アンタは命の恩人だ。……足、離してくれないか」

「やだ。行っちゃう」

「行かないから」

「……本当?」

「本当」

「……」


 そろ、と腕に込めてた力を緩める。……オオカミさん──ミーティオル、動かない。

 そのままズボンの前側を掴んで顔を上げたら、ミーティオルは困った顔してた。


「どうしたもんか……」

「私、ミーティオルに健康になってもらいたいの」

「は?」

「ミーティオル、ガリガリ。健康体になってほしいの。このままじゃ、死んじゃう」

「……ニナ。俺がここまでになったのはな。ちょっと込み入った理由があるんだ。それに順応するか抗うかしない限り、俺はガリガリのままなんだ」

「込み入った理由って?」

「……言えない」


 ミーティオルが首を振る。


「順応と、抗うって?」

「……狩りが出来るようになるか、そうしなくても済んでた頃と同じになるか、だ」


 なら。


「一緒に狩りしよ? お魚とかウサギとか取ろ? 一緒に生きようよ」

「お前にばかり負担がかかる」

「じゃあ、私のお手伝いもして」

「手伝い?」

「山菜とか、木の実とか、果物とか。山で探して採るの、手伝って」

「重みが違いすぎる。それにな、そもそも俺は……オオカミで──」

「悪いオオカミじゃないもん! ミーティオル良いオオカミだもん!」


 私はまた、足にしがみついた。


「……分かったよ。ただ、手伝いをしてる俺を見てて、ニナの気が変わったら、即さよならだ。良いな?」

「気持ち変わらないもん。ずっと一緒だもん」

「分かった分かった」


 また、頭、ぽんってされた。


 ◇


 それから、ミーティオルとの二人だけの時間が出来た。ミーティオルは、私から魚を捕る仕掛けの作り方と、私がやっと覚えたウサギの罠の仕掛けを教わって、季節が春だからか、魚もウサギも、結構捕れた。

 私も、ミーティオルの鼻を頼りにして、野草に薬草、果物なんかを、いっぱい採ることが出来た。


 そしてガリガリだったミーティオルは、少しずつ体に肉がついて、健康な……なんていうか……健康体なんだけど……。なんか、こう、色気が……黒とグレーの混じった毛並みもツヤツヤして、金の瞳には生気が宿って……。それで、ミーティオル、体格が良いから、……か、カッコよくて……!

 ああああああ! 私の中のケモノ愛が、獣人愛がうずく! あのもふもふと筋肉を堪能したい! けどそんなこと言ったらミーティオルに嫌われちゃう! あああ! どうすれば!


 あ、おばあちゃんは完全に良くなりました。今では一人でパイを一皿いけます。良かった良かった。


「……ニナ」

「なに?」


 ミーティオルと一緒に、川辺で焼き魚を作ってたら、


「最近のお前、時々俺を物欲しそうな目で見てくるよな。何かあったのか?」


 いやあ! バレてる!


「……何か……あったかなぁ……? 私、そんな、物欲しそうな? 目で見てた?」


 すっとぼけてみる。


「なんか堪えてんだろ。言ってみろ」

「……」


 言ったら、嫌われる……。


「なんでそんな顔ひん曲げんだ。ほら」

「わっ!」


 隣り合って座ってた私は、ミーティオルに持ち上げられて、ぽす、とその膝の上に。

 ……ひ、膝の上に……?!


「なに固まってんだ」


 その上、ミーティオルが上から覗き込むみたいにしてくるから、その、接触面積が……!


「どうしたんだって」


 いにゃあ! ほっぺつままないで! 鋭い爪がある指なのに、器用に傷つけないようにつままないで……その気遣いが沁みる……! それにやっぱ恥ずかしい……!


「……ニナ」


 上から、柔らかい声が降ってくる。

 ほっぺから手を離してくれたミーティオルは、私の頭の上に手を置いた。


「……俺な、ずっと言えなかったことがあるんだ。まあ、お前はとっくに気付いてるんだろうけど。……今更だけどさ、それ、言わせてくんねぇかな」

「な、なにを……」

「俺、ただのオオカミじゃなくて、ライカンスロープなんだ」


 ライカンスロープ?


