2 オオカミとの初邂逅

 あれから一週間。食べ物を変えただけでもおばあちゃんの体調は劇的に良くなった。そろそろ、私のお見舞いも終わりが近づいている。

 私もまた、今後のためを考え、色々と準備を始めた。

 そして、最近視線を感じる。私を見てる──狙ってる誰かの目。たぶん、オオカミ。

 それに足跡。オオカミの足跡を見るようになった。視線、足跡。八歳の私でも気づくそれ。

 要するに、このオオカミさん、狩りに慣れてない。それにオオカミって、普通、グループで行動するし。けど、赤ずきんのオオカミは一匹だし、だから直接襲うんじゃなくて、騙すっていうやり方をしたんだ。けど、私は騙されない。

 最近の私のお見舞いのかごには、おばあちゃんのポトフ用のベーコンの塊が入ってる。オオカミさんが出てきたら、まず、このベーコンを食べてもらって、話の通じるオオカミさんかどうか判断──


 ガサリ


 横の藪が割られ、人の体型をして、人と同じような服を着たオオカミが、要するにオオカミ男姿のオオカミが、私の前に出てきた。

 え、来た。来ちゃった。今日だと思ってなかった!


「……お嬢さん。どこへ行くのかな?」

「……え?」


 そのオオカミの声は、震えていた。


 ◇


『人間と関わってはいけないよ。手を出すのも、手助けも、してはいけない。何をされるか、どんな報復が待ってるか分からないからね。殺されるよりも恐ろしいことが待ってるかも知れない』


 『オオカミ』は今、禁忌に触れようとしている。里で、縄張りで散々言われたそれ。


 人間には手を出すな。


 だが、もう空腹で限界だった『オオカミ』は、その禁忌に手を染める以外、考えられなくなっていた。


 ◇


 声、なんで震えてるんだろう。目も、獲物を見据えた目じゃなくて、なにかに怯えてる目に見える。

 てか、こっちに生まれて初めてオオカミ見たけど、二足歩行するんだ? 獣人タイプなんだ? 最っ高すね。あなたがガリガリでなければ、好みどストライクなんですが。

 ……ガリガリ? 何日も食べてない?


「……オオカミさん」

「っ!」


 私の声にオオカミさんの肩が跳ねて、尻尾がビーン! って立った。


「オオカミさん、お腹空いてる? ベーコン、食べる?」


 私は手提げかごからベーコンの塊を取り出す。すると、オオカミさんの目がベーコンに釘付けになった。


「オオカミさん、このベーコンあげるから、私は食べないでほしいの」

「……え」

「どうぞ」


 私はペーパーナプキンを地面に敷いて、そこにベーコンを置いて、オオカミさんと距離を取る。


「……く、食って……いいの、か……?」


 オオカミさんはベーコンを指差す。


「うん。どうぞ」

「っ、…………っ!」


 オオカミさんは一瞬迷う素振りを見せたけど、それを振り切ってベーコンを掴んで、そのままむしゃむしゃと、瞬く間に食べきってしまった。


「っハァ……ハァ……」


 オオカミさんはその場に座り込んで、口元と手をべろりと舐めると、


「……何が、望みだ」


 のぞみ。


「人を食べないでほしいです。あと、死なないでほしいです」

「……は?」


 オオカミさんは耳をピンと立てて、力のこもってない声を出したあと、


「……食わないで欲しいのは分かる。死なないでってなんだ」

「えっとですね、たぶん、そろそろ、猟師さんがこの山に来ると思うんです。猟師さんに見つかったら、あなたは殺されちゃう。それがやだから、死なないでってことです」

「それ、アンタになんの益……良いことがあるんだい、お嬢さん」

「あなたが生きててくれるから」


 そしたら、オオカミさんは耳をくるくる回して、目をまんまるにした。


「……俺とお嬢さんは初対面だよな」

「うん。オオカミさんを見るの、生まれて初めて」

「……危険性を知らない……」

「知ってるよ? 牙も爪も鋭いことも、暗い所でもモノが見えることも、五感がいいことも、早く走れることも、知ってるよ。肉食なのも知ってるよ」


 だからベーコン出したの。って言ったら、


「……それは……」


 オオカミさんが、なんか言い淀んだ。


「? なにか間違えてる?」

「……いや、何でもない。それにな、お嬢さん。食い物ってのは定期的に食わないといけない。そして俺は……狩りが下手だ。自分で定期的に食料を得られない。……この意味、分かるか?」


