第5話
おれと雄鳥が離れることができた頃には、日も沈んで森がすっかり暗闇に呑まれていた。
繋がっている間、彼はおれに自分のことを少しだけ話して、あとはずっと歌を口遊んでいた。と、思う。おれは途中で昏睡してしまったらしいから、実は全く覚えていない。
ただ、眠りに落ちる前も、目覚めた時も、あの心地良い歌声が、そよ風みたいにおれを包んでいたのは確かだった。
彼から聞いたのは、昔飼われていた人間たちに『ヨダカ』と呼ばれていたこと。ずいぶんと長いこと、ひとりで旅をしていること。そして、おれの予想の通り、彼はセイレーンだということ。……一応確認したけれど、やはり性別はオスだった。うん。
ヨダカは、おれから解放されるとすぐにどこかへ行ってしまった。
真っ白だった羽はいつの間にか灰褐色に戻っていた。
「待ってて」と、確かにそう言ったから、戻って来るとは思う。少し慌てた様子だった彼を追おうにも、身体が全く言うことを聞かないから唖然とした。
空腹のまま、彼を追って、仕留め損ねたと思ったら、いらぬ行為でなけなしの体力を使い切り……。周囲の暗さも手伝って、とても情けない気持ちでいっぱいになった。
延々と自分を責めてどれくらい経っただろう。異様に長く感じた静寂の後に、木々のざわめきに混じって、ヨダカの歌声がかすかに聴こえてきた。
ほんとうに、よく唄う鳥だなあ。
『あかいひ、たゆとう、かれたみずうみ
きみをおもって、なみだすれば』
何だか寂しげな歌だ。これは昼間に歌っていた曲の続きだろうか。
『しおみちて
ゆらゆらしずむ』
おれの心も沈んでいるよ。今はヨダカの歌にも心が動かないほどに。
遠くで風に乗っていた歌が、段々と近づいて来ると思ったら、目の前の茂みがガサササ!と揺れて、野うさぎがおれの顔目掛けて走ってきた。
『みなもにうつるほし、ほらふたつ』
「ギィ」と小さく鳴いて、野うさぎは不自然に動きを止めた。1拍遅れて、地に降りてきたのは鋭い鉤爪を持つ正足。ヨダカだ。
ヨダカは地に伏したおれの顔の前に、今仕留めたうさぎと、もう1羽。合わせて2羽のうさぎをとても丁寧な手つきで寝かせた。
血のにおいが鼻先を擽る。おれは何だか泣きたくなった。どういうつもりなのか分からない。おれはどうすればいいというのか。
「食べて」
ぐるる、と、唸るお腹さえ憎くなる。おれの自尊心はずたずただ。
獲物だと見誤って返り討ちにされた相手に、施しを受けるなんて。
眼前のうさぎの、虚ろな目も云っている。お前は選択を誤ったのだと。お前が見逃してやったと思っていた野うさぎに、命を救われる惨めさを味わえと。
おれがそんな妄想に囚われていると、ヨダカはふんと鼻で溜め息を零し、膝をついて獲れたてのまだ温かいうさぎの首から何かを引き抜いた。目だけで手元を覗くと、それはヨダカの、おそらく腰の翼の風切り羽だった。
そんな柔そうなものでどうやって獲物を仕留めたのか。そんな小さな疑問がおれの止まらなかった負の感情に覆い被さる。
ヨダカはおれの目を見て悪戯っぽい笑みを返すと、羽の根本を空いている方の手でつまみ、羽の先端に向かって指を滑らせた。
するとどうだろう。ヨダカの指が撫でたところから、羽毛がぱきぱきと音をたてて固まっていく。
「硬化の魔法だよ。見てて」
ナイフへと早変わりした風切り羽は、うさぎの体の上を滑る。うさぎの毛皮は音もなく裂け、血液が真っ白な毛に溢れては染み込んでいった。
カラカラに乾いていたはずのおれの口には、いつの間にか唾液が溢れていた。毛皮が受け止めきれずに地に滴りかけた血液を、気付いたらおれは舐め取っていた。
暴かれた新鮮な肉に、無我夢中でかぶりつく。ヨダカはそっとおれの口元から手を退けたけれど、毛皮が邪魔になりそうなところには切り込みを入れて、甲斐甲斐しくおれの食事を手伝った。
黙々と。ヨダカは毛皮や肉を切り、おれはそれを平らげていく。むしゃむしゃと咀嚼する音が、暗闇に生まれては消えていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます