第7話



 お腹が満たされても、おれの身体はしばらくいうことを聞いてくれなかった。首を持ち上げるのが精一杯だし、それすらもすぐに疲れてしまうのだ。

 今は亡き妖精猫の長老さまを思い出す。ずうっととこに顎を預けて、寝ているようにしか見えなかったけれど、一緒に暮らしていた人間が、たまに体勢を変えてあげたり、陽の当たる窓辺に連れて行ったりと、不自由ながらも温かな時間を過ごしていた。

 まさかこんなにすぐに、おれも同じような状況に置かれるとは思っていなかったよ。ただし、あのしわくちゃなふたりが過ごしていたような穏やかな雰囲気なんて微塵もない。


「……ヨダ、カ……ねぇ!ねえ!」


「しい……。あまり大きな声を出さないで。獣除けのまじないは施しているけど、気付かれないに越したことはないんだから」


「ほ、ほんとに……こ、れ、だいじょうぶ?」


「獣除けの効力の話? それともおまえの重さの話?」


 やっぱり重いんじゃないか!!

 ヨダカは動けないおれを肩に担ぐように抱き上げて、暗い森の中を、どこかを目指して歩いていた。時々ずり落ちそうになるのを、背中の翼が直す度、ひやりとする。

 誰かに体を預けるのって、こんなにこわいことなのか。母さまに運ばれるときは全然そんなことなかったのに。


「……あ、あ、ヨダカ。……ん、っ首、うしろ、……つ、かん、で!」


「アンク、カ行の発音のときに鳩みたいに頭が揺れるのはなぜ? そうすると発音しやすいの?」


 余計な疑問を抱くな。臆さず喋れと言うから努力をしているのに、この鳥は純粋な好奇心でおれの劣等感を刺激してくる。いや、もしかしたら鳩という例えはヨダカにとっては褒め言葉なのかもしれない。……そんなわけあるか。

 おれがウーウー唸りながら靄っているのを愉快そうに笑いながらも、言った通りにヨダカは背中を抱えていた手をおれの首に移して、後ろの柔らかい皮をにゅ、と掴んだ。

 そう、これだ。後ろ首を掴まれる安心感にほっと息を吐いた。


「おやおや、アンクもしかしておまえ、まだ子猫なのかい? 生まれてからどれくらい経つ?」


「……せいれい、じゅ、が。みを、っつける……く、らい」


「精霊樹の実……30年前後ということ? あらあら! まあまあ!」


 途端にヨダカは声色を甘くした。これは見たことがある。まるで生まれたての赤ん坊だったおれに心をほだされたおばさまたちのような反応だ。おれが乳離れして、母さまの狩りに同行するようになるまで、おばさまたちはおれを見ると「おやおや」か「あらあら」か「まあまあ」しか言えない鸚鵡みたいになっていた。

 それがほんの3、4年前の話なのだから、別にヨダカの反応は不思議には思わない。けれど、子猫は流石に卒業している……と、思う。


「半分とはいえ妖精犬の子だもの。まだまだ大きくなるよね。きっと今より美しくて、精悍な雄に育つよ。成獣になったおまえも見てみたかったな」


 おれはその言葉に何も返せなかった。こうしてヨダカに運ばれている間も、全然体に力が入らない。本当におれはおとなになれるのかな?自信が、ないよ。





「……着いたよ」


 それからしばらく進むと、ヨダカは歩みを止めた。進行方向は見えないけれど、周りが少し明るくなっている所に出たことは分かった。

 この明かり。月の光のように柔らかな灯り。ヨダカがどこを目指していたのか、ヨダカの目に今何が映っているのか、見えなくても分かった。


「此処が何だか分かるかい?」


 勿論知っている。懐かしい灯り。おれが前方を振り向くように見ると、ヨダカはそのままおれを地にゆっくりと下ろした。

 ちょっとだけ、活力が湧いた。顔を上げて、淡く光る葉を持つ大樹を見上げる。


「せかいじゅ、だ!!」


 逸る足を縺れそうになりながら動かして、その木に歩み寄り、太い根にたどり着く。体を擦り寄せると、木の根と触れ合ったところの毛が緑色に光った。嬉しい。こんな所で世界樹と会えるなんて。


 おれがゴロゴロと喉を鳴らすと、木の葉もおれを歓迎してくれるかのように淡い光を脈打たせた。



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