第93話 雪華が語るスキルサークレットの秘密

 ある日の平日。

 午後休を取った俺は会社から出たその足で、実家近くの駅前にある喫茶店へ赴く。


 店内に客はひとりだけ。

 奥の窓際席で文庫本を片手にコーヒーを飲む、小さな女の子だけだった。


「雪華」

「うん? なんじゃ小太郎か」


 こちらを見上げた雪華の前に俺は座る。


「どうしたのじゃ? またチョコレートパフェを食べたくなったのかの?」

「いや、そういうわけじゃ……」


 そう言いつつ、俺は店員にチョコレートパフェを頼む。


「雪華、その……」

「人間が異形種になるという話かの?」

「あ、ああ。よくわかったな?」

「なんとなくの」


 お前の言いたいことなどお見通し。

 文庫本に目を落としつつ、雪華はそんな様子で答えた。


「なら話が早い。人間が異形種になるって現象について……」

「人間は異形種になるぞ」

「え……」


 無表情に文庫本を読みながら言った雪華の言葉に、俺は絶句する。


「わしの頭には研究者であった末松冬華の記憶がある。わしに聞けばなにかわかると思って来たのじゃろう。今言ったのが答えじゃ」

「し、知っていたのか? 人間が異形種になるって現象について?」

「うむ。そんな事実は大昔から知られておる。ただ、知らぬ人間が大半というだけのことじゃ」

「な、なんでそんな……」


 こんな重大事実を多くの人間が知らない。

 その理由には疑問があった。


「ダンジョンは大昔から一大産業じゃ。探索者の装備品、ダンジョンの魔物から獲れる素材を材料にしたあらゆる製品。これらの販売は世界経済に大きな影響を与えておる。もしもダンジョンで人が魔物になるなどという事実が世間に広く知られたらどうなる? ダンジョンへ行くのを忌避する者が増え、装備品の売れ行きは減少して、素材の流通も減ってしまう。それを国も経済界も望んでおらんのじゃ。大昔からの」

「だ、だからそういう事実を消そうとしてくるってことなのか……」


 アカツキの動画に湧いた大勢の否定コメント。

 ネットの炎上。

 メディアのアカツキ叩き。


 雪華の言う通りならばすべてに合点がいく。

 恐らく、国や経済界がメディアを使って事実をもみ消そうとしているのだと思う。


「けど、そんな重大な事実を隠すなんて許されないことだ。今まで真実を知った誰かが告発とかしようとはしなかったのか?」

「昨今、VTubeアカツキの動画が話題になっていることを知っておるならば、説明の必要はあるまい」

「異形種が大昔から存在しているのなら、人が異形種になる瞬間を撮影した映像がたくさんあるんじゃないか? そんなものがあったら隠し切れないと思うけど」

「異形種の大抵は深層で生まれる。つまりは深層へ至れる実力を持った数少ない上級探索者が異形種になっておるわけじゃ。彼らが異形種化する瞬間を捉えた映像などは滅多に無いし、あってもフェイク動画として真実はもみ消されるだけじゃ。昨今は上の階層で弱い異形種が多く出現するようになった影響でそういった動画が増えたり、目撃する者も増えたが、すべてフェイク動画、デマとして国やメディアが片付けている。アカツキの動画がそうであったようにの」

「う、ううん……」


 大昔から今まで、こうして真実を潰してきたということか。


「雪華は……人間が異形種になってしまう原因を知っているのか?」

「……知らん」


 眠そうに鼻の頭を掴みながら雪華は答えた。


「ダンジョンにはスキルサークレットの欠片が多く落ちていた。もしかしてだけど、人間が異形種になるのは魔粒子が原因で、父さんと兄さんはそれを知っているんじゃないか?」


 これは可能性だ。根拠は無い。

 しかし異形種になってしまったと思われるあのチンピラ男もスキルサークレットを装備していた。可能性を疑ってしまうのもしかたない。


「……」

「雪華、君は以前に、父さんと兄さんが世間に言えないようなことをしていると言っていたね? これがその答えなんじゃ……」


 パン。


 俺の言葉を遮って、文庫本を閉じる音が響く。

 それから雪華は人差し指をクイクイと手前に引き、俺が顔を近づけると小さな声で話を始めた。


「……前に小太郎と会ったあと、わしは魔粒子が疑わしいと考えて調べた。その答えはお前が考えている通りじゃ。魔粒子を取り込み過ぎると、人は異形種に変化する。スキルを発現できるのも間違いではないが、それは例外中の例外。大抵の者は魔粒子を取り込み過ぎて異形種になってしまう」