「なぁにそれ?」


 上を向いて聞いたら、ミーティオルは驚いた顔を私に向けた。


「知らないのか」

「知らない。ライカンスロープってなに?」

「ワーウルフ。人狼のことですよ、お嬢さん」


 川下から、知らない人の声でそう言われた。


「え?」「っ!」


 そっちへ顔を向ければ、……なんだ?

 高そうな、そんでなんか模様が刺繍? されてる、濃い色のコート。同じような色の、つばの広い帽子。革のブーツに革の手袋。

 そして、長くて大きな銃を持った、そんな格好の青年が一人。

 ……銃? え、この人、まさか猟師? オオカミを殺す猟師?!


「ダメ! 殺さないで!」


 私はミーティオルに抱きついて、猟師を睨む。


「お嬢さん。あなたは騙されているんです。僕はカーラナン教会の神父であり、ワーウルフを専門に退治するキリナと言います」

「……特別な匂い消しってのは本当の話なんだな。それに、足音も気配もしなかった」


 ミーティオルが静かに言う。


「ええ、貴方がた畜生は鼻や耳が利きますからね。そういう工夫や鍛錬をしなければ、被害が拡大する一方なんですよ。そちらのお嬢さんのように」

「私騙されてない! 一緒に居たいから一緒に居ただけ! このひとは悪いことしてない! 殺さないで!」

「ニナ」

「ほう。その獣を人と呼びますか。……お嬢さんの気持ちは汲んで差し上げたいですが、こちらも仕事ですので。さあ、ワーウルフ。いえ、ライカンスロープと呼んで差し上げましょうか? まあ、どちらでも良いですが。そのお嬢さんを離してください。でないと、お嬢さんは巻き添えを食いますよ」


 私は腕に力を込めた。のに、ミーティオルはその腕を、いとも簡単に、そして優しく、自分の首から外す。


「だっ、駄目! やだ!」

「ニナ」


 ミーティオルは、私に微笑んで。


「お前に死んでほしくない」


 ミーティオルは私を持ち上げて立ち上がると、私を、座っていた石の上に座らせて、キリナという人のほうへ歩いてく。


「随分大人しいですね。こちらはやりやすくて有り難いですが」

「こういうヤツもいるだけさ」

「そうですか。では、遠慮なく」


 キリナが銃──猟銃を、その照準を、ミーティオルの額に定めたのが、分かった。そしたら猟銃が、ガシャガシャガシャガシャ! と音を立てて、


「?!」


 一瞬にして、大砲のような大きな武器になる。ああ、あれじゃあ、ミーティオルは木っ端微塵だ。

 駄目だ、嫌だ、ミーティオルが死ぬなんてやだ……!

 私は駆け出した。ミーティオルたちに向かって。

 神様、神様! 私はどうなってもいい。死んでもいい。ミーティオルを助けて!


「ミーティオル!!」

「っ! 来るな!」

「仕方がありません」


 ドウッ! バキャッ!


「……え?」


 キリナの声の意味するところを、考える暇もなく。

 私はミーティオルに抱きついて、引っ張って、ミーティオルが倒れ込むように座ったから、尻餅をついた。


「は……?」

「ミーティオル! 怪我は?! 血は?! どこ痛い?!」


 ミーティオルの前側に回り、顔や胸や腕や耳を触る。……怪我、してなさそう……? どこも血が出てない……。


「ミーティオル……怪我してない……? 大丈夫……?」

「……ニナ……お前……」


 呆然と前を向いていたミーティオルが、私に顔を向ける。


「……あれ……お前がやったのか……?」

「あれ……?」

「あの、聖紋の、防御壁……」


 ミーティオルが指を差す。そっちを向けば、


「……へ……?」


 直径二メートルくらいの大きさの、白っぽい半透明の板が空中に浮かんでた。

 その板はキラキラ輝いてて、中心から縁まで広がるように、不思議な模様が浮き出ている。そして、その下には、大小沢山の銃弾。


「な、なに……? これ……」



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