第94話 無未ちゃんの勘違い
「雪華待って。家まで送るよ」
背後から雪華を抱き上げて俺は実家へ向かう。
「大丈夫だと言っておるのに……」
「具合の悪い子をひとりで帰すわけにはいかないだろ」
帰る途中で倒れたりしたら大変だ。
放って置くなど不安でできなかった。
「わしは人間ではない。生物兵器じゃ。そこらへんにいる普通の子供と同じように考えて心配する必要は無い」
「だけど……やっぱり心配だからさ」
雪華が人工的に作られた生物兵器という存在で、普通の子供でないことはわかっている。この子の言う通り、俺が心配する必要も無いのだと思うのだが……。
「わしが末松冬華の記憶を持っておるから、情を持ってしまったか?」
「そういうわけじゃ……」
しかし雪華の言葉も否定しきれない。
母さんは俺が小学生の時に自宅で倒れ、病院に運ばれてすぐに亡くなった。母さんの記憶を持つ雪華と、存在を重ねているのかもしれない。
「前にも言ったがの、わしは末松冬華の記憶を持っているだけの生物兵器じゃ。お前の母ではない。情を持つなど愚かしいことじゃぞ」
「……うん」
そんなことはわかっている。
そもそもこの世界の母と、自分の知っている母はだいぶ違うだろう。だけどそれでも母には違いなく、その母の記憶を持つ雪華に情が湧いてしまうのはしかたないことだと思う。
「……小太郎、すまなかったのう」
「えっ? すまなかったって……?」
なにか言おうと口を開く雪華。
しかし声は発せられることなく、口はそのまま閉じられた。
やがて実家が見えてくる。と、そこへ高級な車が走って来て側へ止まる。
なにかと思って俺は車のほうを向く。
「小太郎おにいちゃん?」
「えっ?」
後部座席の窓が開いて顔を出したのは無未ちゃんだった。
「あ、無未ちゃん」
ここにいるということはきっと実家に来たのだろう。
そう思った。
「そ、その子……」
「ああ」
無未ちゃんは震える手を上げて雪華を指差す。
「この子は……」
「うわーんっ!!!」
答えようとする俺の前で、無未ちゃんは頭を抱えて叫ぶ。
「ま、まさかそんな……そんな……」
「えっ? ど、どうしたの?」
なにか変なことでも言っただろうか?
激しく動揺した様子の無未ちゃんを見て、俺は困惑した。
「ああ……まさか……まさか小太郎おにいちゃんに……うう」
「お、俺に? なに?」
「子供がいたなんて……」
「えっ?」
無未ちゃんの言葉を聞いて俺は雪華と目を合わす。
「でもそうだよね。小太郎おにいちゃんはもう33歳だし。子供のひとりくらいいたっておかしくないよね。でも大丈夫。誰を愛してもどんなに汚れても最後にわたしの横にいてくれたらそれでいいんだからねっ」
どこかの世紀末覇者が言ってそうなセリフである。
「ち、違うよ無未ちゃん、この子は雪華。前に話した子だよ」
「えっ? あ……」
きょとんと雪華を見つめた無未ちゃんは、やがてポンと手を叩く。
「あ、なーんだ。そうだったんだ。そうだよね。童貞の小太郎おにいちゃんに子供がいるわけないもんね。うっかりだ」
あははと嬉しそうに笑う無未ちゃん。
誤解が解けてよかった。童貞でよかった。……いやよくはない。
「なんじゃ小太郎? いい歳をしてまだ童貞なのかの。しょうの無い男じゃ」
「余計なお世話だよ」
容易く女性を抱くふしだらな男とは違うだけ。
立派なことじゃないかと、心で泣いた。
「ず、ずいぶんませたこと言う子だね」
「まあ……」
中身は大人だし。
「小太郎、この娘は誰じゃ? お前の恋人かの?」
「い、いやそういうわけじゃ……」
無未ちゃんが生まれたとき、すでに母さんは死んでいた。
お隣さんでも、記憶に無いのは当然か。
「よくわかったね。そうだよ。わたしは小太郎おにいちゃんの恋人」
「ち、違うでしょ無未ちゃん」
「違くないもん。将来は結婚をするんだし、今が恋人同士で間違いないでしょ?」
「いや、結婚の約束もしてないし……」
「こんな美女と結婚できるならしたほうがいいじゃろう。なにが不満なんじゃ?」
「不満なんてそんな。無未ちゃんは素晴らしい女性だよ。けど……」
「小太郎おにいちゃんはね、危険なサキュバスに憑りつかれてるの。だからわたしとの結婚を決断してくれないんだよ」
「サ、サキュバスって……」
無未ちゃんの言うサキュバスとはアカネちゃんのことだろう。
確かにあの子は性的に猛獣なところはあるが、それは無未ちゃんも大概であろうと俺は思った。
「なるほど。他にも気になる女がいるということか」
サキュバスと聞いてなにを思ったのか、雪華は無未ちゃんの言葉を察して正しく理解をしていた。
「これほどの女とくらべるくらいじゃ。その女もさぞ良い女なのじゃろうな」
「くらべるなんて、俺なんかがそんな……」
2人とも俺にはもったいなさ過ぎるほどに最高の女性だ。
その2人を俺なんかがくらべるなどおこがましくて申し訳なくなる。
「くらべてないよ。小太郎おにいちゃんが好きなのはわたしだけだもんね。ちょっとサキュバスに惑わされてるだけなんだから」
「これほどの美人にここまで深く想われるとは、なかなか隅に置けん男じゃ」
と、雪華は俺の肩をポンポン叩く。
「そ、それよりも無未ちゃん、ここにいるってことは実家に用があるの?」
「うん。お父さんお母さんと一緒に食事へ行こうと思って。あ、小太郎おにいちゃんも一緒に行く? 2人に結婚のあいさつとかしてほしいし」
「いやその……お、俺はこの子を実家に送るからっ。それじゃっ」
「あ、小太郎おにいちゃんっ」
逃げるようにその場を離れた俺は、実家の門前へと歩く。
「あの娘、もしかして鹿田さんところの子かの?」
「あ、うん」
「なるほどの。あの様子からして、子供のころから小太郎と仲が良かったのじゃろうな」
「まあね」
「……」
なにを思ったのか、雪華は寂しそうな表情で俯く。
「わしの頭にある末松冬華の記憶がの、ひどく寂しがっておるんじゃ。自分が知らない小太郎の子供時代を知っての」
「母さんの記憶が……」
母さんが死んだのは俺が7つのときだった。
子供時代の大半は、母さんと過ごしてはいない。
「母さん……」
雪華の頭をポンと撫でる。
やはりこの子の中には母さんがいるんだ。
俺の母さんが……。
インターホンで門を開けてもらい中へと入る。
そして雪華を抱いて玄関まで歩くと、そこには誰かが立っていた。
「あ……れは」
そこにいたのは末松上一郎。
俺の父であった。
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