「そ、それを父さんと兄さんは……」

「恐らく知っておるじゃろう。だからスキルサークレットを開発して流通させた。わしに異形種を取り込ませて最強の魔物ハンターにするためにの」

「……そうか」


 俺は雪華から離れて俯く。


 弱い異形種が増えている原因。

 それはスキルサークレットを装備して下級の探索者が異形種になったのだと考えれば納得がいく。異形種とは大抵が深層からやってくるものだ。深層に至れるような上級探索者が魔粒子を取り込み過ぎてしまった姿が、今までの異形種というものだったのだろう。だからこれまで異形種は強くて当然であったのだ。


 魔粒子が異形種化の原因と疑い始めてからその可能性はずっと考えていたが、雪華の話を聞いて確信へと至ってしまった。


「さて、これを聞いてお前はどうするのじゃ? 悪行をしているかもしれない父と兄を止めるために行動をするかの?」

「……」


 俺は正義の味方じゃない。ただの会社員だ。自分や自分の大切な人が危険ならばいくらでも行動をするし、自分のせいで不利益を被った人がいるならばその責任は取る。しかし自分になんの関わりもないことで大勢のために動く気は無い。

 アカネちゃんにはこのことを話して、スキルサークレットには手を出さないでもらう。そして魔物から放出される魔粒子には近づかせなければいい。すでにスキルを発現している無未ちゃんは大丈夫だと思うが、彼女にも気を付けてもらう。もちろん自分も気を付ける。それだけだ。


「俺は父さんと兄さんを止めるためになにかをする気は無いよ。2人は俺の説得なんて聞かないだろうし、だからと言って真実を明るみにして家族を社会的に抹殺するなんてこともできない」


 捜査機関が働いて彼らが捕まるのはしかたのないことだと思う。

 しかし自分の手で2人を糾弾するのには抵抗がある。


 だから2人を止めるためになにかしようとは思わない。けど、


「けど、君のことは止めたいと思っている」


 この子は父さんと兄さんに利用されているだけだ。そんな子とこうして関わってしまったのならば、放って置くことはできない。それに……。


「それはわしが末松冬華の記憶を持っているからかの?」

「それもある。君の存在は別人でも、君の中にあるのは俺を産んでくれた母さんのものであることは違いない。放っては置けないよ」


 この世界の父さんと兄さんは別人だ。母さんもきっと俺の覚えている母さんとは違うのだろう。けど、それでも、実の父と兄からひどい扱いを受けた俺は、この子の中にある母さんの記憶に唯一の家族を感じて寄り添いたいと思っていた。


「……わしはただの生物兵器じゃ。お前の母などでは微塵も無い。お前が止める必要などないのじゃ」

「だけど望んで父さんと兄さんがやっていることに協力しているわけじゃないだろう?」

「そんなことは……無い」


 雪華の手が鼻の頭を掴む。


「その癖……」


 鼻の頭を掴む雪華を見て俺は思い出す。


「父さんに聞いたことあるんだ。母さんは本心を隠しているとき、鼻の頭を掴む癖があるって」

「……」

「本当は協力なんかしたくない。それが君の本心じゃないのか?」


 それが本心だったら俺はこの子を助けたい。

 放ってなんておけなかった。


「……ふう」


 嘆息した雪華はイスから立ち上がり、


「この件にはもう関わるな。お互い不幸にはなりたくないじゃろう」

「ゆ、雪華……でもっ」


 俺の言葉を無視して雪華は行こうとするが、


「う……」

「えっ?」


 呻くような声を上げて雪華がそこへ跪く。


「ゆ、雪華っ!?」


 心配して立ち上がる俺を、雪華は手で制す。


「……平気じゃ。なんともない」


 そう言ってふらり立ち上がった雪華は歩いて店を出て行く。


「雪華……」


 本当に大丈夫だろうか?

 ……しかし彼女は普通の子供に見えて、人工的に作られた生物兵器だ。心配する必要はないのかもしれない。


「けど……」


 やはり心配だ。


 俺は雪華を家まで送るため、ついて行くことにした。

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