 ここまで懇切丁寧に教えてくれるオオカミさん。……良いオオカミだって、思っていいかな? 良いよね? このガリガリさんを放っておけないよ。


「なら、罠、仕掛けよう」

「は?」


 私の言葉に、オオカミさんはまた目を丸くする。


「ウサギとかシカとか捕まえる罠は、私はまだ作れないけど。お魚を捕まえるかごを設置するだけなら私にも出来る」


 ここ一週間、念のためにと教わっておいて良かった。まだまだ半人前……四分の一人前くらいだけど。


「私にも出来るなら、オオカミさんにも出来る」

「……本気?」

「本気だよ。ちょうど今朝、初めて作ったかごを川に仕掛けてきたの。あの中にお魚が居れば、それは私の分。私が食べても逃しても良い分。オオカミさんにあげられる。ついてきて」


 来た道を少し戻って、振り返ると、オオカミさんは私へ顔を向けて、座り込んだままだった。


「お願い。早く終わらせないといけないの。来て」


 私はてこてこ戻ると、その鋭い爪が生えた左の手、前足? を握る。わあ、やっぱりガリガリ。


「なっ?!」


 オオカミさんが驚いた声を上げた。

 けど、そのまま引っ張る。


「う、ぐぐ……」


 ガリガリなのに、やっぱり大きいからオオカミさん重い……。動かせない……。


「動いて……立って……歩いて……!」

「……分かったよ。手、離せ」


 オオカミさんは、ため息をついて言った。


「……」


 手を離すと、オオカミさんの周りを風がシュルン、と渦巻いて、オオカミさんは普通のオオカミ姿に。いつの間にか服も消えてる。

 オオカミさんの背中には、大きくバツ印みたいな傷があった。


「へんしん……」

「……そんなもんだ。で、川へ行けばいいのか」

「うん」


 私は頷いて、オオカミさんと並んで、川まで歩く。着いたら私は、


「ちょっと待っててね」


 かごを置いて、靴と靴下を脱いで、


「いい。どこに仕掛けた? 俺が取る」


 オオカミさんはまた、いつの間にかオオカミ男姿になってて、そう言った。


「そう? それなら、あの藪がかかって、影になってる所と、もう少し行った先の、あのイチジクの木の下の所にあるの」


 私が靴下を履き直している間に、オオカミさんはザブザブと川に入っていって、仕掛けのかごを二つ取って戻って来た。


「……中、いる?」


 恐る恐る聞いてみる。


「少なくとも、藪の方には何か入ってる」

「やった!」


 靴までちゃんと履き直した私は、


「中、早く、確認!」

「……」


 オオカミさんが仕掛けから中の物を出してくれた。そしたら、なんと。


「お魚!」


 藪の仕掛けには中くらいのお魚が二匹! 木の下のには、カニが一匹。


「オオカミさん! 食べて! あ、焼く? なら時間かかっちゃうから、」

「……本当に、食っていいのか」


 オオカミさんの耳が垂れて、顔もしょぼんとしてる。なぜ。


「……あっ! お魚嫌い? だったらごめんなさい。今日はベーコンだけで我慢して──」

「嫌いじゃない。魚も食う。……どうして俺に、ここまでしてくれる?」

「死んでほしくないから」

「……返せるものがない。割りに合わん」


 おおお、礼儀正しいオオカミさんだなぁ。


「私が勝手にやってるだけ。オオカミさんが気にすることないの。私がやりたくてやってるの」

「……分かった。なら、貰う。いつか借りは返す」


 オオカミさんはそう言うと、お魚二匹を丸呑みして、カニもバリバリ食べちゃった。


「じゃあ、一日一回、生存確認させて」

「あ?」

「オオカミさんが生きてるか教えて。死んでないって安心させて」

「はあ?」


 オオカミさんは、大きく首を傾げた。


「──あ!」


 そこで私は、おばあちゃんのことを思い出す。


「私、早く行かなくちゃ! オオカミさん、またね! あ、また明日、今日会った所でね!」


 私は手提げかごを持つと、「バイバイ!」とオオカミさんに手を振って、おばあちゃんの家へ向かった。


「……なんなんだ……あのガキ……」



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