第12話
「僕は、いつか帰ってみたいな」
肩口を噛むおれの頭を撫でながら、ヨダカはぽつりと呟いた。その視線は、世界樹の枝葉も、雲をも越えた遠くに注がれている。きっと故郷に思いを馳せているんだ。
おれには、船が沈む血の海の上を飛び交って、獲物の肉を奪い合うメスのセイレーンの想像しかできないけど、そこで生まれ育ったヨダカには、懐かしい記憶があるのかも知れない。
ヨダカに背中の左翼があったなら、きっとどんなところへでもすぐに飛んで行けたのだろう。
翼のあった痕跡は、背中から、ちょうどおれの口元の、肩口にまで及んでいる。傷痕に舌を当てると、ヨダカの身体が震えた。
下で伸びていた脚が、きゅっと縮こまっておれの腹を控えめに押す。拒否、というよりは、戸惑いの色が濃いけれど、今までとの反応の違いにおれは好奇心が抑えられなかった。
ぺろ、と舐めるとぴくりと跳ねる肩。他のところよりも皮膚が薄くて敏感なのか。
肩口から繋がる鎖骨は、おれのとは大分形が違う。浮き出たそこも牙を掠めただけでヨダカの口から小さく呻き声が漏れた。
「……アンク、ねぇ」
名前を呼ぶ声に耳だけで返事をする。他はおれとヨダカの違いを探すのに夢中だった。けれど意味のない音だけ発して消えていくヨダカの声は、少しずつ俺の意識から遠のいていった。
上半身は人間の形に似ているけれど、細かなところは哺乳動物とは全然違っていた。卵から生まれるというようなことを、ヨダカは言っていたっけ。だから、胸もまっさらなら、母親と繋がっていた跡もお腹に無かった。
全て歯や舌で確かめていく。腰の翼は小さいけれど、器用に俺の頭を抱えている。おれの口が更に下に下がっていくのを、流石に止めようと頑張っていた。けどあまり力は入っていない。
羽毛に守られた下腹は、ふにふにと柔らかくて、齧ると癖になりそうな噛み心地だった。
「アンク、い、けない……」
ああ、ヨダカ、そんな弱々しい言葉じゃおれは止まれないよ。
昨日おれと繋がった尻尾の付け根辺りには、ふわふわの羽毛に隠された切れ込みだけが存在していた。ちょっと失礼して鼻先で捲ってみても、やはりオス特有の交接器のようなものは見られない。昨日おれがヨダカにわざわざ性別を聞いたのは、雌雄ではっきりと見て取れる違いがヨダカに無かったからだった。
「はぁぁ……そろそろ満足、したかい?」
平静を装っているけれど、少し声が上擦っている。こうしてみると、昨日追い詰めたと思っていたあの状況も、ヨダカにとっては全然余裕だったのだと感じた。
おれは少し、調子に乗って、更にヨダカを舌で苛めた。粘膜が剥き出しになった、当然敏感であろうそこを、舐める。
「う……っダメ、アンク!」
強く諌める声が聞こえて、ようやくおれは頭を上げた。誰かの身体を舐めるのなんて、おれたちにとっては日常でよくするコミュニケーションなんだけど、ヨダカは結構焦っていた。なんだか悪戯が成功したときみたいな気分だ。
「ふぅ。あ……おれ、また喋るの忘れてた?」
「……」
「……ヨダカ? ……怒っ、た?」
ウキウキでヨダカの顔を見たら、ヨダカは俯いて片手で顔を覆っていた。肩から上がほんのり紅い。少し荒くなった呼吸も手伝って、流石にやりすぎてしまったことをようやくおれは自覚した。
「ヨダカ、ごめん……」
うっすらと開かれた唇を、手の隙間から舐めてみる。反応が返ってこない。
「にゃーーん……」
おれなりの可愛い声にも反応なし。よし、こうなったら顔を見て怒っているかだけでも確認しよう。
手首を尻尾で掴んで、ちょっと引っ張ってみる。案外すんなり顔から手は離れたけれど、背けられる顔は今度は羽に覆われてていた。
それもまた尻尾で払う。左右に掻き分けてようやく見えた、紅潮したヨダカの表情は、ぼんやりと熱に浮かされているようだけど、怒っているようには見えなかった。おれは無意識に詰めていた息を安堵に吐き出した。
そのとき、ふわり。鼻を掠めた甘い香りに、おれの身体は、固まった。
この感覚は、まだ記憶に新しい。首に回される腕の感触にも、覚えがある。
抱きついてきたヨダカの肩に鼻先が触れる。ヨダカの首筋から、耳の裏辺りにかけて香る、この匂い。鼻腔に思い切り吸い込むと、おれの心臓がどくん、と大きく脈打った。鼓動が、呼吸がどんどん早くなる。血液が身体中を走り回って、どんどん熱くなる。
「いけないって……言ったのに……」
発情した雌猫のフェロモンに似たそれは、目の前の雄鳥に対する色欲で、おれの思考を侵していった。
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